2011年3月29日火曜日

知らねえうちに漏れていた!

高円寺に行こう


4月10日、吐血痔賤ぢゃなく高円寺に行こう!
オタオタしながら考えよう、壊しながら怖がろう、否と叫びながら夢をみよう。

2011年3月28日月曜日

全=世界の友愛の名のもとに

フクシマ関連のニュースが竜頭蛇尾である。フランスでは連日、福島第一原発を報じているが、ヘッドラインにおどっても報じる内容がない。「会見」は千年一日のごとし。内容が空疎である。2~3行で足りてしまう。そのため「基準値をこえた」不信がフランスの視聴者に蔓延している。メディアは何をやっているのだ、日本のストリートを映せ、ひとびとの恐れと不安の声をきかせろ、と。

だが、都知事選(石原軍団とたけし軍団とワタミ)に反原発者が立候補するわけでもなければ、都知事選の延期をもとめる運動もない。毒ガスマスクをつけた原子力キッズが暴動を起こすこともなければ、脱原発をもとめる労働者のゼネストすら起こらない。世界の落胆のため息がきこえる。「マジで?」と。世界はゆっくりと気づき始めている。そうか。ヒロシマとナガサキののちにフクシマの名を世界史にきざんだ日本国は、80年ほどまえ、国連から脱退し大殺戮機械と化したように、いま、世界史そのものから離脱しようとしているのだ、と。

2005年フランス暴動、2008年にはじまるギリシャ蜂起、2010年にはじまるアラブ革命。これらの出来事かがやかしいのは、そこに、世界史的要請にたいする応答があるからである。郊外の若者であれ、経済破綻した国家の人民であれ、トランスナショナルな兄弟姉妹であれ、世界史がふいにおとずれる瞬間がある。その瞬間、ひとびとは確信する。「ここで行為しなければ、全=世界がなめられてしまう」と。彼ら彼女らはそれゆえ車に火を放ち、メトロポリスをカオスモーズの炎に変え、素手で諸国家を転覆したのだ。世界史のおとずれを聞き取ること、それにしかるべく応答することは、全=世界にたいする友愛の約束の実行である。「おれたちのために、わたしたちのために、いま、お前たちがやれ」と人類がいっているのだ。この友愛の声、約束の履行をうながす声が、聞こえないというのか。彼ら彼女らが勇気をもって、死を賭して示してくれたかけがえのない約束に、背を向けるとでもいうのか。

『大学生詩を撒く』はこの人類の友愛の呼びかけを聴き取ることのできる、若いひとたちに呼びかけている。ぜひ世界に向けて、アクションを発信してほしい。うそにまみれた世界に絶望し、みずからに火を放ったチュニジアのブアジジのことを、想像してほしい。人類は原子力などいらないと思っている。洗脳された大人や老人だけが、それを必要だといっている。どうするんだ、このばかげた世界を?教師になにができる?親になにができる?くだらない先輩になにができる?企業に、政府に、国家に、国連に、なにができる?連中がなにかをやったところで、友愛のためじゃなく、金もうけのため、名声のためにやっているだけだ。きみたちの友愛の行為だけが、人類にとどき、人類の友愛の名にあたいするんだ。さあ、いっしょに原発を破壊しよう。

2011年3月24日木曜日

ビフォによる銀行占拠宣言



ビフォが蜂起をレクチャーしている。
いまだ怒りつづけているだけの人間は、わたしをいらいらさせる。
いまこそ蜂起すべき時ではないか。集団的身体を取りもどすべき時ではないか。

レクチャーは3月14日、ミラノのブレラ・アカデミーでおこなわれた。
終盤にさしかかり、ビフォは決然と言いはなつ。
次回のレクチャーは銀行でおこなう、と。
そう、銀行占拠が世界随一の知識人によって堂々と宣言されたのだ。
このことの意味をかんがえよう。

そしてヨーロッパでは今日(24日)から大学蜂起がはじまる。
欧州の銀行が学生や市民や外国人によってつぎつぎに占拠されていくはずだ。
「嘘と秘密を全域的・恒常的」(『原子力都市』矢部史郎)に展開する原子力統治にたいし、
それでも大学が蜂起できないというのなら、そんな大学なんかゴミだ。



パリ↑ ロンドン↓

Resist26! JOIN US ON MARCH 26TH IN LONDON! from Resist26 on Vimeo.

