2009年12月15日火曜日

「ただ乗りストライキ論」

『現代思想』12月号「あとがき」より全文引用させてもらいます。栗原康さん「ただ乗りストライキ論」。
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最近、ストライキのことばかり考えている。もともと、ストライキの本質は当事者性と自己決定にあるとされてきた。ふだん経営者に命令されてばかりの労働者がみずから立ちあがり、経営者にそむいて自分の意思で行動する。おそらく、それが本質であることにまちがいないし、今後も変わることはないだろう。だがこのごろ、ストライキを委任するというのもありではないかと思いはじめている。1995年、フランスで大規模な公務員ストライキがおこった。このとき、すべての公共交通機関が二ヶ月もとまったのだが、ほとんどのひとがこのストライキを支持していた。理由は単純だ。このストライキが非正規労働者や失業者の思いを代弁していたからである。ふだん非正規労働者はその境遇からなかなかストライキをくめないし、失業者にいたってはそもそもストライキをうてない。だから、代わりに正規労働者がストライキをおこなって、かれらの権利主張をおこなおうとした。ストライキが激しくなればなるほど、ひとに迷惑をかければかけるほど支持されたのもなっとくである。ある社会運動家は、これを委任によるストライキとよんだ。要するに、正規労働者のストライキにただ乗りしてしまおうということだ。
わたしはいま大学非常勤講師をしている。非常勤はおどろくほど低賃金で、いつ雇い止めにされるかもわからない。だから、非常勤はだれもがストライキをうつだけの理由をもっている。とはいえ、資金面や組織力のことを考えると、非常勤の組合がストライキをおこなうのは本当に大変なことだ。だが、専任の教員にかんしては状況がまったく異なる。先月号で白石嘉治氏がふれていたように、今年、早稲田大学の教職員組合は異例の支持率でスト権を確立した。おそらく、かれらが本気をだせば大学ひとつとめるくらいわけないはずだ。しかし、いまのところストライキが実行に移される見込みはない。早稲田の教職員はだれも自分たちのことを支持しないと思っているのだろう。もちろん、いまのストライキ要求項目をみるかぎり首をかしげざるをえない。いまだに専任教員のベースアップしか要求されていないからだ。しかし、そこに「学費無償化」「非常勤の待遇改善」などがはいったらどうだろうか。フランスとおなじように、まわりは支持するのではないだろうか。これまで、学生、院生、非常勤は大学教授たちを下支えし、ただ乗りをさせてきた。授業料支払い、無償労働、使い捨て労働力というかたちで。そろそろ、こちらがただ乗りさせてもらっていいはずだ。委任によるストライキへ。ただ乗りがしたい。」
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2009年12月7日月曜日

ギリシア蜂起2009






警官の発砲によるアレクシス・グリゴロポロスの死からちょうど一年が経過した2009年12月6日のギリシア。全土で暴動がうずまき、数々の大学が占拠されている。逮捕者は現在までのところ全土で550人におよんでいるという。権力はメディアを利用しつつ「アテネ大学学長、病院に収容」などとデマを流し、事態の収束をはかろうとしている。
蜂起。歴史の流れを断ち切り、理性のながながとした鎖から身を引き剥がしてみずからを権力のまえで危険にさらす。「この生」がなにものにもかえがたいものとなる地点、「この生」が無限回にわたって肯定される地点。「わたしはもう従わない」。ギリシア蜂起において高々と鳴りひびいているもの、それは「この生」の永遠の肯定と、従属に対する永遠の否である。国旗は燃やすためにある。
以下はhttp://juralibertaire.over-blog.com/より。





















2009年12月4日金曜日

タルナック「なぜわれわれは裁判所の監視にしたがうことをやめるのか」

12月4日付『ルモンド』紙より。タルナック事件の「9+1名」の署名による「なぜわれわれは裁判所の監督に従うことをやめるのか」(Pourquoi nous cessons de respecter les contrôles judiciaires)。互いに会うことを禁じられているジュリアン・クーパたちがその禁止をやぶって再会し、執筆された文章である。報道によれば、これによって彼ら彼女らはふたたび収監されるおそれがある。「クリストフ」は文中にあるとおり10人目の容疑者として先月27日に起訴された人物である。やはりこのひとたちの動き方はいい。権力とガチに見えて、じつはななめに動いている。
http://www.lemonde.fr/opinions/article/2009/12/03/affaire-de-tarnac-pourquoi-nous-cessons-de-respecter-les-controles-judiciaires_1275570_3232.html

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「なぜわれわれは裁判所の監視にしたがうことをやめるのか」

11月27日のクリストフの逮捕は、国家が依然として急性錯乱状態にあることを示している。錯乱状態とは、ひとびとがひかえめに「タルナック事件」と呼ぶもののことだ。クリストフの起訴は、訴訟手続がみずからを救済するためだけに遂行され、ほかの者の容疑をそのまま維持するためだけに新たな一名を告訴したということを意味する。

「第一のサークル」として、クリストフは、われわれがみずからの弁護について話合う少数の集まりの一人だった。裁判所の監視は今後のことを考慮し、彼がわれわれに会うことを禁止しようとしてあまりに大きな誤りを犯した。それはまた、われわれの弁護活動を解体しようとする意図的措置でもある。法をめぐるあらゆる観念がこれほどまでにねじれてしまったこの段階において、われわれが裁判所のこうした監視や常軌を逸した訴訟手続に従うことをいったい誰が要求しうるというのか。何者もこの不条理に付き合う義務はない。司法がなにものにもましてくだらないということを確認するために、自分が司法をこえた高みにあると考える必要はない。そもそも、明らかな犯罪手段によって維持されている社会に裁判など存在しないし何者も裁くことはできない。

誰もが想像することのできるように、裁判所の監視下における自由とは一種の神秘主義的体験の謂いである。考えてみてほしい。あなたは会いたいひとに会うことができる、ただしあなたの愛するひとびとをのぞいて。あなたはどこに住んでもよい、ただし自分の家以外なら。電話で、知らないひとの前で、自由に話をすることができる、だがあなたが話す内容はつねに、あなた自身に反する言質として取り押さえられている。考えてほしい、あなたはしたいことをすることができる、ただし真に欲することをのぞいて。司法監視下の自由が自由に似ているというのなら、柄もなければ刃も取り払われたナイフのほうがよほどナイフに似ているというものだ。

あなたは三人の友人と大通りをぶらついているとしよう。それは、あなたを尾行する警官の筆にかかれば次のようになる。「4人のターゲットがどこそこの方向に移動」。数ヶ月におよぶ別離ののちに、あなたにとって大切なひとと再会する。それは司法のジャーゴンによれば「不正協議」となる。逆境のなかであなたがそれでも、あらゆる友情が前提としている忠実さを手放さないとすれば、それは当然のごとく「共謀罪」と呼ばれる。

警察とその司法は、目につくものすべてを歪める能力にかけて抜きん出ている。結局のところ警察と司法の企てとは、好ましいものであれ不快なものであれ、ありのままをたやすく理解することができる物事を化け物じみたものにしてしまうことであり、それ以外の何物でもないだろう。

既存のいかなる政治的組織にも属さないだけで「オトノム」と呼ばれるに十分であるならば、われわれはこの国で「オトノム」という多数派であると認めなければならない。組合幹部のことを労働者階級に対する明らかな裏切り者とみなすだけで「ウルトラ左翼」になるならば、現在、CGT(労働総同盟)の一般党員たちはウルトラ左翼の危険分子の総勢によって構成されていることになる。

われわれは脱走する。われわれはもう外出を記録しない。われわれは再会するつもりである、このテクストを作成するためにすでに再会したように。われわれはもう隠れたりしない。われわれは見限るのだ、裁判官フラノリと、彼があれこれのジャーナリストを前に撒き散らす幾百のとるに足らない風説、幾千ものみじめな恨み節を。対テロリスト実行部隊はわれわれをうるさく追い回し、アパートに「音声装置を設置」し、会話を盗聴した。ゴミ箱をあさり、刑務所での家族との接見記録をすべて書きとめた。そうすることで連中はわれわれを一種の私的戦争に引きずり込もうとしているのだが、われわれはそこから離脱する。

対テロリスト実行部隊がわれわれに魅了されることはあっても、われわれが連中に魅了されることはない――われわれの子供たちは多少のユーモアをまじえて連中を「歯ブラシ泥棒」と呼んでいる。なぜなら9mm拳銃を手にバタバタと登場するそのたびに、彼らは歯ブラシを残らずかっさらっていく。連中が崇めたてるあのDNA鑑定のためだ。彼らは自身の実存と信用のためにわれわれの存在を必要としているが、われわれはちがう。連中はあの手この手の監視や訴訟手続でもってわれわれをパラノイア的な小集団に仕立てあげねばならない。われわれとしては、大衆運動のなかに溶け込むことを切望している。多々あるものごとのなかでもとりわけこの大衆運動こそ、連中を溶解させてしまうだろう。

だがなによりもまずわれわれが離脱するのは、公共の敵という役割である。つまりそれはひとびとがわれわれに望む犠牲者の役割ということだ。われわれがその役割から下りるとすれば、それは闘争を再開できるようにするためである。「追い詰められた獲物のような気分に代えて、戦士の活力が必要である」。コミュニストのレジスタンス闘士ジョルジュ・ガングアンはわれわれと似たような状況においてこう言ったのだった。

社会機械のいたる場で、それは小さな音で炸裂する。ときとしてその音はあまりにかすかなので、それは自殺という形態を取ることになる。ここ数年の社会機械において、そうした炸裂をまぬかれることのできたいかなるセクターもない。農業、エネルギー、交通、学校、コミュニケーション、研究、大学、病院、精神医学。それぞれの炸裂音は残念なことになにももたらさない、さもなければ鬱や生の冷笑主義の剰余を生み出す――いずれにせよまったく同じことだ。

