2010年7月14日水曜日

ポスト2005年世代

以下はフランス語サイトArticle XIに掲載された、話題騒然のインタビュー記事の訳出です。記事の存在を教えてくれた年輩の友人に感謝します。ともかく素晴らしいし面白いので、長いけれど、ぜひとも最後まで読んでみてください。
先日邦訳が刊行された『来たるべき蜂起』ですが、同書と、同書がまきこまれたタルナック事件の意味と背景を教えてくれるインタビューです。またこれを読めば、先日このサイトで上げた「なぜ私たちはヴィリエ=ル=ベルの拘留者を解放せねばならないか」の画期性も分かると思います。

カルト集団によるテロ事件になにかしら時代的な意味を見出し、やれゼロ年代、やれ10年代などと世代論をでっちあげて騒ぐやからは世代すら剥奪されたかわいそうな人たちだとさっさと見切りをつけるとして、ほんとうに考えなおさなきゃいけないのはポスト2005年世代です。攻撃性を手放さず、友情と連帯を信じ、勝つためにこそ権威主義やヒエラルキーをしりぞけ、このくだらない世界を終わらせる。すばらしい動乱と蜂起の世代。

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マチウ・リグスト「ヴィリエ=ル=ベルは治安維持のフランス的手法を展示するショーウィンドーである」

「われわれを抑圧するものを知ることはひとつの武器である」。マチウ・リグストはこう説明する。彼自身のこの言葉こそ、研究者にして革命的活動家であるリグストの圧倒的な仕事をみごとに要約するものだろう。抑圧装置がいかに機能しているか、その闇につつまれたメカニズムや不吉な野望がどのようなものであるか、彼はたえず暴いてきた。なかでも彼が綿密な調査を行っているのは進行中の変容についてである。すなわち、軍事=警察装置とその下請業者が国家的かつ世界的な支配を築きつつあるのだ。はたして21世紀は弾圧の世紀となるのだろうか。



入念にして貴重なる著作『内なる敵L’Ennemi Intérieur』(La Découverte, 2009)において、リグストは革命戦争に関するきわめてフランス的なドクトリンの出現を描き出している。すなわち、植民地戦争において生み出されたそのドクトリンが、徐々に統治の様式になっていった経緯が示されるのである。彼はこの著で、60年代中頃から実施されてきたメカニズムを徹底的に暴いている。社会のコントロールを強化し、強制権を正当化し、抑圧装置の発展を正当化するためにスケープゴートを名指すというメカニズムである。またリグストは、軍事=警察技術の(国家間的)交易という点で、フランス式ドクトリンが世界的に流通していることを明らかにしている。

『内なる敵』から1年、考察はより広い射程のもとで今日まで進められている。取り組まれているのは、あらたな資本主義の先兵というべき弾圧産業についてであり、リグストはその産業の国家的かつ国際的な賭け金を詳らかにするとともに、そこに生じる利害関係や敵対関係を描き出している。さらには軍事=警察産業――そこには技術や方法もふくまれる――を維持し、コントロールする者たちのなかば不可避的な台頭が分析される。

このあらたな資本主義の地図上で、ヴィリエ=ル=ベルはその他多くの地と同様にひとつの交易地である。現場ならびに法廷で、反乱を鎮圧することが問われていたとすれば、それは同時に、鎮圧のためのフランス技術の有効性を誇示することが問われていたということである。リグストによれば、ヴィリエ=ル=ベルとは「商業的な意味におけるショーウィンドー」だったのであり、そうあり続けている。ではここでリグスト自身に語ってもらおう。

ヴィリエ=ル=ベルで何が起きているのでしょう?

「ヴィリエ=ル=ベル戦争」とは2005年から開始された国内向けキャンペーンの一環です。あらゆる国内作戦がそうであるように、権力はこの戦争で諸技術、兵器、軍の投入の実験を試みている。実験はふたつの平面で進められました。ひとつは司法の平面です。「訴訟」が語られましたが、この「訴訟」という語はいわば心理作戦に属している。すなわち「ヴィリエ=ル=ベル戦争」の一環としてなされたのはいわゆる「訴訟」ではなく、国外作戦で言われるのと同じ意味での「安定化」の段階だったのです。メディア=司法による通信活動が中心課題としたのは、文明を守るために制圧せねばならない野蛮人という形象を捏造することでした。実験のもうひとつの平面は秩序の維持――すなわち物理的な強制権の維持であり、ヴィリエ=ル=ベルはとりわけUteQ(les Unités territoriales de quartier)と「部隊間セキュリティ対策」(犯罪対策班BAC、共和国保安機動隊CRS、機動憲兵隊gendarmerie mobile、国家警察特別介入部隊Raid、国家憲兵隊治安介入部隊GIGNなどの警察組織体の混合)の実験を可能としました。