2011年3月23日水曜日

原子力ポスターコンクール

鶴見済氏のブログに文部科学省のサイトへの言及とリンクがあった。
たいへんおもしろいのでここでも紹介させてもらう。

「原子力ポスターコンクール」
http://www.atomin.go.jp/support/h_21/p07_poster/results.html

小学生、中学生、高校生による圧巻のポスターたちをしばし味わってほしい。
「エコでクリーンな」原子力エネルギーについて、「原子力教育」の内実について、
いっそうの「理解と認識」が得られるだろう。
なにせ、これらはポスターである。
文科省がうたうように「普及・啓発」を徹底しなければならない。
コメントは不要だ。各自印刷し、黙ってばらまこう。

2011年3月20日日曜日

石棺!石棺!石棺!

ばかげています。やめましょう。
福島に住んでいてやむなく追い出されたみなさん、
原発で無理から働かされているみなさん、
もうやめましょう。
東京に来ていっしょに「石棺ゼネスト」をしましょう。
(東京がやばくなったらみんなで走って逃げましょう。)
何のために水なんか撒いているのですか。だだ漏れしてます。
冷えるまでずっと、漏れるんです。
何のために?
それは、ヨハネの首=原発が、
有害であるのみならず、
表徴として無意味だとみなされるのが嫌だからにすぎないのです。
石棺をやったら、みっともなくて、
今後原発まじやばくね、ということになるのが
怖いからにすぎないのです。

無理から働かされているひとたちがみんな作業をやめて
福島から出て行ってしまえば(原発嫌だという表現をおこなえば)、
はじめて、唯一のまともな放射能抑止策、
つまり石棺化がおこなわれるのです。
みなさんが「国民の期待にこたえて」「誇りをもって」などと
まるめこまれて我慢しているかぎり、
放射能はだだ漏れしつづけるのです。
あの巨大で恐ろしい金属の塊(原子炉)を真に止められるのは、
あなたがた冶金師の群れだけなのです。
福島が石棺化されたら、原発一切廃止のための劇的な一歩となるはずです。

「健康に影響なし」などと言いつづけている
外道どもをけして信用してはいけません。
東大とか京大の偉いひとたち、東電内幸町、
早々とヨウ素剤をのんで威張っている役人政治家ども、
だんまりを決め込んでいる日立東芝三菱、
だったら福島へ行きなさい、
何年にもわたってホウレンソウ食べなさい、水と牛乳飲みなさい。
マスコミどもも、わざとらしく作業着(あれだいっ嫌い)で出てくる外道たちに、
「ヨウ素剤飲まれましたか」ぐらい、質問してみなさい。

どうせいずれは(何年先?)、
冷えた燃料棒を隠して、
この世紀の殺人を隠蔽するために
何らかの覆いをかぶせる(石棺化する)ことになるのだから、
無駄な時間稼ぎを即刻中止しなさい。

矢部史郎の言葉をもういちど思いだしてみましょう。

「原子力都市」は、「鉄の時代」の次にあらわれる「原子の時代」の都市である。
「原子力都市」は輪郭を持たない。
「原子力都市」にここやあそこはなく、
どこもかしこもすべて「原子力都市」である。
(『原子力都市』以文社、2010)

「より酷薄な」原子力の時代に、
福島も東京も茨城も静岡も柏崎もないのです。
すでに54基もあって、これからさらに何十基も増やそうとしているのです。
それも、電力が足りないからなどという大嘘によって。
われわれは全員、まごうかたなく、ひとりのこらず、原子力都市に住んでいます。
これを拒絶して、だれも放射能をあびる必要がない世界にできるか否か。
それがここ数日の、あるいは数年のわれわれの決断にかかっています。