今日の大多数の者とともに、われわれは状況の逆説を深く悲しむ。一方で、われわれはこのままの状態で生きていくことができず、他方で、愚か者どもの寡頭体制にとらわれた世界を、破壊へと突き進ませることもできない。現在の荒廃よりも望ましいあらゆる展望が、この荒廃から逃れるための実行可能な方策が、見失われてしまっているからだ。好ましくも絶望したいくつかの魂を別とすれば、よりよい生の展望なしに誰も叛乱したりしない。

時代は豊かさを欠いてはいない、欠如しているのはむしろ息の長さである。われわれには時間が、持続が必要なのだ――つまり長期にわたる共謀である。鎮圧と呼ばれるものの主要な効果のひとつは、賃労働と同じく、われわれから時間を奪いとるということである。事実上の時間が奪われるということだけではない――刑務所で過ごした時間、そこにいる者たちを出すためにはどうすればいいか模索した時間。時間を奪われるということはなによりも、固有のリズムを押し付けられるということである。鎮圧に立ち向かう者たちの生存は、彼らの周囲のひとびとの生存ともども、直接的な出来事の数々によって恒久的に曇らされてしまう。すべてが生存を短い時間へと、アクチュアリテへと向かわせる。あらゆる持続は細分化される。裁判所の監視とはそうした性質のものであり、裁判所の監視はそうした効果をもたらすのである。万事はこのように進行する。

われわれになされたことの主要な目的とは、集団としてのわれわれを無力化してしまうことではなく、大多数を畏怖させることだった。とりわけ、現行世界について抱く悪しき考えをもはや取りつくろうことができなくなった多数者ということである。われわれは無力化されたのではない。それどころではない、われわれをこのように扱ったところで、われわれはなんら無力化されていない。

われわれが以前にもまして大きなものとなるだろう務めを再開しようとするとき、何者もこれ以上われわれを妨げることはできないはずだ。その務めとは、われわれ全員を見舞っている集団的な無力状態から身を引き剥がすことが可能となるための展望を練り上げることである。正確に言えば、それは政治的展望でもプログラムでもない。そうではなく、世界との別の関係、別の社会的関係へといたることのできる実行可能な方策を、技術的、物質的な可能性として練り上げる。こうした練り上げは現存する拘束から始まるのだ。つまりこの社会の実質的な構成、社会のインフラおよび社会の主観性から、ということである。

というのも、変動を妨げているもろもろの障害についての認識から出発してはじめて、地平線上の混雑を取り除くことができるからである。これは息の長い仕事である、そしてわれわれだけでは意味をなさない。これはひとつの招待である。

アリア、バンジャマン、ベルトラン、クリストフ、エルサ、ガブリエル、ジュリアン、マノン、マチウ、イルデュンヌ、「タルナック」事件公訴中の10名。

2009年11月30日月曜日

「この世界を破壊することは可能だ」

11月28日ジュネーヴ、反World Trade Organization。もうひとつの世界は可能だ、ならばこの世界は打倒できなければならない。「この世界を破壊することは可能だ」「資本に死を」「いつも反乱を」。












現場はジュネーヴだけではない。ジョルジョ・アガンベンは言う。現在のフランスのサルコジ体制は、イタリアのかつてのファシズム体制よりもファシスト的だ。これは事実である、哲学者はそう念を押す。
政治的暴力はその他の暴力とは感覚的にも倫理的にもちがう。たとえば、フランス人の6割が「社長監禁」に賛成している。争議の席につかず、夜間に工場を閉鎖してしまう社長に対してほかにどうしろというのか。ブドウ栽培農家は敷石を剥がして警官隊に投石する、銀行のウィンドーを破壊する。酪農業者はシャンゼリゼのど真ん中で火をたいてバリケードを作り、トラックから牛乳をぶちまけ、路上に牛を放つ。アンテルミタンはマクドナルドを封鎖し、区役所を占拠する。アンチファはネオナチと対決する。平和な政治的行動などない。なぜならそれは怒りの表現だからである。怒りが表現できてはじめて平和主義も成り立つ。
現在のフランスの社会運動を見ていると、ひとびとがかかげる要求と、決然と行使される暴力とのあいだには溝がある。要するに、ささいなことで暴動に発展する。皆、感じているのだ、ファシズム的な司法警察権力の膨張を。それに息苦しさをおぼえているのである。だから物を壊す。なりたくはないのだ、ファシズムを内面化=民営化したDV野郎に、治安と戦争に加担するだけの非暴力市民に。以下は今月25日、モンペリエでのブドウ栽培農家デモの様子。

2009年11月13日金曜日

ドン・キホーテたちの蜂起

ラ・マンチャの初老の男、ドン・キホーテは昼夜を問わず騎士道物語に熱中し、本を買うために財産を売り払うまでになり、とうとう頭がいかれて騎士を自称するようになる。彼は風車を巨人とみなし、突撃して吹き飛ばされる。セルバンテス作『ドン・キホーテ』である。
これは寓意だ。むろん「現実と空想を混同してはいけません」という説教ではない。逆に、無謀なことをやれという奨励でもない。セルバンテスが言わんとしているのは、周囲から頭がおかしいと思われるぐらい真実の感覚にこだわれ、さもなければ自分の敵すら見えないよ、ということである。世間は言う。「あれはたんなる風車だ」「それはたんなる国家だ。国家はなくならない」と。「反国家などと無責任なことを言うな」「頭がおかしいんじゃないか」と。「反資本主義などというが、目の前にあるのはたんなる会社じゃないか」「気のいい労働者ばかりではないか」と。おそらく、そうして世間からはじき出されてはじめて出会い生まれるし共謀も可能になる。
タルナック事件から一年が経過した。逮捕された若者たちは警察により『来たるべき蜂起』(彩流社近刊)の著者とみなされたが、憶測にすぎない。この書物において重要なのは、蜂起に大義はないということである。蜂起に賭けられているのは大義ではなく、「私」あるいは「我々」の自明性である。「仕事で一生を終えるのって違う」という感覚、「日本よりフランスのほうが楽しそう」「米の値段高くない?」という感覚である。そう感じたら、そう感じられるままの生を模索するしかない。これが蜂起の起源である。初老の男ドン・キホーテをつらぬいたのも、程度の差こそあれそうした感覚だった。いやなことには露骨にいやな顔をすること。仕事がたるいならたるそうに仕事をすること。そうすれば、仕事がたるいと同じように思っている仲間との出会いが生まれるし、そのぶん敵も明確になる。フランスではいま、反監獄闘争が高まっているが、それは監獄と自分の生存が両立しないと感じる感覚が分け持たれているということである。反監獄すらいえない社会で、自明の感覚もなにもないのだ。

2009年11月1日日曜日

徴用


約10名によるフランスレンヌでのスクウォット。
「もう払わないためにここで自己組織化する」
「われわれは家賃ストに入った!」
「パリ通り47番地は徴用された。あなた方の家にようこそ」

徴用っていい!

「急いでるから車を徴用させて」
「しょう油徴用していい?」
「住むところないから当分のあいだお宅を徴用します」

赤ん坊が生まれそうだから病院を徴用
会議したいから国会議事堂を徴用
遊びたいから車道を徴用
終電逃して交番を徴用

徴用しよう。

2009年10月29日木曜日

言葉と身ぶりと共謀――Mafia K'1 Fry

スペクタクル社会ではすべてが倒立している。
たとえば2005年のフランス暴動は力の高まりの表現だったが、それをメディアは極度の剥奪状態から生じた「突発的」行動だと喧伝した。非常事態宣言のもとで、ひとは一ヵ月にわたって「突発的」に車を一万台も燃やすことはできない。車はバルセロナでもベルリンでも燃えた。それほどの言葉と身ぶりと共謀が、イニシアティヴと知性が、果たしてスペクタクル市民にあるだろうか。ない。剥奪されているのは市民のほうだ。勘違いしてはいけない。
だからマフィア・カン・フリMafia K'1 Fryを聴こう。
2007年の「戦争guerre」。ここには言葉と身ぶりと共謀がある。フランスでは国家の祝祭日のさいにかならず騒乱が生じるが、暴動翌年の2006年革命記念日、パリ近郊セーヌ=サン=ドゥニ県の上空をドローンが飛んだ。つまり軍用飛行機である。自分の頭上に軍機が飛来すればどうだろうか。マフィア・カン・フリの回答はこれである。テレビ放映不可の検閲ヴァージョン。

Refrain:
On l'a pas souhaité, mais c'est la guerre
望んだわけではないがこれは戦争だ
Grandir en cité, tu l'sais, c'est la guerre
シテで育つこと、分かるだろうこれは戦争だ
Inégalité sociale mon frère, c'est la guerre
社会的不平等って戦争なんだぜ
La France veut nous faire du mal, normal, c'est la guerre
フランスはおれたちに危害を加えようとする、いつものこと、これは戦争だ
On cherche à s'en sortir ma soeur, c'est la guerre
なんとか切り抜けようとしている、だって戦争なんだ
Faut construire un avenir meilleur, c'est la guerre
マシな未来を築かなきゃならない、これは戦争だ
On s'bat pour nos parents, comprends, c'est la guerre
両親のために闘うんだ、分かってほしい、これは戦争だ
On veut pas qu'nos enfants galèrent donc c'est la guerre
子供たちに辛い生活を送って欲しくない、だからこれは戦争なんだ

