2009年4月27日月曜日

大雨だったけどおおぜい来たよ

I am a bursar of the future.
25日、ざあざあ降りだったけど、早稲田大学3号館におおぜい集まったよ!
るぅちゃん3人も、狂都の凶暴なひとも来てくれたし、たのしかったです。
『カラマーゾフの兄弟』の次男イワンが書いたフィクション「大審問官」では、いわゆる神官が「頭のいい一握りの人間がちゃんと考えればいいんだ」と言う(ハイデガーやハイエクみたいだ)。三男はそういう兄の虚無をとてもかなしむ。そして書かれなかったカラマーゾフの続編で、三男は皇帝暗殺に向かうのだ。
けれども、われわれはもう誰も殺さなくてもいいのだと思う。岡山茂さんがドレフュス事件の画期性のひとつを「血を流さずに『正義と真理』をひとつにしたこと」とするように、
われわれもまた、大学をとりもどすことで、誰の血も流さずに未来を編むことができる。

2009年4月20日月曜日

金融サミット、軍事サミットそして大学サミット


「ルーヴァン反サミット 4月25-29日
知の商品化に他ならないボローニャ・プロセスを阻止するため、ヨーロッパ各地の抵抗運動をここに結集させよう」

2009年4月19日日曜日

反大学サミット(ルーヴァン、4月28、29日)

以下「ヨーロッパの波」(HTTP ://WWW.LOUVAIN2009.COM)の訳出。粗訳ですが早いほうがいいのでそのまま。

「4月28-29日ルーヴァン反ヨーロッパ・サミットのためのアピール ボローニャプロセスに反対するために」

「知にとっての最大の敵は、無知ではなく、知の幻想である」2009年2月22日

「危機だ!」ここ数か月のあいだでもっともよく耳にする一文である。いわく、この危機は本物だ、経済危機は社会をつらぬいているし、社会・文化・環境もまた危機におちいっている、危機は全般化しているのだ、と。ところでこんにち、経済・財政システムの崩壊を口実として、労働はこれまで以上に不安定なものとされ、公共財や公共サービス、われわれの生/生活を商品化しようとする動きがさらに急速に進行しようとしている。だが、われわれは騙されない。

ギリシャでは、腐敗した政府およびそのネオリベラル改革に反対すべく、若者や労働者たちがあらゆる公共空間で蜂起した。スペインでは、ボローニャプロセス〔訳注:ヨーロッパ規模の大学改革法〕を阻止するための大規模な抗議運動が生起し、現在、数えきれないほどの大学が占拠されている。イタリアでは3ヵ月以上もまえから教育界全体による反乱が開始され、現行の大学改革が目指すものとは別の大学システムが日々構築されていっている。フランスでは、昨年の大学自治法(LRU)成立を阻止するための学生たちの運動にひきつづき、現在、高校生(リセアン)、教師、研究者たちが政府がすすめる教育システム改革に反対するためのデモをおこなっている。教育を主要テーマとした「Global week of action」という構想を打ち出したのはドイツである。

これらすべての運動が対決しているもろもろの改革は、世界中ではばをきかせている新自由主義のロジックをさらに推し進めようとするものであり、それらは部門別のものでも国家別のものでもない。われわれが現在目にしているのは、野蛮としかいえない教育の私営化であり、高等教育を経済権力に隷属させようとする動きである。ただし、現在の運動は大学や教育界といった枠組みにとどまらず、それをおおきく超え出るものである。為政者たちは、メディアに同じ文句を何度も繰り返させ、われわれから思考をうばい、われわれを精神的、身体的に分断し、それぞれの専門領域にとどまるよううながす。そうした分断はわれわれの自由・解放・希求を制限するための手段以外の何ものでもない。だが、われわれは同じ方向に向かいはじめており、結集はすでに開始されている。同じ方向とはすなわち、公共財を営利化することにたいして徹底抗戦すること、である。

われわれが望むのは、大学を集合や出会いのための場所とすることであり、無償かつ解放的な知のための場所とすることである。教育はその社会化から切り離すことはできない。

われわれをこうした大学の社会化というプロジェクトに取り組むよううながすのは、教育システムの改革・改編といった一連の政治的措置である。ところでこうした政治的措置の起源にあるものこそ、1999年に46カ国の為政者たちがボローニャで採択したボローニャプロセスにほかならない。

