関曠野さんによる最近の論考。
抜粋で申し訳ないけれど載せさせていただきます。
後段BIへの言及は、先日掲載させてもらった
提言ともはっきりと響き合っています。
こら日本株式会社!おまえとこもうわやなんじゃ!
眠たいこと言うとらんでとっとと金くばらんかい!
(…)しかしながら原発は、核反応という非ニュートン的現象をニュートン物理学の枠内の技術で制御しようという原理的に矛盾し、始めから破綻している試み、テクノロジーの名に値しない極端なアクロバットなのである。(…)一度原発事故が発生すると事態の予測も制御もきわめて困難である。これは原発のデザインの改良で解決できる問題ではない。そして事故の規模は原子炉の気まぐれな反応や地形や風向などさまざまな偶然的要因に左右されるので、完全に安全な避難計画を作っておくことも原理的に不可能である。だからこそ原発は絶対に建設してはならないのだ。(…)
(…)そして現在、震災復興の財源のめどが立たない中で、全国知事会が国債の日銀引き受けによって厖大な復興資金を創出することを提言している。この事実上の政府通貨の発行には日銀と財務省が子供だましの理屈で抵抗するだろう。しかし震災と原発事故という巨大な代償を払ってだが、これで日本が世界に先駆けて政府通貨で目下の世界恐慌を打開する国になる可能性が出てきた。そして復興というからには、県外に避難した人々を含めて無一物同然の被災者の生活を立て直すことがその出発点である筈だ。今東北が必要としているのは被災者に対する月八万円程度の一律無差別なベーシック・インカムの支給である。これは政府通貨が発行されれば直ちに実施できる措置である、ベーシック・インカムは将来の見通しが立たないでいる被災者を支えるだけでなく、地域経済を速やかに再生させるだろう。その先にあるのはたんなる復旧や再建ではない。
(…)戦前の日本帝国はヒロシマで終わり、戦後の日本株式会社はフクシマで終わった。
(関曠野「計算不可能な原発事故のリスク:原発はテクノロジーの名に値しない極端なアクロバットだ」『図書新聞』2011年4月23日/太字は原文、赤字は引用者)
*悪口みたいであれなんですけど、同紙の震災直後の号にでてた某氏の寄稿は、「反原発=ブサヨは文句言うなら義捐金出せ」みたいなことを言ってて、ひどかったなー。ドイツには申し訳ないんですけど、永久にあっちに居て欲しいと思います。
*関さんへ。ぶっちゃけ、僕、8万円ぢゃ足りないです。足りないです。「JOIE DE VIVRE」には。もっといんじゃないでしょうか。僕は、「埋蔵金」+ファッキン大企業内部留保+政府通貨で、もうちょっとひり出してもいんじゃないかと思うんです。
ウダウダいってると以下のような強硬措置をとらざるをえません。
PUT WHEELS IN MOTION !
1) OCCUPATION OF THE DIET BUILDING BY UNITED NATIONS.
2) DECLARATION ABOUT EXTINGUISHMENT OF JAPAN’S NATIONAL SOVEREIGNTY.
3) OCCUPATION OF JAPAN.
4) ISSUANCE OF BASIC INCOME AND ENFORCEMENT OF TOLL-FREE UNIVERSITY.
5) JOIE DE VIVRE!
(see reference; “The spirit of Basic Income characterized by absolute freedom and Calls to occupation,” in Kwaidan, vol.3, L’association de l’étude de la philosophie sociale)
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