同じくマフィア・カン・フリの「Pour Ceux」(2004)。圧倒的な情動と疾走。

2009年10月19日月曜日

カリフォルニア闘争

友人から翻訳がとどいた。カリフォルニア大学サンタクルーズ校を占拠したAbsent Futureのコミュニケである。認知資本主義下における範例的な搾取の対象、それが学生である。つまりもっともカモにされた存在ということだ。かつてシチュアシオ二ストは「学生生活の貧困」と言った。現在における学生生活の貧困とは終点である。われわれのあらたな生と思考が開始されるのは、大学の解体と大学蜂起が交差するグレーゾーンにおいてである。
http://wewanteverything.wordpress.com/

Absent Futureからの声明:学生生活の終点について

序:ポンペイに抗する7人

ロマンチックなあどけなさ、鉄の冷笑主義、嘲笑、コミットメント。大学とそれが生み出す生が依存するのはこういった事柄である。それらは苦痛に耐え、世界の破局的終末をあと数年ばかり支えるわれわれの人的潜在能力をあてにしている。だが、その崩壊を早めればいいのではないか?大学は内側から腐りきっている。 スタッフ、教師、学生の「人的資本」は、死者の町を防衛することないのと同様、大学を防衛することはない。

ロマンチックなあどけなさ、鉄の冷笑主義、嘲笑、コミットメント。こういった要求は引き渡されるべきではない。大学は、これらを道具として学ぶよう強制した。われわれは武器としてそれらを取り返す。大学は自身の再生産のためのもの言わぬ鈍重な道具としてわれわれを作り上げた。われわれ自身の生を作り出すために、大学は破壊されなければならない。可能性についてのロマンチックなあどけなさ。方法についての鉄の冷笑主義。大学のおかれた状況とその善良な意図についての屈辱的な嘘への嘲笑。 完全なる変容へのコミットメント。それらは大学の、ではなくわれわれ自身の生についての事柄である。これは想像力の回帰の始まりである。われわれは再始動し、凍てついた歴史から、土に埋められた生命の炎のような帯状装飾からわれわれ自身を解放しなければならない。

われわれは自身の時間を、可能性を生きねばならない。それこそが大学の存在を正当化する唯一のものである。たとえそれが決して成し遂げられることがなかったにせよ。連中の側にあるのは、官僚主義、惰性、機能不全であり、われわれの側にはそれ以外の全てがある。

われわれは死に絶えた文明として生きている。豊かな生活というものを想像することはもはやできない。唯一の例外はわれわれの困惑のためにあらかじめ選択された一連のスペクタクルのみ。微かにきらめく幻想のメニュー。充実した生活およびわれわれ自身の想像力の双方とも、われわれの想像を超え、かつ到達不可能な大量の非人間的なイメージの一群によって体系的に取って代えられてきた。そのような成果を信じているものなどもはやいない。

大学以降の人生の真実とは、友人や異邦人との富をめぐる卑劣でケチ臭い競争である。下級管理職の地位を目指す奮闘は不安、怒り、そして増大する一方の搾取によって引き裂かれながら(運が良ければ)数年間続く。会社が倒産しわれわれが「B計画」をささやきあうまで。しかしながら、こういったことは今日の大学を的確に表す記述なのである。卑劣でケチ臭い生はすでに到来している。

ただ生き延びるために、破綻した約束と提供されている現実の間の分裂に対して多様な態度を身につけることを強制されている。これ以上何も望んでいないと自分に言い聞かせながら、教育それ自身に対するナイーヴでロマンチックなスタンスを取るものもいる。鉄の冷笑主義と嘲笑を携え、未来の風通しの悪い金庫内の最後の札束を目指し、ばかげたシャレードを通じて競争を続けるものもいる。信じるものとして振る舞い、他人を出し抜き、より多くの学位と借金を手にしてっとハードに働きさえすればますます過酷になっていく労働はいつの日か必ず報われるはずだ、という古典的な信仰にコミットメントし続けるものもいる。

われわれの存在の真の素材である時間は消滅した。何時間もの日常生 活。あらかじめ未来はわれわれから奪われ、負債への奉仕と隣人への物乞いへとささげられている。倦怠の賃貸料(rent)を稼ぎだすことになるかもしれないが、そうならない可能性の方が高い。77人の処女は現れない。グローバル・パワーとしてのアメリカ合衆国の断末魔の苦しみを視聴するためのプラズマ・モニターさえ到来しない。資本主義はついに真の宗教となった。そこにおいて、天国の金持ちたちはいたるところで約束されており、どこにも引き渡されはしない。唯一の違いは、粗野で残酷なあらゆる流儀は、終わることのないこの間の時間において積極的に奨励されている、ということである。われわれは死に絶えた文明として、ポンペイ最後の住人として生きている。

I.

その忠実な僕として振る舞ってきた社会同様、大学は破綻した。この破綻とは金融的なそれだけのことではない。より根本的な債務超過の指標である。政治的かつ経済的であり、長い時間をかけて発達中である。大学が何のためにあるのか、もはや誰も知らない。われわれはそれを直感する。文化的で教養のある市民を創出するという古いプロジェクトは消え去った。かつては存在した労働市場における学位取得者の特別な優位も消え去った。こういったことは今やファンタジーである。メンテナンスの滞った広間にしがみついている空虚な残留物である。

ばかげた建築、消滅した理想の亡霊、死んだ未来の展望。これらが大学に残っているものである。この中において、われわれのほとんどは不満の多い習慣と義務の集積にすぎない。ほとんど声に出されることのないルサンチマンによって支えられた、思慮を欠いた不易の服従のようなものを伴う 試験と課題の進行をわれわれは経験する。興味深いものなどなにもない。それを感じさせるものなどなにもない。世界史上の災厄を示す見せ物は、それを映し出す窓同様に現実味を欠いている。

9.11に続く愛国主義のヒステリーに思春期を毒されたものたちにとって、公的な発言とは嘘の積み重ね以外の何物でもなく、公共な場とはものごとが爆発する場である(たとえそれが決して起きないにしても)。何かが起こって欲しい、という曖昧模糊とした欲望によって苦しめられたわれわれは、自分たち自身で何かを起こせるだろう、と想像することさえなく、インターネットののっぺりとした均質性によって救済された。そして一度も会ったことのない友人たちの中に避難場所を見出す。その余すところなき存在は一連の感嘆詞と馬鹿げたイメージであり、それが唯一開示するものは日用品のゴシップである。そして、安全と快適がモットーとなった。触発されたり感動に震えたりすることなく、血肉の通った世界を滑走する。あちらこちらで、われわれの空虚さの番犬を勤めた。

しかし、われわれの欠乏に対して心からの感謝の念を持っている。脱神話化は今や条件であり、プロジェクトではない。ついに大学生活はそれが常にそうであったものとして姿を現した。従順な製造者ならびに消費者製造マシーン。余暇でさえも職業訓練の一形式である。男子学生クラブハウスの白痴的な連中は、夜遅くまで事務所で働く弁護士の献身に恍惚を覚える。大麻をたしなみ、高校の授業をボイコットしたキッズは、今ではアンフェタミンをキメて仕事に取りかかる。ジムのウォーキングマシーンから学位工場に動力を送る。楕円形のサークルを、疲れを知ることなく走り続けるのだ。

アルカディアの象牙の塔として、牧歌的または怠惰なものとして大学を構想することにほとんど意味はない。「よく学びよく遊べ」はトレーニング中の世代にとっての熱心過ぎるモットーであり続けた。が、彼らは何に向けてトレーニングしているというのだ?カプチーノの泡にハートの形を描くこと?データベースへの名前と番号の接続?アメリカ資本主義のかすかに煌めくテクノ・フューチャーはとっくの昔に梱包され中国に売り飛ばされた。あと数年がらくたを借り入れるために。現在、大学の学位にはゼネラル・モーターズの株券並みの価値しかない。

われわれは、働き負債を背負うために働き負債を背負う。それに向けて働いている仕事はわれわれがすでに従事している仕事である。およそ3/4の学生は修学期間中に労働しており、 その多くはフルタイムで働いている。多くのものにとって、学生である間に獲得するポストは卒業後に待っているものと同レベルである。その一方、われわれが手にするものは教育ではなく、借金である。われわれはすでに使ってしまったカネを稼ぐために働き、将来の労働は最悪の市場においてすでに売却済である。

21世紀最初の5年間において、平均的な学生ローンの負債は20%増額した。80~100%が有色人種の学生向けである。学生ローンのボリュームは1977年から2003年の間におよそ800%上昇した。われわれが借り入れた授業が買うものは、残りの人生において月々の支払いを行う特権である。われわれが学ぶのはクレジットの舞踏術である。利率20%のチャージを提供されることなく、授業に出席することはできない。昨日の金融学専攻は、今日の人文科学専攻の荒涼とした未来とともに夏用の別荘を購入する。

これこそが、大学院以来そのためにわれわれが準備してきた見通しである。公認済みの特権を手にするためここに来たものたちは、授業料の集中砲火に、心理テストの砲列に、兵役義務に青春を明け渡す。均整の取れた志願書プロフィールに向けた、半分真実のシニカルな編集。牛追い棒のような親の忠告から逃げ出し、われわれ自身の破壊に着手することに不思議はない。他方、家庭の経済的ならびに社会的不利益を乗り越えるためにここに来たものたちは、われわれの内で「成功する」ものは一人として例外なく、その存在を認められるようになることを知っている。ここで支配しているのはゼロサムの論理である。とまれ、社会経済的地位は学業達成を計る最良の照準算定器であり続けている。人口学者に「移民」「マイノリティ」「有色人種」と呼ばれるものたちは、能力主義を信じるように教えられてきた。だが、われわれが憎悪されているのは、われわれの学業達成にもかかわらず、ではなく、まさに学業達成のためであることを知っている。出自の暴力からわれわれを解放することができるかもしれない回路は、いたるところで過去の悲惨を他者の現在において再生産するに過ぎない、ということもわれわれは知っている。