4月28、29日、ベルギーのルーヴァンならびにルーヴァン・ラ・ヌーヴにおいて、これまで2年ごとに開かれてきた教育大臣たちの会議があらたに開催される。会議は「〔各国の〕達成された点とこれからの課題点とを評価・算定する」ためのものだという。すなわち、すでに実施された大学改革と、これから実施すべき大学改革を明らかにするための会議である。ヨーロッパの大学についての会議というのであれば、学生や教員、研究者、大学職員はむろん、ヨーロッパ全土の労働者の意見が求められねばならないだろう。だがそうしたひとびとの見解はいっさい顧みられない。逆に、各国の教育大臣たちがその会議で面会するのは、諮問委員として招かれるビジネスヨーロッパ(ヨーロッパの雇用者団体)やESU(ヨーロッパ学生連合)といった面々であり、そうした連中の意見をもとに、ボローニャプロセスの実施についての総合評価がくだされてしまう。

いまこそ行動しよう!!教育とは自由と同じく、与えられるものでなく、勝ち取るものだ。ルーヴァンに結集しよう。

ヨーロッパ中から権力者が集まり、われわれの教育や未来について語るというのだ。この社会を生き、構成しているのはわれわれなのだから、われわれこそこの会合にぜひとも出席せねばならない。これはボローニャプロセスに抗議することのできるまたとない機会であり、もろもろの局所的な運動を、国境をこえたひとつの展望のなかに飛躍させることのできる機会である。そして、いっさいの経済的ロジックから遠くはなれて、万人にひらかれた無償の知の構築・分有を開始するための機会なのである。

それゆえわれわれは、各地・各種の総会や運動体、占拠中の大学、さまざまな集団、組合や政治組織にたいして、反ヨーロッパサミットを呼びかける。経験や戦略を共有しよう、ネットワークを形成しよう、ヨーロッパのいたるところで生じているわれわれの叛乱によりいっそうの力強さを吹き込もう。

本アピール文をあらゆる総会、大学、全国規模の連携組織、占拠下の大学、教育や仕事の現場で撒いてほしい(翻訳も)。

2009年4月13日月曜日

2冊のベストセラー


左はサルコジ大統領が大統領選のさいに「学校でこんなもの読んで何の意味があるんだ」と語った17世紀古典『クレーヴの奥方』、右は国家権力から「テロリストのマニフェスト」と目され、その著者があらぬ嫌疑から5ヵ月間も投獄されている『蜂起到来』。現在、フランスではこの2冊がベストセラーであり、これらが隣り合わせの状態で平積みにされている書店も少なくない。『クレーヴの奥方』が読まれているのは、人文学の価値を認めようとしないサルコジらネオリベラル政権にたいする反発からだろうし、『蜂起到来』が読まれているのは、街頭政治そのものを処罰の対象にしようとする監獄国家体制にたいする憤りからだろう。だが重要なのは、この2冊が同時に読まれているということである。
『クレーヴの奥方』が『蜂起到来』とともに読まれているという事態が意味しているのは、これまで幾度となく言われてきたような「人文学の危機」にたいする「教養の復権」だとか、「弱くてしなやかな人文学」だとか、そういうことでは一切ない。押さえておきたいのは、運動をすすめる大学人や学生、ストライキ者たちが、17世紀文学を読むように極左政治哲学書を読み、来るべき蜂起について思いをめぐらせるために『クレーヴの奥方』を読んでいるという点である。こうした読みは、人文学をめぐって無意味にささやかれる愚痴をふきとばしてくれる新鮮さがある。フィクションをつうじて、運動はたんなる抵抗をこえた自律的強度を獲得していくのだし、フィクションを編み出すこと自体、発明=運動である。たとえば、ストライキ中止を呼びかける学長を学長室に監禁してしまうこと。こうした新たな行為に踏み切ることのできる想像力こそ文学の領分だろう。

2009年4月8日水曜日

未来のイメージ

これまで掲載しなかった写真です。楽しそうでしょ。
3月11日「幼稚園から大学まで」デモ



3月17日「大学の夜」



3月19日ゼネスト








3月28日ロンドン反金融サミット

2009年4月3日金曜日

NATOサミット

ロンドンでの金融サミット(4月2日)に引きつづき、4月4日、ドイツ・ケールとフランス・ストラスブールでNATOサミットの開催が予定されている。このサミットで、サルコジ大統領によりフランスのNATO軍完全復帰が公式に宣言されるという。銀行、軍事、警察、サミット体制が貧困、死、悲しみ以外の何を生み出すというのだ。リベラリズムか保護主義か、独自路線かNATO復帰か、こんなのニセの問いだ。銀行が悪い。軍事が悪い。警察が悪い。すべて殺人機械じゃないか。
ヨーロッパ中が怒りの炎につつまれている。フランスの大学ではストライキが続行されており、EUの大学版、ボローニャ・プロセスを阻止しようとスペイン学生も闘争している。1日、ロンドンでG20の抗議運動(G20 meltdown in the city)、2日、闘争がつづくギリシャでまたしてもゼネスト、そしてストラスブール。


重要なシーンをもう一度。