まず第一の「訴訟」について。この裁判には警察のあらゆるサンディカが結集し、警官への暴行容疑で起訴された者たちに対して、報復措置としての厳罰を求めました。もっとも急進的な警官のなかには「自衛」権、つまり実弾を放つ権利を求める者もいました。街区のコントロールをめぐって警察組織の変容が起こっているのです。アルジェリア戦争において、特殊な権限を与えられた軍人たちは対蜂起作戦を展開しつつ社会を軍事化していきましたが、それと同じことが起きている。庶民的な街区の鎮圧のためのキャンペーンとは、潜在的には、警察=ポリスの統治組織としての台頭にほかなりません。

ヴィリエ=ル=ベルで実験された治安維持のあらたなドクトリンとともに、私たちはそれとは別のことにも立ち会っています。それはなにより、警察組織内のある層の急進化として表現されたものであり、その急進化は訴訟が開始される以前、ヴィリエの蜂起者のための救援キャンペーンが組織されたときに示されました。じっさいルーアンでは、警察官のサンディカが、救援会によるコンサート開催に対して暴動を扇動するとして抗議し、それを妨害するという意思表示を行ったのです。結局、妨害行為はなされず、コンサートは開かれました。君主は彼らの番犬を押し留めたというわけです。

「第二の訴訟」について言えば、たいへんな重刑が下されました。なぜならその訴訟において真に賭されていたのは、反撃を不可能とすることであり、また、審理の見せかけの公正さを無視してまでも、警官たちの激しい怒りを鎮めるための犠牲を捧げることが求められたからです。ところで、この地点において断絶線がいままさに形成されつつある。その断絶線に沿って、抑圧された人々が、おなじひとつの強制機械に対峙する存在として互いを承認し合っているのであり、そこでは、抑圧しコントロールするものに対峙する人民への帰属意識のような何かが再構成されてきているのです。他方で「訴訟」において問われたのは、フランス的弾圧の卓越をいまいちど世界に証明することでした。司法における「安定化」もまた弾圧のための武器庫の一部なのです。

それは目的としてじっさいに掲げられているのですか?

そうです。セキュリティや防衛をあつかう機関や刊行物においては、2005年そして2007年以後なされてきた実験を再開すべきだとする主張がはっきりとなされています。ヴィリエ=ル=ベルでテストされた手法、その改善策のあらたな賭け金が語られていますが、とりわけ強調されているのは、UteQの実験、憲兵隊と警察との協力体制、「最良の危機の伝達」を確保するためにメディアと司法の関係を「改良する」必要性といったものです。


UTeQの設置箇所の地図。20Minutesより。

UteQとは小グループに振り分けられた約20人の警官からなるユニットです。私がじっさいに目にしたことですが、彼らは夕方の終わりごろに現れ、司法に則らない一種の外出禁止令を布く。碁盤目作戦によって社会生活を麻痺させることが目指されているのであり、これはひとの現前自体を禁止するということです。なぜなら、たとえあなたがたまたま帰宅途中であっても、あるいはタバコを吸うために外に出ただけであっても、あなたがある時刻以後にそこを通行すれば、それだけで挑発行為をする疑わしい人物とされてしまうからです。このことが前提とするのは、あなたはあなたのテリトリーに暮らしている、それゆえあなたは潜在的な一個の無秩序である、ということです。ということはすなわち、あなたの現前はそれだけで抵抗であり、潜在的な反抗であり、つまり警察権力に対する攻撃なのです。BACと同じく、UteQはわれわれを追跡し消耗させるための警察部隊です。誰も通りをうろつかないようにするためなら、フラッシュボールを発射することもためらいません。警察がわがもの顔にふるまう街区に暮らす者であれば、誰もがこうした公然たるテロリズムの実践に心当たりがあるでしょう。ただし、そうしたテロリズムの被害に遭ったことのない者だけがひたすら憤激するのであり、それ以外の者は抵抗のための手段を模索しています。もっともUteQだけが以上のような目的を担っているわけではなく、問題の区域を包囲するCRSや、私服として「接触をはかる」BACの支援を受けているのです。