もし大学が第一にわれわれに教えることが、負債を抱える方法、労働力を浪費する方法、ささいな不安の餌食になる方法であるならば、それに関して教えられることとは消費者になる方法である。教育は他のすべてのこと同様、愛着を抱くことなく欲せられる商品である。それ自身がものであり、その購買者をものに変える。システムにおけるある人間の将来の地位、他者との関係は、まずカネによって、次いで服従の表明によって買われる。われわれはまず支払い、ついで「懸命に働く」。そしてここに破綻がある。命令を発するものであると同時に命令に従うものであり、消費者であると同時に消費されるものである。従属状態を強化する冷たいビルである、システムそのものに従うのである。教えを与えるものは、オートメーション化された通信システムによる尊敬をもって扱われる。ここで機能するのは消費者満足の論理のみである。この授業は簡単?先生はセクシー?どんなバカでもAを取ることができる?検索エンジンにかければすぐ呼び出せるのに、知識の獲得に意味はあるのか?インターネットの時代に誰が記憶を必要とする?思考の訓練?冗談はよしてくれ。精神的な備え?そのために抗鬱剤があるんだろう。

一方大学院生は、われわれの中でおそらくもっとも政治的に啓発されていると同時にもっとも従順である。そのために彼らが働いている「使命感」とは、網状組織から遠ざかるという ファンタジー、または労働市場の外に出ること以外の何ものでもない。すべての院生はロビンソン・クルーソー候補生であり、市場の要求から減じられた島嶼的経済を夢見ている。しかし、このファンタジー自体が市場への一貫した服従によって維持されているのである。もはや、昼間に資本主義批判の要約が教えられ、夜になるとジョブトークが洗練されることに、いささかの矛盾が感じられることもない。われらの歓びはわれらの労働。それこそがただ一つわれらの兆候を御しやすくする也。美学と政治は歴史に取って代わる代替イデオロギーの結果崩壊する。酔いどれ、美術、その他存在についての問題を扱うセミナー、書体の不変的な霞、どこかの誰かによって支払われた各ピクセル。それは私ではなく、ここではない。出現するあらゆるものは善きものであり、あらゆる善きものはクレジットによって達成可能であることが明らかとなる。

大学院とは端的に資本主義のロジックに適用された封建制度の消え行く名残である。スター教授の支配的高位からほとんどの場合低賃金のTAや非常勤講師が密集する位階まで。ここにおいてはある種修道院的なものが支配的であり、ベネディクト会修道士のあらゆるゴシック的儀式や、その不可欠な利他主義であるこの務めのための実に奇妙な神学的主張までそろっている。下々のものどもは師匠の弟子であることにすっかり満足しきっていて、簡単な計算すらできない。すべてのセメスターにおいてわれわれの9/10は4つの授業を担当することになり、われわれすべてがその選ばれた一人になれるというフィクションを支える残り1/10の給料の埋め合わせをすることになる、ということを。もちろん、スターになるのはこの私、大都市で終身雇用の教授職にありつき新たに再開発されたエリアに引っ越すのは、この私だ。

われわれはマルクスのフォイエルバッハに関する第11テーゼを解釈することになる。「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけである。肝心なのはそれを変革することである。」最良の場合、 われわれは批評のまさしく限界に届こうとし、そこで消滅する不死鳥のようなスキルを学ぶ。見たところ、根絶不可能な起源において再び始めるためだけに。このパフォーマンスの前半部にわれわれは感嘆する。それはわれわれの行く先を光で照らす。しかし、自滅的な思考のポイントを突破する道具、実践における蝶番をわれわれ求める。

批評の実践者は同時にもっとも冷笑主義の影響を受けやすい人物でもある。だが、もしも冷笑主義が熱狂の転化した形式に過ぎないのならば、欲求不満を抱える左翼の学者の下方にあるのは潜在的ラディカルである。肩をすくめ、まぬけな顔で、当惑に身をよじる。アメリカ合衆国が2003年から2006年の間に百万のイラク人を殺害したということ、銀行業界を食わせるためにアメリカのもっとも貧しい人々から最後の小銭が搾り取られるということ、海面は上昇し、数十億人が死ぬ羽目になり、われわれはそれに対して何もできないといったことを議論する時に。この当惑した姿勢は、現在の左翼思想においてそうであることすべきことの間で引きずり回されるように感じることに由来している。オルタナティブはない、と感じる一方別の世界は可能だとも感じるのだ。

われわれは不埒な真似はしない。こういった立場のジンテーゼはわれわれの真正面にある。別の世界は可能なのではない。それは不可欠である。「すべきこと」と「であること」は一つである。グローバル経済の崩壊は今ここにある。

II.

近代の大学は固有の歴史を持たない。その歴史とは資本の歴史であり、その本質的な機能とは資本と労働力の関係の再生産である。とある私企業が買われたり売られたりするわけではないが、その収入は投資家に支払われ、公立大学はそれでもなお可能な限り有効にこの機能を実行に移す。かつてなく、企業の形式に近づくことによって。現在われわれが目撃しているのはこのプロセスの大詰めであり、それによって教育機関のファサードは企業的な合理化にすっかり道を譲ることになる。

第二次世界大戦後から1960年代後半まで続いた資本主義の黄金時代にあっても、リベラルな大学はすでに資本に従属していた。高等教育への公的支出が最高潮に達した1950年代においてすでに、「共産主義」を打ち負かし合衆国のヘゲモニーを支えるのに必要なスキルを備えたテクノククラートを生産するために大学は再設計されていた。冷戦期を通じたその役割は、自由民主主義の正当化および自由で平等な市民による想像上の社会の再生産であった。そもそも、誰も自由ではなく、平等でもなかったからである

しかし、第二次世界大戦後に公立大学のこのイデオロギー機能に適切に資金が提供されていたとしても、1960年代にこういった状況は不可逆的に変ってしまったのだが、どれだけ社会民主主義者が踵を揃えて敬礼しようとも、戦後の経済成長期の死んだ世界を回復させることはないだろう。1965年から1980年の間に、まず合衆国で次いですべての先進工業国において、利率は下がり始めた。資本主義は、かつて可能であったようには、豊かな生活を支えられないことが明らかとなった。資本にとっては、豊かさは過剰生産として、労働からの解放は失業として現れる。1970年代初頭、資本主義は末期的景気後退に突入する。そこにおいて、常勤雇用職は臨時雇用契約に切り替えられ、労働者階級の賃金は停滞する。その間、トップにいるものたちは妖しげな金融魔術によって一時的に報酬を受けたが、それも維持不可能であることが証明された。

公共教育にとり、長期におよぶ景気停滞は、経済成長の低下とそれに悩まされた企業向け減税措置の優先に起因する税収の減少を意味する。公共財源の乗っ取りはまずカリフォルニアを襲い、次いで全国に広がった。1970年代のことである。それは、ビジネスサイクルの下降局面が訪れるたびに襲撃を続けている。市場に直接借りがあるわけではないもの、大学およびその原理は他の産業と同様にコストカットの論理の支配下にある。税収の減少のため労働の臨時雇用化は不可避である。教授の退官は終身雇用の道を開くのではなく、遥かに低い賃金で同様の仕事を行う不安定雇用のTA、助手、非常勤講師のポストを創出するのである。授業料の上昇はカットを補正し、学生がそのために支払って訓練を受けているような労働は消え去った。

長期におよぶであろう現在起きている危機のただ中において、左派の多くは公共教育の黄金時代への回帰を望んでいる。彼らは素朴に想像する。現在の危機は過去への回帰を要求する好機である、 と。しかし、高利率と力強い経済成長に依存する社会プログラムは消え去ったのだ。資本主義社会において自律的な「公共教育」などありえない、という明らかな事実を無視して、取り返しのきかない地点において無益な横領を望むわけにはいかない。大学は資本主義の真の危機に従属している/その主体であり、資本はリベラルな教育プログラムを必要としない。大学の機能とはつねに、労働者階級の再生産であり、そのために変わりゆく資本のニーズに合わせて未来の労働者を訓練してきた。今日の大学の危機とは労働者階級の再生産の危機であり、資本がもはやわれわれを労働者として必要としない時代の危機なのである。われわれは、公共教育制度の回帰を呼びかけることによって、市場の要求から大学を解放することはできない。その上に制度が設計された資本の論理そのものの終点をわれわれは生きている。われわれが到達を望むことが可能な唯一のオートノミーは資本主義の向こう側に存在している。

われわれの闘争にとってこのことが意味するのは、過去に遡ることはできない、ということである。過去の学生闘争は消え去った世界の遺品である。1960年代には、戦後の経済成長がちょうどほぐれ始めたばかりであったため、大学の域内に収まっていたラディカルたちは別の世界が可能であることを理解していた。官僚的マネージメントにうんざりし、体制順応的な社会の鎖を断ち切ることを望み、豊かな時代には不必要であるとして疎外された労働を拒否し、学生たちは労働者階級のラディカルな部分と協力しようと試みた。しかし彼らのラディカル化の様式は、資本主義の経済論理への接続があまりに希薄であったため、協力関係が根を下ろすことはなかった。ベトナム戦争への抵抗は植民地戦争機械としての資本主義批判にとどまり、国内労働者の搾取については不十分であったため、学生たちは別の問題に直面していた労働者階級とは簡単に切り離されてしまった。戦後の経済成長の黄昏において、大学は現在の段階ほどは資本によって包摂されておらず、負債と労働市場の荒廃による学生のプロレタリア化はそこまで激しくなかった。

それゆえ、われわれの闘争は根本的に異なるのである。学生生活の貧困は終点であり、約束された出口は存在しない。1970年代の経済危機が1960年代の政治危機を打ち砕くために出現したのだとすれば、今日の経済危機が来るべき政治的蜂起に先行しているという事実は、われわれはついに過去の闘争の取り込みや中立化に取って代わることができるかもしれない、ということを意味する。正常な状態に後戻りする道はないのだ。

III.