ヨーロッパだけでなく、東京でも、
すでに行動は始まっています。

連帯の意味

今日、家庭教師先でちょっとした出来事があった。
下のフロアの人が手紙をもって訪ねてきた。
「日本の被災者に連帯を表明する」と。

復興=復古ナショナリズムの濁流に飲み込まれるまえに、かんがえよう。
こういう場面で「連帯」の語が出てくることの意味を、
「連帯」という語に、いかなる意味が込められているかを。

「連帯」とは、「いっしょにたたかいましょう」という意味である。
お悔やみや哀悼ではない。「おまえたちたたかえ」と言っているのだ。
何とたたかうのか。
原子力それ自体にたいしてである。

フランスの原子力依存度は70パーセントをこえる。
電力の原子力依存の方針を決定したのはド・ゴールである。
その結果、フランスの原子力地図は、無数の地雷のごとく原発にうめつくされてしまった。
カタストロフが起こってからでは遅い。にもかかわらず、
原子力イデオローグは壊れた機械のように「安全」「安心」をくりかえす。
この図はどこでも同じだ。「おまえたちは洞窟で暮らしたいのか」と。
そうこうするうち、なしくずし的に原子力の脅威の記憶が忘却させられる。
原子力にあいまいに統治されてしまう。

海外にいてよせられる「連帯」の意味、それは、
「連帯」にあたいする行動をいますぐ起こせ、という意味だ。
さっさと行動しろ、なにをグズグズしているのか、ばかじゃないか、
フクシマから反原子力ムーブメントをいますぐ発信しろ、と。

この世界的カタストロフをまえに、
連帯すらさせてもらえない人類について、
すこしは思いをはせてほしい。
カタストロフのただなかで、批判しかできない人間、
パニックすらできない人間を、グズという。
日々のくだらない労働と、
復興支援をとりちがえるような愚か者(「普通の生活こそ被災者のためになる」)
を世界は軽蔑する。
なぜなら、いまここで原子力体制と訣別できるかいなかで、
人類の未来が左右されるというのだ。
復興など窓から棄ててしまえ。復興なき復興、脱復興をかんがえよう。
それは、原子力のない世界にいますぐ踏み出すということだ。
人類に、連帯すらさせてあげられないってどういうことだ。

追伸
『生きものの記録』について。
ミフネは、ブラジル移住をばかにする家族の説得をあきらめ、
家族が経営する工場に火を放つ。
なんだ、この工場というやつは、家族というやつは、日々の労働というやつは。
狂っているのはいったいどっちだ。

2011年3月15日火曜日

パニックの起源

「パニックが被害を拡大する」という。嘘もいい加減にしてほしい。ほんらいパニックとは、フランス革命や二月革命時に登場した革命的群集をブルジョワジーが形容した言葉だった。それは、革命という群集知性の発現にたいし、無知なる権力が悪意とともにはなった言葉だったのである。パニックというこのニセの概念はギュスターヴ・ル・ボンのような俗流社会学に受けつがれるが、真の社会学者ガブリエル・タルドによりこてんぱんに批判され、さらにそのタルドを受け継いだ歴史学者ジョルジュ・ルフェーヴルによって完全に粉砕されたのである。
すなわち、パニックとはにせの命名なのであり、名指されているのはじつは革命的な知性の爆発である。災害下であろうとそれはかわらない。あふれる情動が行動的知性に転化するのだ。統治者やその追従者たちはパニック恐怖をまきちらしているが、パニックなど統治者の頭のなかだけに描かれた妄想にすぎない。不可視の放射能にたいして、真に恐怖し、群集知性を行使すること。恐怖する者に「落ち着け」と声をかけるのではなく、たがいに恐怖を分かち合うこと。『生きものの記録』のミフネは水爆実験にふるえあがり、ブラジルへの移住をくわだてた。にもかかわらず、周囲(家族)のパニックフォビアたちがミフネを狂人とみなし、彼の知性の萌芽をつぶしてしまうのである。
パニック恐怖の連中の言うことはきかなくていい。撒き散らされる放射能にたいして、背筋の凍るような恐怖の詩を撒こう。「むやみな」不安の詩を撒こう。くりかえすが、パニックとは群集知性のカリカチュア化であり、統治者の妄想である。すすんで職場放棄し、友人や隣人の職場放棄をうながし、首都圏からすぐに避難しよう。そして、すべての原発を止める準備をいますぐ開始しよう。