こうした警備体勢は2009年春に施行され、すぐさま数々の叛乱をまねきました。当然のことです。活気のある区域をまるごと夜間外出禁止令のもとに置くこと、それは反発の生起に警察が必然的にさらされるということですから。私服刑事たちは、自身の現前が衝突を引き起こす可能性があることを知っているからこそ、部隊をでたらめに展開したりはしないのです。それでも治安部隊が受けた代償はあまりに高くつきましたが……。

ここで浮かび上がるのは、民衆の自衛という問題です。反乱の後、住民たちは救援会を中心とするコレクティヴな抵抗を組織しはじめました。拘束者の家族や街区を訪問し、フランスの中小都市をツアーして回りました。寄付金を集め、集会を組織して広く情報を共有するためです。権力の側にすれば、警察の弾圧に対する抵抗のかたちが広範な自己組織化の意志となることを妨げたい。コレクティヴな自己組織化こそ警察の横暴に対抗できると気づくとき、ひとはすぐさまシステムのあらゆるヒエラルキーを疑問に付すようになります。これは私の見方ですが、この件における救援キャンペーンの賭け金はまさしく、白人の庶民階級と旧植民地出身の庶民階級のあいだの通常の区分から抜け出すということでした。

権力やその支持者にとっても、その賭け金は重要な意味を持っているのでなないですか? 彼らには負けることが許されていないのですから?

そうです、たとえじっさいには彼らが敗北するにせよ。彼らが打撃を加えたり投獄したりするたびに、国家がもはや正当な暴力の独占者ではないばかりか、いかなる正当性も有していないということが証明されていくのですし、国家の看守と人民のあいだの境界線が明らかにされていくのです。

ただし賭け金はそれだけではありません。ヴィリエ=ル=ベルは治安維持のフランス式手法を展示するショーウィンドーです。商業的な意味での「ショーウィンドー」ですよ。治安維持の諸技術は売り物であり、莫大な金がうごくまぎれもない弾圧産業が実在するのです。死者を一人も出さずに鎮圧すること、さまざまな警察装置を協働させること、警察とメディア、司法と政界の協働関係を技術的に革新すること、こうしたことはすべて国家的ノウハウないし技術的国家遺産として前面に打ち出されています。

つまり国際市場での競争に打ち勝つことが目指されていると?

そのとおりです。その競争は少数者のあいだで行なわれています。たとえ、アルジェリア戦争以後、フランスがイスラエル、アメリカ、コロンビアといった少数の先頭集団に後れを取ることが一度もなかったにせよ。ただし、表彰台に立つ国はいつも入れ替わっています。イスラエルのガザ攻撃のさいには、その作戦は注目の的になります。また、2007年11月のヴィリエ=ル=ベル暴動のさいに死者を出さなかったときも関心を集めました。そのことがフランスの技術イメージを高めたのであり、逆に、1986年のマリク・ウセキヌ暗殺の後にはフランス技術の評価は著しく低下しました。すなわち、民衆のコントロールは古典的な意味での戦場でなされるそれとは事情が異なるのです。コントロール社会という領土での治安維持において、殺すことは避けなければなりません。メディアを考えれば一人の死者もあまりに高くつくからです。

理解しなければならないのは、私たちが立脚しているのが国民国家という視座ではなくトランスナショナルな視座だということです。あらゆる国の専門家や実業家や政治家が集い、軍事技術一式を売買するシンポジウムや会議が年に十数回も開かれています。その結果、こうした軍や警察の専門家たちは弾圧産業の代表者となっています。


Eurosatory国際防衛見本市

あなたのおっしゃるセキュリティ資本主義とはどのようなものですか?

20世紀に軍産複合体が出現すると、資本主義はそのかたちを変えました。社会をコントロールするという問いは、それまでのように、人的資本(プロレタリア)に生産を続けさせるために彼らを囲い込むというだけではなくなりました。コントロール自体がひとつの市場となったのであり、そこで巨大資本をあやつる立役者たちの関心は、なんらかの無秩序、ただし運営可能な無秩序が展開されることに向けられています。その無秩序を首尾よく屈服させるためです。そして彼らはこの目的を果たしました。じっさい第二次世界大戦が終結して以後、戦争は永続的なものとなったのですから。戦争はつねにあらゆる場所で生起しており、何物もそれを逃れられません。国内のセキュリティは、永続戦争の経済にとっての主要な市場のひとつとして、たいへんな隆盛を見せています。くり返しますが、こうしたことがヴィリエ=ル=ベルにおいて賭けられているのです。すなわち、異議申し立てのあらゆるかたちを押しつぶし、これまで同様に庶民階級を分断し(人種や植民地といったイマジネールを利用しつつ)、そのうえで治安維持のためのフランス産の商品をショーウィンドーに陳列するのです。