われわれは大学の闘争をその限界まで押し進めたい。

われわれは大学の民営化およびその統治の権威的システムを糾弾するものの、構造改革を要求するわけではない。われわれが要求するのは自由で無償の大学ではなく、自由で無償の社会である。資本主義社会のただ中にある自由で無償の大学は、監獄の中の読書室のようなものである。それは日常生活の悲惨の気晴らしとして奉仕するのみである。代わりにわれわれは、持たざる学生と労働者の怒りを宣戦布告の方向へ向けることを望んでいる。

われわれは大学の機能妨害から始めなくてはならない。肉体と事物の正常な流れを中断し、労働と授業を停止に追い込まなくてはならない。われわれは封鎖し、占拠し、われわれのものを奪い返す。対話と相互理解を妨げるものとしてこのような妨害を見るのではなく、われわれが言わねばならないこと、われわれが理解される仕方、としてそれらを見る。これこそが、社会基盤において敵対利益を危機が暴露する際に、唯一意味のあるポジションである。団結への呼びかけはまったくもって空虚である。現状を支持するものとその破壊を求めるものの間に共通の地平などあるはずがない。

大学の闘争は、拒否と蜂起の新たなサイクルが始まる数多くのセクターの内の一つである。労働現場、地域、スラムなどとともに。われわれの未来はすべてつながっており、それゆえわれわれの運動は彼らに加わらねばならなくなり、大学を構成する壁に砲尾をつけ、ストリートに溢れでる。最近、ベイエリアの公立学校教師、BART従業員、および失業者はデモとストライキによって脅しをかけた。こういった運動はそれぞれ、危機における労働者階級への再活性化した資本主義側からの攻撃の異なる局面への応答である。分断されて見え、それぞれは些細なものとして現れ、近視眼的で、成功の見込みはなさそうだ。しかし、まとめて捉えれば、広範な拒否と抵抗の可能性をそれらは示唆している。われわれの務めは、共通の条件を明白にし、隠された地下水面のように、それぞれの闘争を養うことである。

近年、われわれはこういった蜂起の高まりを見てきた。教室から始まり、その外部へと広がり社会全体を包囲するにいたった反乱。ほんの二年前、理由なしで若者を解雇できる新しい法律と闘ったフランスの反CPE闘争は、路上に大人数を送り出した。高校生、大学生、教師、学生の親、一般の労働組合員、郊外の若い失業者。彼らはバリケードの同じ側にいた。(しかし、こういった連帯は大抵の場合脆弱である。郊外の移民の若者の暴動と、中心街の大学生は決して合流することはない。そして時には、二つのグループの間には緊張が生まれる。)フランスの学生が大学の幻想を通して目にしてきたものは、避難、啓蒙、承認の場であり、単に働くために訓練されてきたのだった。彼らは労働者として路上に出現し、不安定な未来に抗議した。彼らの立場は学校と仕事場の間の分割を引き裂き、ついで直ちに賃労働者と失業者の支援を引き出した。プロレタリアの拒否の大衆的意思表示において。

運動の発展に伴い、革命と修正の間の緊張の高まりが露となった。その形式は内実よりもラディカルである。学生リーダーのレトリックが単なる旧体制への回帰に焦点を合わせる間、若者の行動は新世代の幻滅と怒りの広がりを高らかに告げた。暴動。ひっくり返され火をつけられた車。道路と鉄道の封鎖。高校と大学を休校に追いやった占拠の波。しかし、こういったすべての事柄にも関わらずいったんCPE法が撤回されるや否や、運動はすぐに崩壊した。運動のもっともラディカルな部分が資本主義に抗する全体的反乱への拡大を望んでいた間、目立った支援を獲得することができず、デモ、占拠、封鎖は衰えやがて死滅した。結局、運動は修正主義の限界を超えることができなかったのである。

2008年12月のギリシア暴動は、こういった限界の多くを突破し、階級闘争の新たなサイクルの始まりを記した。警察によるアテネの若者の殺害への応答として学生によって始められ、数週間におよぶ暴動、略奪、大学や組合事務所やテレビ局の占拠から成る蜂起が続いた。金融および商業地区の全体が燃やされた。運動が数において欠いていたものは地理的な広がりによって埋め合わされ、都市から都市へと広がりギリシア全土を包むにいたった。フランス同様、これは若者の蜂起であった。彼らにとって、経済危機は未来の完全なる否定を表象している。主人公は学生、不安定労働者、移民であり、反CPE運動の脆弱な連帯を遥かに凌ぐ統一レベルに到達したのである。

このことは重要であるが、彼らはほとんど何の要求も掲げなかった。もちろん、 デモ隊の中には警察システムの改革や政府の特定の政策を批判するものもいたが、一般的に言えるのは、彼らは政府、大学、仕事場、警察に対して何一つ望んでいない、ということである。それがより良い戦略であるから、ではなく端的に彼らはそういった機関が提供するものを何も望んでいないのである。ここに内実と形式の一致が生まれる。フランスのデモにおいて至る所で出現した楽天的なスローガンが、燃える車と割れたガラスのイメージと共に酩酊する一方、ギリシアにおいては暴動は、政治および経済システム全体の破壊に取りかかるための明白な手段であった。

結局のところ、蜂起を創造したダイナミクスは、その限界をも設けてしまったのだった。それを可能としたのは、都市部、とりわけアテネの旧市街エクサルキア地区における相当規模のラディカルなインフラの存在であった。スクウォット、バー、カフェ、ソーシャル・センター。学生や移民の若者が頻繁に訪れるそういった場が、蜂起を生み出す環境を形成していたのだ。しかしながら、この環境は中年の賃労働者にとっては馴染みのないものであり、それゆえ彼はこの闘争を自分自身のものとして見ることはない。暴動を起こす若者たちに連帯を示すものたちは多かったものの、大人たちはこの暴動を子供たちの運動として理解した。つまり、労働市場への参入を望みながら正式にフルタイムで雇用されていないプロレタリアの一部の暴動として。学校や移民の多く住む郊外では激しかった蜂起は、仕事場に広がることはなかった。

現在の闘争におけるわれわれの任務は、形式と内実の間にある矛盾を明らかにし、修正主義者の要求を超える条件を作り出し、真にコミュニスト的な内実を実行に移すことである。組合と学生と大学スタッフが彼らのさまざまな「問題」を押し進めるのと平行して、われわれはまったく異なるものを求めているのだ、ということが明らかとなるまで緊張を高めなくてはならない。民主化と透明化への要求の矛盾を絶えず暴露しなくてはならない。物事がいかに我慢のならないものであるかを見る権利を獲得することや、われわれをぺてんにかける人物を選挙で選ぶことが善きことなのか?その非暴力の道徳的なマントラと問題を一点に設定するやり方とともに、学生運動の文化を打ち遣らねばならない。われわれが満足できる唯一の成功、それは資本主義的な生産様式の廃止であり、21世紀に約束された困窮と死の回避である。われわれの行動はすべて共有化(communization)に向けて押し進められなければならない。つまり、無償の贈与と受け取りの論理に基づく社会の再編成であり、賃労働、価値形成、強制労働、為替の即時廃止である。

われわれの闘争にとって占拠は重要な戦術であるが、それを修正主義的な方法で利用する傾向には抵抗する。一月に、ニューヨークのニュースクールの建物を学生が占拠した際、占拠という戦略の異なる利 用法が明らかとなった。その多くが大学院生である友人間のグループは、学生センターの乗っ取りを決定し、そこを学生と一般向けに開放された空間とすることを要求した。すぐに他のものたちが合流したが、その多くは修正を勝ち取るためのてこ入れとしてこの行動を利用することを好んだ。とりわけ、学長の追放のために。占拠が続くにつれ、違いは沸騰点に達した。学生修正主義者たちが事務局から実際に譲歩を勝ち取った上で、建物を離れることに焦点を合わせたのに対し、他のものたちは要求を完全に遠ざけた。彼らが見出した占拠の意味とは、資本主義の時間と空間におけるはかない開始の創造であり、新たな社会の輪郭を描く再編としてである。われわれは、この反修正主義者たちの側に立つ。こういった自由ゾーンは部分的、一時的となるであろうことをわれわれは知っているが、それが暴露する現実と可能なものとの間の緊張は、闘争をよりラディカルな方向へと押し進めることが可能となるはずだ。

それが一般的なものとなるまで、われわれはこの戦術を採用する。2001年、最初期のアルゼンチンのピケテーロたちは、行われるべき人々の闘争の形を提案した。あちらからこちらへと移動する商品の流通を遮断する道路の封鎖。数ヶ月後この戦術は全国に広がったが、そこにはグループ間の正式な連携はなかったのだ。同様に、反復により、大学の内部と外部の双方で実現されうる抵抗の本能的かつ即座に行われる方法として占拠は設定されうる。昨年、合衆国においてわれわれは乗っ取りの新たな波を目にした。大学および仕事場の双方において。ニュースクールやNYU同様、工場閉鎖に対し乗っ取りによって闘ったシカゴのRepublic Windows Factoryの労働者。次はわれわれの番だ。

ゴールに到達するために、われわれの代理人を自任するグループを信頼することはできない。それが有用である場合は、組合や学生自治会と共闘することにやぶさかでないが、彼らの権威は認めない。われわれはわれわれ自身を直接代表して行動しなくてはならず、その際に調停の余地はない。仕事に戻れ、教室に戻れ、交渉しろ、和解しろ、とわれわれに呼びかけ、闘争に限界を設けようとするグループとは手を切らねばならない。フランスの場合もこうであった。抗議への呼びかけは、元々は高校および大学の団体およびいくつかの労働組合によってなされた。のちに、代表グループが平穏化を主張し、他のものは前へと突き進んだ。ギリシアにおいては、ストライキを停止し、自制を呼びかけることによって組合はその反革命的な性格を明らかにした。

