2010年6月25日金曜日

ある夏の日、「パンも薔薇も」闘争の狼煙があがる

大学の夢、思想の夢、文学の夢を生きるために――
銀行的存在たちがたくらむ世紀の愚行
「奨学金返済滞納者のブラックリスト化」も、
財界産業界の身勝手プロパガンダ「就活」も ぶっつぶせ!
ブラックリストの会in東京」と「アレゼール日本」が
カルチュラル・タイフーン」で大暴れ!
やさしく 凶悪なひとたちが ブースできみを待っている。
シンポジウムもあるよ!
集え 全世界の蜂起者よ!

「ブラックリストの会in東京」@カルチュラル・タイフーンBooth Exihibition
日時:2010年7月3日(土)・4日(日)
場所:駒澤大学深沢キャンパス

【ブース概要】
学費はタダで。払った分は返してもらおう。
奨学金はもらったもの。「返せ」なんてちょっとおかしい。
就活、やったことはないけど、もうたくさん。
そもそも働きたくはありません。
先生だって忙しすぎ。たまには授業もサボりたい。
ブラックリストの会in東京は、
ふだんそんなことを考えている人たちのあつまりです。
「そうかもしれないけど、でもどうしたらいいの?」。
すこしでもそう思ったら、ぜひこのブースへ。
お酒でも飲みながら、おしゃべりしましょう。
配布しているZINEもなにかヒントになるかも。
教室をかりてシンポジウムもやってますよ。

【ふたつのシンポジウム】
★――アレゼール・シンポ
「リオタールとデリダの大学論をめぐって想うこと」
日時:7月3日(土)13時~
場所:駒澤大学深沢校舎2-3教場
●パネラー
岡山茂(フランス文学)
藤本一勇(フランス現代思想)
白石嘉治(フランス文学)

★――ブラックリスト・シンポ
「 くたばれ就活! くたばれ雑用! くたばれ貸与奨学金!
――学生も先生も、そして日本学生支援機構もたいへんなんです!」
日時:7月3日(土)15時~
場所:駒澤大学深沢校舎2-3教場
●パネラー
白石嘉治(上智大学非常勤講師)
和泉亮(ブラックリストの会in東京)
堀真悟(就活くたばれ)
浜邦彦(早稲田大学教員)

2010年6月19日土曜日

スティグレールのラッダイト


 認知資本主義下において、人類が夜ごとに夢みるラッダイトとは何か? それはどのように花開くのだろうか?
 参考になるのは、技術と人間の関係を問うシチュアシオニスト哲学者スティグレールの考察である。スティグレールは技術礼讃の徒でも技術嫌悪の徒でもない。その哲学において賭けられているのは薔薇への生成であり、その生成はハイパーマテリエル的=非物質的ラッダイトと不可分だろう。こころみにその対談本『ハイパーマテリエルと心理権力のエコノミー』(千一夜社、2008年)の裏表紙からざっと引用しよう。

「われわれは今日、人類の技術的発展のはるかな歴史においてあらたな段階を生きている。ハイパーインダストリアル資本主義の段階である。19世紀以来、人間は、時間性の諸条件をたえず激変させてきた。つまり、個体化の諸条件をもたえまなく激変させてきたということである。
 産業化はおとろえるどころか継続中である。それはますます強化され、不可視のあらたな領野を投資=備給の対象とするようになった。たとえば、ナノストラクチャー、無意識の神経学的基礎、バイオテクノロジーであり、つまりはハイパーマテリエルの領野である。その領野において、質料はつねにすでにひとつの形相であり(たとえば量子の次元で)、形相はつねにすでにひとつの情報である(情報とはある物質的なものによって起こる質料の移行状態のことだ)。またその領野において、「非物質的なもの」はその本来のすがたで現れる。すなわち、精神を煙にまく一個の寓話として。
 ベルナール・スティグレールは、文化技術や認知技術、バイオ技術やナノ技術に賭されているもののあらたな定式化をこころみている。本書で述べられるように、それら技術は人類にとって危険がないわけではない。つまり人類の「非人間的ではないものへの生成」にとって危険がないわけではない。
 近い将来、人間は自分自身から立ち退きをせまられ、みずからの意識やリビドーから追い出されることになるのか? あるいは人間は、ハイパーマテリエルの諸テクノロジーとともに存続していくことができるのか?
 もし人間が包摂されるままになれば、もし人間が欲望を、心理権力を打ち立てようとしている強力な機械や網に捕獲されるままにしておけば、帰結のひとつとして、すでに趨勢として生じている資本主義の自壊がもたらされるかもしれない。
 ベルナール・スティグレールは技術嫌悪者ではない。われわれに注意を喚起するのに信頼に足る人物というだけである。」