二度の世界大戦によって管理者たちの「階層」が生み出されましたが、もしかすると、管理者たちの意識的な「階級」形成に立ち会っているのかもしれません。ただし問うべき点は多くあります、なぜなら(マルクスにおいて)「階級」と「階層」のあいだには根本的な違いがありますし、「階層」はなんら自律的ではありませんから。フランス革命時といささか似ているかもしれませんね。ブルジョワジーがひとたび階級を構成すれば、彼らは反革命によって権力を奪取し、社会を変えてしまうのです。社会の二極対立が終わった後に「管理者たち」とともに進行しているのはこうした事柄なのです。

いずれにせよ、はっきりとした権力形態の変容が生じています。国内セキュリティ市場の存在が前提としているのは、投資家、生産者、政治代表、商売人によるコラボレーションです。すなわち、共通の打算のために意識的にふるまう強力なネットワークによる協働があるのです。アルジェリア戦争において、とりわけ住民に対する戦争のドクトリンの出現とともに、軍・警察・国家内部に一種の階層が生み出されました。その階層の誕生はより広範な現象の一環です。一般に、植民地戦争および20世紀全体をつうじて、反革命的な軍事極右階層の存在は、それが権力を奪取することがなかったとしても、権力のあり方を変える要因となったのです。その軍事極右階層の助けが必要な場面で、ブルジョワジーは彼らに権力を委譲しました。こうしたことはラテンアメリカやアフリカ諸国のみならずフランスでも見られたことです。1958年5月13日のクーデタにおいて、植民地地経営者たちは一軍人たるド・ゴールに支配権を委託しましたね。

要約すると、私はなにも複雑な話をしているのではありません。現在のコントロール社会は、コントロールと恐怖を商売の具とする者たちの支配を中心として自己組織化されているということです。残る問題は、管理者たちが「階層」なのか「階級」なのかということです。コントロール装置の原動力となっている労働者たち、「警察の一兵卒」たちの存在をどのように捉えればよいのか、彼らの隊列を解き、その武器を「自分たちの将官に向け」させるにはどうすればよいのか。これらはくりかえし問われるべき問題であり、解決できねばならないものです。というのも、弾圧装置の隊列が解除されずして社会の変革もありえないのですから。


再びEurosatory国際防衛見本市

あなたのいう管理者たちの潜在的な台頭ですが、それはスムーズで自然な動きとして起きているのでしょうか?

いいえ違います。その台頭は複雑なプロセスであり、このプロセスは、支配階級のさまざまな分派間ないし弾圧装置の内部にはらまれた大きな矛盾につらぬかれています。5、6年前からフランスの警察や軍の内部に生じている緊張関係は相当なものです。たとえば国家元首は、軍のなかではまったく好かれていないし、警察においても彼を支持する者は半数にとどまる。その理由としてはとりわけ、政府が予算と人員を削減し、軍需品の購入にしか投資しないからです。警察官や軍人たちは、政府の防衛政策や治安対策を公然と批判しています(彼らのなかには左翼もいますが、大半は右翼です)。こうしたすべては、昨今の重要な変容である民間セキュリティ会社(軍事であれ民事であれ)の発展を軸として結晶化してきています。その発展は「あらたな脅威」に対応できるようにするためであり、そこには公共支出の削減がかならず付随します。アメリカはすでにそうした動向に身を委ねていますが、フランスは長いあいだそれに抵抗感を示してきました。防衛白書が発表されて以来、そうした動向はたとえば国防機関の刊行物やシンポジウムにおいて認めることができます。かくして、変化が不可避的であるとする考えは主流として認知されていったのです。むろん、国家にとって主権の独占を失わないことが重要であるとも強調されてはいますが。国家は一般に、支配階級による私的暴力の行使を制限し囲い込むものですし、国家はこれまでずっと、軍事力をじっさいに民営化することを拒否してきました。だがいまやそれも終わりです。戦場における激変を覚悟せねばならないでしょう。

「複雑なプロセス」というのはつまり、長期的な計略が不在だということでしょうか?