代表者たちによって集められたものたちへのオルタナティブとして、われわれは学生と労働者に職業の境界を越えて組織するよう呼びかける。大学院生、TA、講師、教授、サービス労働者、スタッフが集まり、それぞれの状況を話し合うよう勧める。われわれがお互いに話し合い共通の利益を見出すほど、事務局がわれわれをやせ衰える資源をめぐる望みのない競争に駆り立て互いに闘わせることは難しくなる。最近のNYUとニュースクールの闘争は、こういった深い絆の不在によって苦しめられた。もし彼らから学ぶべきレッスンがあるとしたら、それは共通の敵を認めることに基づく緊密な連帯のネットワークを築かねばならない、ということである。こういったネットワークによって、回収や中立化に対する抵抗力を備えられるようになるばかりでなく、新たな集団的絆を築くことも可能となる。この絆こそが、われわれの闘争の真の基盤となる。

バリケードで会おう。

Research & Destroy

2009

2009年10月12日月曜日

現在には名前がある


10月10日、フランスのポワチエで上のようなデモが行なわれた。
内容は絵柄から想像していただきたい。
いずれにせよ、われわれを破壊するものは破壊しろ、ということだ。
蜂起は真実からはじまる。
真実とは何か?
どうでもいいことをどうでもいいことと感じること、
嘘にまみれて生きているなら、
嘘にまみれて生きていると感じることである。
自明の感覚を手に入れること、それはすでに力である。
クソはクソ、労働はクソ。

この世界にはあまり意味がない。
記号=命令と反応しかない。
たったいま、労働の意味が分かった。
クソを薔薇だと思うことである。

この世界には現在しかない。
つまり割り当てられた時間と空間しかない。
現在には名前がある。
資本主義という名前である。

だからストライキを、スクウォットを。
ストライキをして時間を獲得するのではない。
われわれが時間になるのだ。
スクウォットをして空間を占拠するのではない。
われわれが空間になるのだ。

だから、現在を解体しよう。
68年のお姉さんお兄さんたちの言葉を使えば、
引き剥がす「敷石」とは現在のことで、
見い出される「砂浜」とはエネルギーの解放のことだ。

資本主義はわれわれに時間と空間を指定する。
だがムッシューキャピタリスト、勘違いしないでほしい。
われわれが時間であり空間なのだ。
われわれが照応し共振する色彩なのである。

2009年10月9日金曜日

高校生詩を撒く

10月7日、パリ北西部ルヴァロワのレオナルド・ダ・ヴィンチ高校での光景。高校をブロカージュする生徒たちが抗議しているのは、高校改革ないしそれにともなう85,000のポスト削減である。高校生たちの運動は昨年末から盛り上がったが、それは、警察による15歳の高校生アンドレアス・グリゴロプーロスの射殺をきっかけに発生したギリシア暴動との連帯でもあった。
機動隊は暴力をふるうことをためらわない。国家は何を恐れているのだろうか。ともあれ高校生たちの動きをじっくり見て欲しい。



2009年9月29日火曜日

カリフォルニア大学のピロソピたち

大学は中世に誕生した。大学を生み出したのは、アラビア世界において見い出された哲学に対するラテン人たちの熱狂だった。思惟すること、これが大学の誕生とともに見い出された営為である。大学人は「ピロソピ(哲学者)」あるいは「アラービ(アラブ人)」と呼ばれた。大学は組合として誕生したが、それは正確には思惟する者たちの組合、ということである。
大学=組合を認可したのは当時の最高権威であった教皇である。教皇はピロソピたちを聖職者予備軍とみなした。哲学はたんなる準備過程にすぎない、大学の頂点には神学が君臨する、それゆえ神学を究めなければ一人前ではない、と。それに対してピロソピたちは「ここにとどまろう」というスローガンとともに反神学部闘争を展開する。ただしそれは、哲学を自律的な職分=労働として認めろ、などというさもしい話ではない。ピロソピを突き動かしたのは、哲学的生のほかに何が必要なのか(必要ない)、思惟という快楽以上の快楽が存在するのか(存在しない)、という根源的な問いであり確信であった。哲学、それは職分=労働を踏み越えていく営為だったのである(アラン・ド・リベラ『中世知識人の肖像』、新評論)。

現在のわれわれが生きているのは、「自立する」ということが「雇い主を見つける」ことと同義であるような世界である。残念なのは、たとえば大学でヴィトゲンシュタインを研究していた友人、フリーターをして食いつないでいた友人が、ある日突然、資格の勉強を始めたときである。あるいはパリで出会う日本の大学院生の大半が、パトロンにアピールすることしか頭にない、神学生、労働者のような連中ばかりというこの状況である。労働ばかりで思惟がない。ピロソピがいない、アラービがいない。思惟の快楽を享受する、貧しくとも豊かな哲学的生がない。とりわけ反資本主義がない。

だが、世界には思惟する大学生が必ずいる。われわれを思惟に誘うのは彼ら・彼女らである。以下はカリフォルニア大学サンタクルーズ校を占拠する学生Absent Futureからのコミュニケである。カリフォルニア大学のピロソとともに。近日翻訳公開。


Communiqué from an Absent Future

I

Like the society to which it has played the faithful servant, the university is bankrupt. This bankruptcy is not only financial. It is the index of a more fundamental insolvency, one both political and economic, which has been a long time in the making. No one knows what the university is for anymore. We feel this intuitively. Gone is the old project of creating a cultured and educated citizenry; gone, too, the special advantage the degree-holder once held on the job market. These are now fantasies, spectral residues that cling to the poorly maintained halls.

Incongruous architecture, the ghosts of vanished ideals, the vista of a dead future: these are the remains of the university. Among these remains, most of us are little more than a collection of querulous habits and duties. We go through the motions of our tests and assignments with a kind of thoughtless and immutable obedience propped up by subvocalized resentments. Nothing is interesting, nothing can make itself felt. The world-historical with its pageant of catastrophe is no more real than the windows in which it appears.

For those whose adolescence was poisoned by the nationalist hysteria following September 11th, public speech is nothing but a series of lies and public space a place where things might explode (though they never do). Afflicted by the vague desire for something to happen—without ever imagining we could make it happen ourselves—we were rescued by the bland homogeneity of the internet, finding refuge among friends we never see, whose entire existence is a series of exclamations and silly pictures, whose only discourse is the gossip of commodities. Safety, then, and comfort have been our watchwords. We slide through the flesh world without being touched or moved. We shepherd our emptiness from place to place.

But we can be grateful for our destitution: demystification is now a condition, not a project. University life finally appears as just what it has always been: a machine for producing compliant producers and consumers. Even leisure is a form of job training. The idiot crew of the frat houses drink themselves into a stupor with all the dedication of lawyers working late at the office. Kids who smoked weed and cut class in high-school now pop Adderall and get to work. We power the diploma factory on the treadmills in the gym. We run tirelessly in elliptical circles.

It makes little sense, then, to think of the university as an ivory tower in Arcadia, as either idyllic or idle. “Work hard, play hard” has been the over-eager motto of a generation in training for…what?—drawing hearts in cappuccino foam or plugging names and numbers into databases. The gleaming techno-future of American capitalism was long ago packed up and sold to China for a few more years of borrowed junk. A university diploma is now worth no more than a share in General Motors.

We work and we borrow in order to work and to borrow. And the jobs we work toward are the jobs we already have. Close to three quarters of students work while in school, many full-time; for most, the level of employment we obtain while students is the same that awaits after graduation. Meanwhile, what we acquire isn’t education; it’s debt. We work to make money we have already spent, and our future labor has already been sold on the worst market around. Average student loan debt rose 20 percent in the first five years of the twenty-first century—80-100 percent for students of color. Student loan volume—a figure inversely proportional to state funding for education—rose by nearly 800 percent from 1977 to 2003. What our borrowed tuition buys is the privilege of making monthly payments for the rest of our lives. What we learn is the choreography of credit: you can’t walk to class without being offered another piece of plastic charging 20 percent interest. Yesterday’s finance majors buy their summer homes with the bleak futures of today’s humanities majors.

This is the prospect for which we have been preparing since grade-school. Those of us who came here to have our privilege notarized surrendered our youth to a barrage of tutors, a battery of psychological tests, obligatory public service ops—the cynical compilation of half-truths toward a well-rounded application profile. No wonder we set about destroying ourselves the second we escape the cattle prod of parental admonition. On the other hand, those of us who came here to transcend the economic and social disadvantages of our families know that for every one of us who “makes it,” ten more take our place—that the logic here is zero-sum. And anyway, socioeconomic status remains the best predictor of student achievement. Those of us the demographics call “immigrants,” “minorities,” and “people of color” have been told to believe in the aristocracy of merit. But we know we are hated not despite our achievements, but precisely because of them. And we know that the circuits through which we might free ourselves from the violence of our origins only reproduce the misery of the past in the present for others, elsewhere.

If the university teaches us primarily how to be in debt, how to waste our labor power, how to fall prey to petty anxieties, it thereby teaches us how to be consumers. Education is a commodity like everything else that we want without caring for. It is a thing, and it makes its purchasers into things. One’s future position in the system, one’s relation to others, is purchased first with money and then with the demonstration of obedience. First we pay, then we “work hard.” And there is the split: one is both the commander and the commanded, consumer and consumed. It is the system itself which one obeys, the cold buildings that enforce subservience. Those who teach are treated with all the respect of an automated messaging system. Only the logic of customer satisfaction obtains here: was the course easy? Was the teacher hot? Could any stupid asshole get an A? What’s the point of acquiring knowledge when it can be called up with a few keystokes? Who needs memory when we have the internet? A training in thought? You can’t be serious. A moral preparation? There are anti-depressants for that.

