2011年6月29日水曜日

東京もひどいです



(週刊現代7/9)

全然報道していないらしいが東京の車からプルト君も検出されたらしい
いつかの春 水元公園で猫に出会った
文字どおりの「ねこなで声」で食い物をねだられた
可愛い君 いまごろどうしてる
どこかに引っ越してくれてることを願う
猫君と僕はクマムシになって原子力帝国を襲撃する

2011年6月28日火曜日

株主ファッション



(6月28日東電株主総会、入場する株主たち。レイバーネット日本より)

でた~株主ファッションの模範~
よくテレビで株の話になると
信託銀の前とかでインタビューされてる「投資家」って、
みんなこういう格好してるよね。なんで?
メンズは白茶けた色の釣りベストかジャンパー(ポッケがいっぱいついてて便利)、
グレーのずぼんに変なスニーカー様の靴、
ショルダーバッグに白茶けた色の帽子が基本だよ!

だけど、さすがに今回の東電株主総会は
過去最多の9309人が出席してて、
うち402名のかぶぬし君たちが「脱原発」を提案したんだって。
原子力帝国全体からみればいち電力会社なんて鼻糞みたいなもんだけど、
ひとりのかぶぬし君にとってみれば一大事だもんね。
つぶれないで、これからもえねるぎー産業にくいこんでってもらわないと、
大損しちゃうもんね。変わり身も早くなるよね。
それにしてもあとの8907人はどうしたのかな?
がんばれかぶぬし君!人間になるなら今しかない!金を棄て徳をとれ!

(注:後で知ったがこの402名の人々は「脱原発・東電株主運動」で、
東電にとっては獅子身中の虫であった。
いずれにしても、株を買って「わが社」にもの申すとか、議案提出には何株必要とか、
株式会社ということの全体が厭な感じである。
株式会社の話なんて書くんじゃなかったと後悔した。)

2011年6月27日月曜日

ヒロシマの元軍医談「人をああいう目にあわせて殺した側は、完全犯罪だよね」

「タバコの概念をくつがえすセシウム入り健康タバコ」
の開発で知られる、放射線医学の世界的権威、
Dr.ナカガワの告白連載(?)がスタート!
「これからあからさまにガン漬けになるけど、
みんな、がんばろうね! くじけちゃだめ!
爆発以来、ずううと大丈夫って言い続けてきたわけだけど、
いろいろバレちゃったし、
もうボコられるのが怖くて外歩けなくなっちゃって。
だから、気づかれないようにこっそりと、
『低線量被曝重視派Dr.ナカガワ』になっちゃおうと思うんだ!
みんな、これからもよろしくね!」

お前の話きくひまあったら肥田さんの話をきくわ!ボケ!
文字起こしもあります

沈黙の喪のなかにいる全国の大学人へ

告知・転載
【アレゼール日本シンポジウム】
沈黙の喪のなかにいる全国の大学人へ、
福島そして東京からのメッセージ

6月初旬、福島大学の教員12名が県知事に宛てて、
放射能被曝の現状解明と対策を求める「要望書」を提出した。
福島の大気と大地と海がとりかえしのつかない形で汚染されるなか、
その事実から目をそむけることなく行動することを彼らは訴えている。
「フクシマ」はわれわれにとって対岸の火事ではない。
日本の大学人は惨事後の呆然とした沈黙に留まるよりは、
「喪」を意識化する作業を通じて、
自らの身体と言葉で応答する準備を始めるべきではないだろうか。
今回は、福島からの声を聞き、東京からのメッセージを
「大学」という場所で共鳴させることで、
現在のカタストロフィを思考するための希望の糸口を模索したい。

■発言:
石田葉月(福島大)
入江公康(立教大)
岩崎稔(東京外語大)
鵜飼哲(一橋大)
白石嘉治(上智大)
高橋哲哉(東京大)
西山雄二(首都大学東京)
浜邦彦(早稲田大)
■司会:岡山茂(早稲田大)

■日時:2011年7月16日(土) 13:30~18:00
■場所:早大 早稲田キャンパス 8号館 B02教室(地下1階)
[参加料無料、事前の参加申し込み不要、プログラムの一部は調整中です]
■会場アクセス:
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html
(JR高田馬場駅から:「早大正門行き」バスで終点まで/東京メトロ東西線早稲田駅から:徒歩5分)
[アレゼール日本事務局]