そうとも言えるし、そうでないとも言えます。むろん計略、戦略、策略といったものはなされていますが、それらはしばしば競合関係にあり、対立することもある。また、国際金融機関による経済計画というのもあります。その計画において、支配階級の分派たちがかなり簡潔なプロジェクトをめぐって意見を一致させている。そのプロジェクトとは、大規模な協働関係による覇権をもくろみ、諸国家をたんなる警察の役割に還元しようとするものです。しかし実際のものごとは少しずつ、手さぐりで進行しています。この変革をめぐって、誰も明確なヴィジョンを持ちえていないと思います。だからこそ、私の仕事『内なる敵』は一部の軍人たちの興味を惹いたのでしょう。なぜなら軍人たちには私が行なったような仕事を遂行する権利がなかったからです。ただしそれも変化してきてはいますが。10年ほど前から、フランスの軍や警察の変容についての巨視的パースペクティブのひとつは社会科学の発展に立脚するようになっています。50年代から70年代までの時期を例外として、人文科学は本来の役割、すなわちコントロールという役割に引き戻されました。たとえば、地理学は第一に戦争に役立つという月並みな表現をパラフレーズすれば、社会科学は第一にコントロールのために役立つということができる。コントロール機関が社会科学を必要としているという事態に露呈しているのは、そうした機関が、状況をもはや理解できないという印象を抱いているということです。



私の本がフランスの軍人に関心を持たれたと言いましたが、というのも私の本がそれまでタブーとされてきたテーマ、軍人たち自身も掘り下げることを禁じられてきたテーマを扱ったからです。アメリカにおいては事情は異なります。問いは決して禁じられてこなかったし、フランスの大手書店「フナック」に相当する書店の棚には蜂起対策のマニュアルが並んでいる。それに対してフランス第五共和制というのは、軍事クーデタないしそれが行使する諸技術に基礎をおく総力戦にもとづいて構成されましたから、結局のところ、フランスには問題をめぐる真のタブーが存在してきたのです。フランスの軍人たちは1995年頃にドクトリンが復権されるまでのあいだ当のテーマに取り組む権利がなく、それだけにいっそう彼らは私の本に熱狂したのです。フランスにおけるこうした熱狂は、都市群集のコントロールを専門とする研究機関の発展とセットになっています。つい最近、人口に対する戦争技術が社会のコントロールや抑圧にも有効であるとする考えは大学界にも認知されるようになりましたが、他方で軍人たちははっきりとした自覚を持ち、フランスの恐怖政治の技術がイラクやアフガニスタンで採り上げられていることにたいへんな誇りを感じているのです。

ことの背景には、植民地イデオロギーが偏在しているのですか?

植民地構造からあいかわらず抜け出せていないのです。実権をにぎる政治家たちにはあらたな世代も出てきていますが、それが受けた教育は古い世代によるものですし、現在の政府一派は、植民階級の直接の末裔によって構成されています。それゆえ、彼らはまさに自分たちの領分で、国家アイデンティティなどと騒いでたわむれているのです。Alessi Dell’Umbriaが問題をうまく要約してくれています。つまり「ヴィシー政府とラスベガス、これらがサルコジ体制の参照項」なのです。

ついで強調すべきはあらたな極右の出現でしょう。彼らはそのイデオロギーや実践を練り直したうえで登場してきたのであり、国家アイデンティティはそのすぐれた例です。彼らは古い植民地的レイシズムを、多様性(西洋的アイデンティティを保護するための)といったマーケティングコンセプトにからめて用いたり、ペタン主義的な愛国主義と反自由主義的言説を混ぜ合わせて用いたりしている。これはすぐれて同時代的なファシズムです。ブルジョワジーは、極右を自分たちのイデオロギーと実践のレパートリーとみなし、極右の増殖、発展を野放しにしている。じっさいブルジョワジーは必要に応じて、とりわけ資本の危機のさいには、極右イデオロギーや実践を道具として用いるのです。これぞまさにいま起きていることです。極右はみずからを他と区別することを余議なくされている。なぜなら極右の存在がなくして、そのプログラムは権力の座についているのですから。