Meanwhile the graduate students, supposedly the most politically enlightened among us, are also the most obedient. The “vocation” for which they labor is nothing other than a fantasy of falling off the grid, or out of the labor market. Every grad student is a would be Robinson Crusoe, dreaming of an island economy subtracted from the exigencies of the market. But this fantasy is itself sustained through an unremitting submission to the market. There is no longer the least felt contradiction in teaching a totalizing critique of capitalism by day and polishing one’s job talk by night. That our pleasure is our labor only makes our symptoms more manageable. Aesthetics and politics collapse courtesy of the substitution of ideology for history: booze and beaux arts and another seminar on the question of being, the steady blur of typeface, each pixel paid for by somebody somewhere, some not-me, not-here, where all that appears is good and all goods appear attainable by credit.

Graduate school is simply the faded remnant of a feudal system adapted to the logic of capitalism—from the commanding heights of the star professors to the serried ranks of teaching assistants and adjuncts paid mostly in bad faith. A kind of monasticism predominates here, with all the Gothic rituals of a Benedictine abbey, and all the strange theological claims for the nobility of this work, its essential altruism. The underlings are only too happy to play apprentice to the masters, unable to do the math indicating that nine-tenths of us will teach 4 courses every semester to pad the paychecks of the one-tenth who sustain the fiction that we can all be the one. Of course I will be the star, I will get the tenure-track job in a large city and move into a newly gentrified neighborhood.

We end up interpreting Marx’s 11th thesis on Feuerbach: “The philosophers have only interpreted the world in various ways; the point is to change it.” At best, we learn the phoenix-like skill of coming to the very limits of critique and perishing there, only to begin again at the seemingly ineradicable root. We admire the first part of this performance: it lights our way. But we want the tools to break through that point of suicidal thought, its hinge in practice.

The same people who practice “critique” are also the most susceptible to cynicism. But if cynicism is simply the inverted form of enthusiasm, then beneath every frustrated leftist academic is a latent radical. The shoulder shrug, the dulled face, the squirm of embarrassment when discussing the fact that the US murdered a million Iraqis between 2003 and 2006, that every last dime squeezed from America’s poorest citizens is fed to the banking industry, that the seas will rise, billions will die and there’s nothing we can do about it—this discomfited posture comes from feeling oneself pulled between the is and the ought of current left thought. One feels that there is no alternative, and yet, on the other hand, that another world is possible.

We will not be so petulant. The synthesis of these positions is right in front of us: another world is not possible; it is necessary. The ought and the is are one. The collapse of the global economy is here and now.

II

The university has no history of its own; its history is the history of capital. Its essential function is the reproduction of the relationship between capital and labor. Though not a proper corporation that can be bought and sold, that pays revenue to its investors, the public university nonetheless carries out this function as efficiently as possible by approximating ever more closely the corporate form of its bedfellows. What we are witnessing now is the endgame of this process, whereby the façade of the educational institution gives way altogether to corporate streamlining.

Even in the golden age of capitalism that followed after World War II and lasted until the late 1960s, the liberal university was already subordinated to capital. At the apex of public funding for higher education, in the 1950s, the university was already being redesigned to produce technocrats with the skill-sets necessary to defeat “communism” and sustain US hegemony. Its role during the Cold War was to legitimate liberal democracy and to reproduce an imaginary society of free and equal citizens—precisely because no one was free and no one was equal.

But if this ideological function of the public university was at least well-funded after the Second World War, that situation changed irreversibly in the 1960s, and no amount of social-democratic heel-clicking will bring back the dead world of the post-war boom. Between 1965 and 1980 profit rates began to fall, first in the US, then in the rest of the industrializing world. Capitalism, it turned out, could not sustain the good life it made possible. For capital, abundance appears as overproduction, freedom from work as unemployment. Beginning in the 1970s, capitalism entered into a terminal downturn in which permanent work was casualized and working-class wages stagnated, while those at the top were temporarily rewarded for their obscure financial necromancy, which has itself proved unsustainable.

For public education, the long downturn meant the decline of tax revenues due to both declining rates of economic growth and the prioritization of tax-breaks for beleaguered corporations. The raiding of the public purse struck California and the rest of the nation in the 1970s. It has continued to strike with each downward declension of the business cycle. Though it is not directly beholden to the market, the university and its corollaries are subject to the same cost-cutting logic as other industries: declining tax revenues have made inevitable the casualization of work. Retiring professors make way not for tenure-track jobs but for precariously employed teaching assistants, adjuncts, and lecturers who do the same work for much less pay. Tuition increases compensate for cuts while the jobs students pay to be trained for evaporate.

In the midst of the current crisis, which will be long and protracted, many on the left want to return to the golden age of public education. They naïvely imagine that the crisis of the present is an opportunity to demand the return of the past. But social programs that depended upon high profit rates and vigorous economic growth are gone. We cannot be tempted to make futile grabs at the irretrievable while ignoring the obvious fact that there can be no autonomous “public university” in a capitalist society. The university is subject to the real crisis of capitalism, and capital does not require liberal education programs. The function of the university has always been to reproduce the working class by training future workers according to the changing needs of capital. The crisis of the university today is the crisis of the reproduction of the working class, the crisis of a period in which capital no longer needs us as workers. We cannot free the university from the exigencies of the market by calling for the return of the public education system. We live out the terminus of the very market logic upon which that system was founded. The only autonomy we can hope to attain exists beyond capitalism.

What this means for our struggle is that we can’t go backward. The old student struggles are the relics of a vanished world. In the 1960s, as the post-war boom was just beginning to unravel, radicals within the confines of the university understood that another world was possible. Fed up with technocratic management, wanting to break the chains of a conformist society, and rejecting alienated work as unnecessary in an age of abundance, students tried to align themselves with radical sections of the working class. But their mode of radicalization, too tenuously connected to the economic logic of capitalism, prevented that alignment from taking hold. Because their resistance to the Vietnam war focalized critique upon capitalism as a colonial war-machine, but insufficiently upon its exploitation of domestic labor, students were easily split off from a working class facing different problems. In the twilight era of the post-war boom, the university was not subsumed by capital to the degree that it is now, and students were not as intensively proletarianized by debt and a devastated labor market.

That is why our struggle is fundamentally different. The poverty of student life has become terminal: there is no promised exit. If the economic crisis of the 1970s emerged to break the back of the political crisis of the 1960s, the fact that today the economic crisis precedes the coming political uprising means we may finally supersede the cooptation and neutralization of those past struggles. There will be no return to normal.

III

We seek to push the university struggle to its limits.
Though we denounce the privatization of the university and its authoritarian system of governance, we do not seek structural reforms. We demand not a free university but a free society. A free university in the midst of a capitalist society is like a reading room in a prison; it serves only as a distraction from the misery of daily life. Instead we seek to channel the anger of the dispossessed students and workers into a declaration of war.

We must begin by preventing the university from functioning. We must interrupt the normal flow of bodies and things and bring work and class to a halt. We will blockade, occupy, and take what’s ours. Rather than viewing such disruptions as obstacles to dialogue and mutual understanding, we see them as what we have to say, as how we are to be understood. This is the only meaningful position to take when crises lay bare the opposing interests at the foundation of society. Calls for unity are fundamentally empty. There is no common ground between those who uphold the status quo and those who seek to destroy it.
The university struggle is one among many, one sector where a new cycle of refusal and insurrection has begun – in workplaces, neighborhoods, and slums. All of our futures are linked, and so our movement will have to join with these others, breeching the walls of the university compounds and spilling into the streets. In recent weeks Bay Area public school teachers, BART employees, and unemployed have threatened demonstrations and strikes. Each of these movements responds to a different facet of capitalism’s reinvigorated attack on the working class in a moment of crisis. Viewed separately, each appears small, near-sighted, without hope of success. Taken together, however, they suggest the possibility of widespread refusal and resistance. Our task is to make plain the common conditions that, like a hidden water table, feed each struggle.
We have seen this kind of upsurge in the recent past, a rebellion that starts in the classrooms and radiates outward to encompass the whole of society. Just two years ago the anti-CPE movement in France, combating a new law that enabled employers to fire young workers without cause, brought huge numbers into the streets. High school and university students, teachers, parents, rank and file union members, and unemployed youth from the banlieues found themselves together on the same side of the barricades. (This solidarity was often fragile, however. The riots of immigrant youth in the suburbs and university students in the city centers never merged, and at times tensions flared between the two groups.) French students saw through the illusion of the university as a place of refuge and enlightenment and acknowledged that they were merely being trained to work. They took to the streets as workers, protesting their precarious futures. Their position tore down the partitions between the schools and the workplaces and immediately elicited the support of many wage workers and unemployed people in a mass gesture of proletarian refusal.

As the movement developed it manifested a growing tension between revolution and reform. Its form was more radical than its content. While the rhetoric of the student leaders focused merely on a return to the status quo, the actions of the youth – the riots, the cars overturned and set on fire, the blockades of roads and railways, and the waves of occupations that shut down high schools and universities – announced the extent of the new generation’s disillusionment and rage. Despite all of this, however, the movement quickly disintegrated when the CPE law was eventually dropped. While the most radical segment of the movement sought to expand the rebellion into a general revolt against capitalism, they could not secure significant support and the demonstrations, occupations, and blockades dwindled and soon died. Ultimately the movement was unable to transcend the limitations of reformism.