追伸
「フランスないしフランス海外県の領土は日本からの放射能被害をまぬがれるだろう」。こうしたことがフランスのニュース番組で語られている。かつて日本で、「はるか遠くの」チェルノブイリ事故をめぐって、戦々恐々と語られていたように。
緑の党ダニエル・コーン=バンディットはすぐさま「脱原発国民投票」を呼びかけた。それにたいして与党UMPいわく「日本の事故はチェルノブイリではない」、「われわれは市民原子力を手放すつもりはない」。左翼=脱原発、右翼=原発という線が強力に引かれつつあるのだ。人類はいま、日本の原発事故をつうじてネガティブなかたちで全=世界を経験しつつある。たとえばそのフランスでは、2012年の大統領選挙の最大の争点は「原発」になるだろうとすでに言われている。そして、移民問題というありもしない問題をめぐって、右翼と極右の妄想合戦になるとする見通しはくつがえされようとしている。

2011年3月14日月曜日

きのこ雲、または原発イデオローグメルトダウン



おねがい、みんな逃げて。たのむから逃げて。三号機の爆発、きのこ雲だって。やばい。みんなもっと騒げ。危機を煽れ。

「騒ぐな」「文系」「危機感あおるな」「あおる奴はマジで死ね」。頭メルトダウンの原発イデオローグが思考停止、想像力停止の恫喝をまきちらす。残念でした、ショック・ドクトリンは通用しないよ。すくなくともヴォルテールの時代から、人類はカタストロフとともに想像し、思考してきたのだから。あおりあおられて、騒ぎながら、慌てふためきながら、誰にでも感得し、行動へと転化することのできる真実をやしなってきたのだから。原発が爆発した。これがカタストロフであり、トラウマである。おびえ、涙し、慌てよう。そして避難所を確保できたら、原発イデオローグたちを「平静に」冷酷に追いつめていこう。

原発という名の聖遺物

自然の猛威云々は虚偽であり、
これは資本主義災害である。
揺れまくり津波来まくりのこの列島の、
なんで海岸線沿いにわざわざ
大勢の人間が住まわされ、
54基もの原子力発電所が建っていやがるのか?
(海には魔法の石が眠っているというのに。)
日立東芝どこそこ電力、
「何々地所」等土地転がしとディベロッパーども、
およびそれら巨大資本の指令に唯々諾々としたがってきた政府官僚、
生命をもとにもどせ、すべての原発を即刻廃止しろ、
津波の来ない場所に大量の公営住宅を建てろ。

原子力発電所は現代の神官たちの聖遺物である。
それはあたかもヨハネの首のように、
信じがたいほどちゃちな箱に入れられ、
世界のいたるところでたてまつられ、
そこにあるだけで福音をもたらし、
しかしみだりに箱を開ければ良くないことが起きるというので、
ひとびとをおびえさせ、支配する格好の徴表となっている。
したがってわれわれはエロディヤードあるいはサロメとなって、
あの首を斬り落とすしかないのだ。

2011年3月7日月曜日

ステイト・セキュリティ解体闘争

3月5日夜、エジプト。
国家保安情報局(ステイト・セキュリティ)の本部(カイロ近郊)から煙があがった。
国家保安情報局とは、かつての東ドイツにあったシュタージのごとき秘密警察・諜報機関であり、
およそ10万人がはたらいているといわれる。
その煙をみて、「過去の悪行にかんする書類を焼却している」とのうわさが街をかけめぐった。
「過去の悪行にかんする書類」とは、左派勢力の拘束や拷問の記録である。
当然、そこには個人情報(ブラックリスト)もふくまれている。
国家保安情報局の解体をもとめる蜂起団は、
アレクサンドリアやカイロなど全国各地の同局建物を取り囲み、
侵入し、機密文書を確保しようとしている…

すごい。
蜂起民衆が、軍人や警察官と涙ながらに抱擁する、そんな絵は子供だましであり、
蜂起が国家暴力装置の解体に向かわないわけがない。
じっさい、これはある意味、ムバラク辞任なんかより重要ではないか。