 おそらく、われわれは不思議な政治に取りかかろうとしている。神話政治である。神話が考える、ということではない。神話が考える、装置が考える、機械が考える、言語が考える、クソが考える、云々。神話政治とはクソによる自動的思考と決別することだ。ある19世紀詩人は言った。犬に高価な香水を嗅がせても怒って吠えるだけである、クソのかたまりでも与えておけば、犬は尻尾をふってそれを嗅ぎ、よろこんで食べてしまうだろうと。世界のハイパーブルジョワは考えているに違いない、貧乏人の群れ(あるいはそうと自覚していない者)には定期的にクソでも投下しておけ、そうすれば、奴らはそれに夢中になって蜂起も暴動も起きないだろう、宮下公園にはナイキを、労働者にはアイパッドを、学生にはアルバイト装置とローン装置でもくれてやれ。経済学者には経済専門用語を、市民には選挙装置を、暇人にはフェイスブックとツイッターを。
 往々に信じられているように、19世紀初頭のラッダイト運動は機械嫌悪の暴発ではない。それは、クソを薔薇と言いくるめる輩に対する蜂起だったのである。クソはクソなのだ。われわれの不可視の信や情動はハイパーマテリエル的に包囲され、クソによる支配はハイパーマテリエル的に心理にまで及んでいるが、愚か者はそれでも憑かれたように言い続けるだろう、人間と技術は切り離せない、記号もまた技術である、ラッダイティストはありもしない原初のユートピアを夢見ていると。だが、クソがあくまでクソであるように、薔薇は薔薇であり、クソと薔薇は別物である。19世紀ラッダイティストの胸中をよぎり、20世紀初頭のゼネラルストライキ者、1970年代のサボタージュ労働者の胸中をよぎったもの。決然と資本主義装置を破壊する現在のギリシャのテッサロニキのアナキストの脳裏にあるもの。適当な連中は、それを野蛮だとかファシズムだとかアナクロニズムだとか言う。だがそこに潜在する薔薇に思いを馳せることなしに未来はない。プロレタリア神話政治、プロレタリア戦争機械を!「パンも薔薇もこの手に!」

2010年6月2日水曜日

Light our fire, Light all factories


世界が大学化しつつあるこんにち、
もはやブラック会社もスウェットショップもCSRもへちまもない。
企業によしあしはないし、
大学、サンディカ、共同、そして
人間の生や幸福ともっとも遠いところにあるのが企業性である。
関曠野がいうように(『現代思想』6月号/特集:ベーシックインカム)、
「グローバリゼーションの本質は貿易の拡大ではなく
権力エリートによる体制の危機の輸出」であり、
いまやそれらエリートたちはみずからの「輸出物」がもたらした恐慌にあおざめている。
おめでとう!

中国のひとたちも、ぜんぶ壊しちゃえばいい。
大企業がビビッている最近の例では、
広東省仏山市にあるホンダの変速機工場、
北京市にある現代(ヒュンダイ)系工場などでストがおきているようだ。
中国国内の労働争議数は、2003年の20万件余から
08年の70万件へと 5年間で3倍以上にふえている。
(この増加を08年の制度改正のせいとみる向きもあるが、
いずれ同じことだ。頭にきていることにかわりはない。)

「iphone」の部品等をうけおっている
台湾系大手電子機器EMSメーカー「鴻海精密工業」
(ブランド名はフォックスコン:富士康)の広東各工場では、
若者の自殺があいついでいる。
今年にはいって(公表されただけでも)12人が、
苛酷な労働環境にたえきれずみずから命を絶った。
「ここは地獄だ」――
自殺したひとたち、いまだ耐えしのんでいるひとたちの言葉である。
いまや地球上のあらゆる場所は、
ごうつくばりたちの天国(paradis fiscalの地球化)、
われわれにとっての地獄と化した。
15時間立ちっぱなし、私語厳禁、残業月に80時間超、月給3600円。
くだらぬ機械が1台紛失したといっては、
公安が労働者をリークのかどで尋問、暴行、あげく自殺。

どう考えてもおかしい。
われわれの幸福になんのかかわりもない機械をつくるために、
人間がくるしまなければならないなんて。
これって、いったいなんのため?
企業がお金欲しいから。国がお金欲しいから。
徳のすくない富裕者が、もっともっとお金欲しいから。
アップルもMSもGoogleもナイキも渋谷区も、ずっとわれわれを踏みつけにしたいから。
マッチポンプのポンプがまにあわなくて ちょうあせってるから。

そんな世界、われわれの手で、壊してしまうまでのこと。
その手で、槌で、鉈で、100円ライターで、わたしたちの心に火をつけて!

iphonnだのipadだの、みっともない腐れ機械のなにがそんなにいいの?
ケツ拭くこともできやしない。壊してしまおう。
機械をつくる機械は、槌でたたいてスクラップに。
たちさる前に、工場に火をつけて。
終わってるごうつくばりたちの知財神殿を破壊し、
われわれの世界を勝手にくりひろげよう。

リスボン蜂起派「労働を破壊しよう」




以下アピール文より。

「失業にデモクラシーや社会秩序にとっての危険をみたりする奴らのことはどうでもいい。わたしたちは職を失うことになんのノスタルジーも感じない。賃上げも各種手当ての維持も要求しない。労働の廃絶も要求しないし、オルタナティブな生活様式も欲しくない。楽しく生きるために自発的に倹約したりもしない。
わたしたちが求めるのは、空腹でのたれ死にしないために最低限必要なものを得るために、わたしたちに物乞いをさせるこのシステムを破壊することだ。」

ラッダイト復権!これ基本だよね。