The Greek uprising of December 2008 broke through many of these limitations and marked the beginning of a new cycle of class struggle. Initiated by students in response to the murder of an Athens youth by police, the uprising consisted of weeks of rioting, looting, and occupations of universities, union offices, and television stations. Entire financial and shopping districts burned, and what the movement lacked in numbers it made up in its geographical breadth, spreading from city to city to encompass the whole of Greece. As in France it was an uprising of youth, for whom the economic crisis represented a total negation of the future. Students, precarious workers, and immigrants were the protagonists, and they were able to achieve a level of unity that far surpassed the fragile solidarities of the anti-CPE movement.

Just as significantly, they made almost no demands. While of course some demonstrators sought to reform the police system or to critique specific government policies, in general they asked for nothing at all from the government, the university, the workplaces, or the police. Not because they considered this a better strategy, but because they wanted nothing that any of these institutions could offer. Here content aligned with form; whereas the optimistic slogans that appeared everywhere in French demonstrations jarred with the images of burning cars and broken glass, in Greece the rioting was the obvious means to begin to enact the destruction of an entire political and economic system.

Ultimately the dynamics that created the uprising also established its limit. It was made possible by the existence of a sizeable radical infrastructure in urban areas, in particular the Exarchia neighborhood in Athens. The squats, bars, cafes, and social centers, frequented by students and immigrant youth, created the milieu out of which the uprising emerged. However, this milieu was alien to most middle-aged wage workers, who did not see the struggle as their own. Though many expressed solidarity with the rioting youth, they perceived it as a movement of entrants – that is, of that portion of the proletariat that sought entrance to the labor market but was not formally employed in full-time jobs. The uprising, strong in the schools and the immigrant suburbs, did not spread to the workplaces.

Our task in the current struggle will be to make clear the contradiction between form and content and to create the conditions for the transcendence of reformist demands and the implementation of a truly communist content. As the unions and student and faculty groups push their various “issues,” we must increase the tension until it is clear that we want something else entirely. We must constantly expose the incoherence of demands for democratization and transparency. What good is it to have the right to see how intolerable things are, or to elect those who will screw us over? We must leave behind the culture of student activism, with its moralistic mantras of non-violence and its fixation on single-issue causes. The only success with which we can be content is the abolition of the capitalist mode of production and the certain immiseration and death which it promises for the 21st century. All of our actions must push us towards communization; that is, the reorganization of society according to a logic of free giving and receiving, and the immediate abolition of the wage, the value-form, compulsory labor, and exchange.
Occupation will be a critical tactic in our struggle, but we must resist the tendency to use it in a reformist way. The different strategic uses of occupation became clear this past January when students occupied a building at the New School in New York. A group of friends, mostly graduate students, decided to take over the Student Center and claim it as a liberated space for students and the public. Soon others joined in, but many of them preferred to use the action as leverage to win reforms, in particular to oust the school’s president. These differences came to a head as the occupation unfolded. While the student reformers were focused on leaving the building with a tangible concession from the administration, others shunned demands entirely. They saw the point of occupation as the creation of a momentary opening in capitalist time and space, a rearrangement that sketched the contours of a new society. We side with this anti-reformist position. While we know these free zones will be partial and transitory, the tensions they expose between the real and the possible can push the struggle in a more radical direction.
We intend to employ this tactic until it becomes generalized. In 2001 the first Argentine piqueteros suggested the form the people’s struggle there should take: road blockades which brought to a halt the circulation of goods from place to place. Within months this tactic spread across the country without any formal coordination between groups. In the same way repetition can establish occupation as an instinctive and immediate method of revolt taken up both inside and outside the university. We have seen a new wave of takeovers in the U.S. over the last year, both at universities and workplaces: New School and NYU, as well as the workers at Republic Windows Factory in Chicago, who fought the closure of their factory by taking it over. Now it is our turn.
To accomplish our goals we cannot rely on those groups which position themselves as our representatives. We are willing to work with unions and student associations when we find it useful, but we do not recognize their authority. We must act on our own behalf directly, without mediation. We must break with any groups that seek to limit the struggle by telling us to go back to work or class, to negotiate, to reconcile. This was also the case in France. The original calls for protest were made by the national high school and university student associations and by some of the trade unions. Eventually, as the representative groups urged calm, others forged ahead. And in Greece the unions revealed their counter-revolutionary character by cancelling strikes and calling for restraint.

As an alternative to being herded by representatives, we call on students and workers to organize themselves across trade lines. We urge undergraduates, teaching assistants, lecturers, faculty, service workers, and staff to begin meeting together to discuss their situation. The more we begin talking to one another and finding our common interests, the more difficult it becomes for the administration to pit us against each other in a hopeless competition for dwindling resources. The recent struggles at NYU and the New School suffered from the absence of these deep bonds, and if there is a lesson to be learned from them it is that we must build dense networks of solidarity based upon the recognition of a shared enemy. These networks not only make us resistant to recuperation and neutralization, but also allow us to establish new kinds of collective bonds. These bonds are the real basis of our struggle.

We’ll see you at the barricades.

Research and Destroy

2009

http://wewanteverything.wordpress.com/2009/09/24/communique-from-an-absent-future/

2009年9月7日月曜日

バケツの中身

 ボローニャプロセス(EU大学改革。フランスにおけるその現れとして「ぺクレス法」がある。大学は学長が各自「経営」してください、というもの)の実行期限年である2010年を間近に控え、9月1日からフランスの大学の新年度が始まった。動画はレンヌ第二大学学長マルク・ゴンタールによる新年度挨拶(1:25から注目)。この学長は今年4月、年度末試験の中止、全員の進級を求める学生らにより「監禁」されている。

2009年8月31日月曜日

だいきらいだ だいにっほん間接民主制

1)まず謝れ無能経営を。原蓄→不況→怒髪天をついて叛乱なんじゃ。原蓄がおかしいっていい加減に気づけバカ。何か言ってみろ無徳の輩が。ぜんぶ不況とおぼっちゃまくんのせいにできると思うなよ。

2)バラ撒き批判をしたいようだが、その前に尋ねる。いい感じで答えられたら批判させてやってもいい。「バラ撒いて経済効果がなかった」ことがあるのか、もし「バラ撒き」をやったことがあるとして、しかし経済効果がなかったとするならその理由は何だと思うか。歴史的に答えよ。

3)「そんな余裕無い」「財源どこだ」だと? どっちが養ってもらってるかようく考えてみろ。そのうえで、「余裕」って何か言ってみな。

3')生きてる俺が重要なんだ。直ちに俺への寄生を止めよ。「パラサイト・シングル」だと? 「自立」だと? 「自由経済」だと? サナダムシはお前だよ、ってかサナダムシに悪いわボケ。虫および寄生をなめんなよ。


4)道州制も認めねえからな。俺たちは歴史的に懲りているからな。そうそう言いくるめられねえぞ。 収奪された愛を今回はけして手放さないからな。覚えとけよタダ乗り野郎。

5)進歩ねえなあ!苦労が足りねえなあ!まあがんばれよ。俺たちはもうすでに、もっと遠くまで来てるから、
「見切りつけて ずらかろうぜ 失礼スルゼ! bye-bye」


5’)われわれは、永久に叛乱する。お前たちになぞ何か期待するか太鼓腹共が。ざまあみやがれ、

2009年8月27日木曜日

風死す、晩夏八首

「投票って行ったほうがいいの?」と凶悪な仏文学者にきかれて、
バディウは投票とかカンケーネーって言ってるって自分で書いてたじゃないですか、と思ったのだけれど、
承知のうえできいてくるこの人ったら ほんとうにほんとうのことしか言わないのだからな。
おれじつはどうでもよくて、というか自分のことしか考えていなくて、
「はばかりながら辞民党には入れたことありません」と一生言いたいがためだけに行ってます、
とは よう言わずに(辞がずっとのさばっていくのだろうとこれまでの生涯思ってたので)、
「行っちゃいますねえ投票 行かないとなんか気持ち悪くて」と言いました、すいません。

僕の理解者 B D T、全員アナキストです 大好きです
ずっと内田百閒にはかなわないと思ってきましたが、
これでちょっとだけせいせいしました、
おいじじい、てめえよりかおれの駄句のほうが剣呑だろう、
いつでも生活と革命は一体だ、
借金がなくてもあっても 焼け野原の掘立小屋に住んでいてもいなくても
死後に小銭しかなくてもあってもな

ブランキは政治なんて無えよって思っていたのだそうです
ペルティエもそうだった
全部わやになった場所に立ちたい、それは
虚無ではなく 誰も死なずに わが宇宙をひりだす事態があちこちで出来してほしい
ということの発端ではないか

こないだ新聞に「ゾンビ企業死すべし」って出てました、
それ おれが行ってる会社ですすいません
殺すべしじゃなくて死すべしっていうのは
タランティーノじゃなくイーストウッドってことですよね
おれは断然タランティーノです
「ハードボイルド」というジャンルは嘘ばっかりです
タランティーノはかたゆでたまごじゃなく生卵
おれは生卵のほうがうまい!

なんでSFで「可能世界」「多元宇宙」ってやったんだと思う?
知りつつある私が 虚構を書く ということです

芥川は書きました、
「夢は既に地上から去った。われわれも慰めを求めるためには(ブランキのように)
何万億哩の天上へ、――宇宙の夜に懸った第二の地球へ
輝かしい夢を移さなければならぬ。」
あっ、おれがじっと悩んでいることを
「夢を移す」という一言でかたづけるのか
このヤクチュウ!

ドン・キホーテが悩んでいるので僕はとても悲しい
「あいつは変わっちまった そうおれは河を 渡った
なぜだろう? ゆうべも」
この歌をきいて
悲しいのではない、うらやましいのだとわかった

黒衣の革命家!わたしはあなたに会ったことがある
夢の中で A.C.の小説の中で 新宿で ロンドンで レスボスで