すばらしいのは、
素手による蜂起リークであり、
素手による個人情報ラッダイトである。
国家治安情報などどんどん暴露してしまえばいいし、
ブラックリストなどはかたっぱしから焼き払ってしまえばいい。

しかしながら、
ステイト・セキュリティの解体をもとめる蜂起団にたいし、
1月25日に登場しわれわれの記憶にあたらしいムバラク親衛隊、
あの腐敗そのもののごとき私服ファシストどもがみさかいない弾圧に出ているという。
そもそも、ムバラク辞任後のエジプトはステイト・セキュリティが統治しているのだ。
ステイト・セキュリティ解体闘争。すさまじいことが起きている。

2011年3月6日日曜日

「カダフィの首がほしい」



蜂起の砂嵐が西進している。
地図を見ながらおさらいしておこう。

リビア蜂起軍が拠点としているのは、北東のベンガジBenghaziである。
4日には石油精製工場のあるラスラヌフRas Lanoufを占拠した。
報道によれば、蜂起軍は、カダフィの生まれ故郷シルトSyrteを経由して
首都トリポリTripoliへと向かっているという。
それにたいして、カダフィ軍はトリポリの西50キロにある
ザーウィアZawhyahを制圧しようとしている。

カダフィの沈没とともに歴史のゴミ箱に捨てられようとしている言葉がある。
カダフィが体現する「反米」であり「クーデタ」であり「テロ」である。
ふるくさい想像地図の結節に位置するものとして、
左翼のおじさんやおばさんの頭のなか、
右翼のおじさんやおばさんや若者の頭のなかに巣食ってきたあれら言葉たちだ。

じっさい、「反米」やその化身である陰謀説ではアラブ蜂起の真実はみえてこないし、
リビアの軍人たちは、死とひきかえに権力者の命令を拒否する。「クーデタ」とは正反対の光景だ。
そして怒りに震える民衆は、カミカゼ・テロを敢行するよりも、
みずから炎となって燃え上がることをえらぶだろう。
その行為が、民衆蜂起という神話政治を発動させるのである。

ともあれ、蜂起した者たちの快活な声をきこう。
独仏共同出資チャンネル「アルテ」の3月5日のニュース、00:58より。
すべてがきらめいた世界。
砂漠を疾駆する四駆トラック、旗、スカーフ、ゴーグル、刀、快活な笑顔と声。

「今度はトリポリだ。トリポリに向かっているんだ。」
「おれはカダフィの首がほしい。カダフィの首をとるんだ。」
「カダフィは終わりだ。カダフィは終わりなんだ。」


2011年3月4日金曜日

「炎の死者たちよ、よみがえれ」

自殺とは終わりではなく、はじまりである。
ラルイがブアジジがはじめたように。
偉大なる真実。
偉大なる蜂起(2010~)の真実。
だから、われわれにとって、はじまりの言葉はこうだ。
「炎の死者たちよ、よみがえれ」

(参考文献:友常勉『脱構成的叛乱』、以文社)

2011年3月3日木曜日

illuminations

 こんにち

                人間的思考を

 欲する者は

                           危険に

               思考するだろう

       なぜなら

あらゆる

                     人間的

           思考は

私たちの生に重くのしかかる

                    秩序全体

                               問うからである(ニザン)


     ★
 

                                  人

                 発展において

              決定的瞬間は
 
    いつの時代も
 
            起きている

                    それゆえ

 革命的神秘主義運動は

            先行するすべてを

                                     取るに足らぬもの
      
                        到来せざるものと

                                        宣言する

 つまり

          いまだなにも

                         起きてはいないと(カフカ)


                         ★


メトロポリスのフローが
  
                    最密度に達する地点が

            外から
      
                                            突如

     あらわれた
    
                 乱暴な侵入により

            攻撃をしかけられる

                     いくつもの

 
怒りの条痕
                    
                  このまがいものだらけの
 
                                  砂漠
             
                         縦横にかけぬけ

やがて消え去る(不可視委員会)