2011年6月23日木曜日

われわれ福島国民は逐電する

プルサーマル、高速増殖炉、MOX燃料による発電といったものによる「核燃料リサイクル」の構想は、こうした資本のみる永久機関の夢である。それは資本が資本であるためには不可欠なファンタジーである。今日において原子炉は、国家と資本をつなぎとめるための固定指示子の機能をはたしているのだ。原子炉がなければ、国家は国家でなくなり、資本は資本でなくなる。収奪や戦争といった国家によってなされた諸行為の束は、原子炉というピンによって、資本に留められ、またそのことによって国家は国家たるべき正統性をえることになる。おなじことが、産学官の連携についても言える。原子炉という固定指示子がなければ、原子炉工学という学問は、まるで霧のように消えてしまうだろう。こうした文脈において、国家と資本、および大学は原子炉の奴隷であり、そこに携わる者たちは、この巨大で危険な自然現象に命がけで仕えることになるのだ。(…)
今日において崇高なる人物のイメージとして求められるのは、自己犠牲の身振りではなく、むしろ徹底してエゴイスティックにふるまうことである。福島国民であるわれわれは、すでに確率論的な世界に投げだされている。(…)こうした状況における英雄的な態度は、惜しげもなく、愉快で充実した人生をできるだけ長く続けることを目指すことである。(…)
カタカナ書きされ、復興の物語から排除すべき標をおされてしまったこの「フクシマ」という状況と積極的に同一化することを基盤に、3月11日以降の倫理を再構築しなければならない。(…)原発があろうとなかろうと、われわれは喰っていくために最高の人生を歩んでいかなくてはならないのだ。
日本国そのものに対する海外からの風評、偏見、蔑視、といった表象の傾向は、今後も加速するだろう。しかし、それらの理不尽な行為は「フクシマ」の当事者たちに対して「われわれ」がしてきたことであり、その意味においてもわれわれは今後ますます福島国民となっていくのである。
この悲惨な状況をわれわれにあたえられた「ステイト」として引きうけ、それに応じてわれわれの「ネーション」を徹底的に書き換えなければならない。自分たちの歴史を書き換えなければならない。時間軸を導入することによって、もはや神話と化している原子炉の歴史をかえてゆくのだ。地図も書き換えなければならない。東京駅を中心に、半径250キロの円を描きその圏内を「原子力都市」と名づけたのは矢部史郎である。彼はこの事態がおきる1年も前にこの黙示録的なイメージを提出している。(…)
われわれこそが「フクシマ」であるという観点なしに進められる、あらゆる反対運動、復興運動は、説得力をなくすはずである。でないと、われらの原子炉はこんどこそ天災によってではなく、恥辱によって崩れ落ちるだろう。(…)

(池田雄一「われら『福島』国民:3.11以降を生きるためのアジテーション」、『思想としての3.11』河出書房新社)

2011年6月20日月曜日

あわわわ

2011年6月16日木曜日

ATOM-STAAT STILLEGEN



原子力推進派は彼らのいちかばちかの賭けで、最後の勝利を得るために多くの危険を冒す気でいるが、それらのうちアルフィン・ヴァインベルク(Alvin M. Weinberg)によって提言された新しいエリートという「制度的方策」ほど危険なものはない。それは、原子力賭博者とその援助者が民主主義を新しい階級秩序のために犠牲にする覚悟でいること、彼らが既存の不正な権力関係を安全性という目的から永続化したがっていることを含んでいる。それだけでなく、この考え方の背後には、危険な装置の要求通りに「確か」で、意志なしで働く機械部品と同じように感情がなく、注意深く、信頼でき、飽きることがなく、意のままになる「人間類型」をつくりだすことができるだろうという思想があるのだ。
(ロベルト・ユンク『原子力帝国』山口祐弘訳、現代教養文庫、1989[原書1977])

2011年6月15日水曜日

何も良くなっていない…


←汚染水をかきわけ怒りの形相で進む菅原さん(ウソ)

文太が言ったよ、「ドイツ、イタリアと反原発同盟を組もう」て。
文太かよ、とも思ったけど、
あんま好きじゃなかったけど最近になく感心した。
(隣で同調していた浜ちゃんの人は、
先に『釣りバカ日誌』と原発の関係を謝ったほうがいいんじゃ?
それはそうと文ちゃんが権利を有している
『吉里吉里人』映画化の話はいずこへ?文ちゃんがんばれ。)
誰か『社長 島耕作』と吉永小百合を何とかしてくれ。
6.11、暗い土曜日、
「反原発運動」で気持ちを落ち着けたいわけじゃない、
亀裂を探してあばれつづける。
アラブの、スペインの、イタリアの、ベトナムの、中国の、中南米の集会は、
われわれの集会である。
鮎1万2000匹も死ぬし(@金沢。苔つながり。チェルノブイリでも苔食ってたトナカイ食って人ががっつり被曝したのだ)、
なにもしらない猫はアスファルトに寝ころんでるし(アジサイに近づいちゃだめだよ!)、
10年も実をつけなかった友だちの家のオリーヴの木にとつぜん実がぶりぶりなったというし、
耳なしウサギは生まれるし、
巨大タンポポは咲くし、
幼児は駅の花壇を掘り返してるし(おいパパさん、息子をほったらかして電話してる場合かよ)、
キャベツにつづいて酪農のひとも自殺してしまったし、
何も 一切 全く 良くなっていない。全く、どうしようもない。
空気も海も土も滅茶苦茶だ。呼吸と食事に恐怖を抱いたまま怯え暮らしている。
絶望は深まる一方だ。

「我々に夢を見る自由を与えないのなら、
我々はお前たちに眠る自由を与えない
Si no nos dejáis soñar, no os dejaremos dormir.」
(廣瀬純「増殖するタハリール広場」、『週刊金曜日』6/10号)


おまけ。あれ?何かついてますよ。どうしたの?(11/06/2011@新宿)