そして権力は国家的ゼノフォビア(外国人嫌い)を正当化するために極右を利用している……。

そうです。国民国家において外国人嫌いは構造化されています。外国人を不審者として名指し、それを口実として権利を剥奪することは一個の不変要素なのです。イスラム女性のヴェールや一夫多妻や国籍剥奪をめぐるここ最近の議論のうちに見られるのは、まさにその現代化されたかたちです。国籍が剥奪される可能性があるのは、国籍を取得したフランス人だけです。このことが意味するのは、フランス人であるには二通りのあり方が存在するということです。フランス人として生まれた場合、その国籍が取り上げられることはない。私の知るかぎり、20世紀をつうじてフランス人として生まれた者が国籍を取り上げられたケースはひとつしかありません。それに対して、フランス国籍を取得した場合、その国籍は奪われる可能性がある。国籍とは白いマスクであり、人種を指し示すための共和国の言説にほかならないのです。2005年には「移民出身の」暴徒たちの国籍を取り消すということが語られましたね。

こうしたあらたな国家的ゼノフォビアは、1970年代からフランス植民地アルジェリアやヴィシー政権の文化から着想を汲み取っていますが、このゼノフォビアはとりわけ下層プロレタリアたるサンパピエ、つまり権利を持たざる者の形成を正当化するために利用されています。というのもブルジョワジーは過剰に搾取したのちに強制退去させることのできる人々をぜひとも必要としているからです。ブルジョワジーにとって重要なのは、下層プロレタリアを追放することである以上に、彼らを、わずかばかりの金のために労働し、検挙されるかもしれないという恒常的な恐怖に苛まれる地位にとどめておくことなのです。

あなたはオプティミストですか? いろいろあるにせよ、私たちには押しつぶされてしまわないチャンスが残されていると思いますか?

私はオプティミストです。たんに戦略上のオプティミズムというわけではありません。なによりもまず、人は勝利を信じることなくして勝利しえないからであり、私は信のそうした側面を受け入れます。ただし社会戦争はゲームとは何の関係もありません。結局のところ、歴史にはいかなる意味もないかもしれませんが、重要なのはそのことではなく、歴史にひとつの意味を与えることなのです。

オプティミズムのこうした部分にもまた科学的な根拠があります。マルクス主義者たちの決定論は批判する必要がありますが、それでも、マルクス主義者ではなかったあのひげ面のマルクス自身は本質的な何かを明らかにしていました。すなわち、ブルジョワジーはつねにプロレタリアートを必要とするだろうが、プロレタリアートはブルジョワジーを必要としない、ということです。資本主義の搾取のシステムは有罪を宣告されており、その歴史の終焉ははじめから秒読み段階だったのです。それからもうひとつ……。バクーニンは革命的唯物論について述べ、マラテスタは意志の問題を強調しました。つまり重要なのは、歴史とはあらかじめ定められたものではなく、人間こそが歴史をつくるということです。主たる切断のかなめのひとつとして意志がある。むろん社会歴史的なメカニズムや諸規則といったものはありますが、切断はあらかじめ決定されてはいない。あらゆる支配関係(経済、政治、性差、人種等)は打ち砕くことができるのです。そして切断は「偉大なる夕べ」になされるわけではない。つねに戦場は存在し、それゆえ自身を解放するための好機もまたつねに存在しているのです。

むろん、これは相対化すべきオプティミズムです。私の仕事はもっぱら「残存する反蜂起」に注がれています。つまり権力機械の作動についてです。落胆することもしばしばですが、私たちを抑圧するものを知ることはひとつの武器なのです。支配について分析し、とりわけ解放闘争をつらぬいている支配を分析しなければなりません。60、70年代の革命家たちがどのように敗北していったかを理解するためには厖大な作業が残されています。それは武力の問いでもあるでしょうし、彼らの自己組織化のやり方の問いでもあるでしょう。


ブラック・パンサー党、カリフォルニア州議会前でのデモンストレーション

ブラックパンサー党の歴史を取り上げてみましょう。ブラックパンサー党は、黒人民衆が抱えていた真の必要性に呼応する自己組織化と自衛の形成から始まりました。真の革命的戦闘組織たるBPPを生みだすことになる諸グループが形成されたのはこの瞬間からであってそれ以前ではありません。だからといって、私がBPPの権威主義的で階層的な側面に批判的な視線を向けないわけではありませんが……。
また、アメリカにはかなり面白い男がいる。アシャンティ・アルストンといって、彼はみずからアナキスト・パンサーを名乗っています。ブラック・リベレーション・アーミーの古顔、つまりBPPの地下武装組織の分派の一員です。彼は他のグループとともに、弾圧問題をめぐって、底辺部における組織化の実践をふたたび開始しようとしている。いまや問題は、黒人たちのあいだでの自己組織化ではなく、貧者や抑圧された者たちのあいだで自己組織化することです。彼はBPPとおなじ基盤を敷きつつも、権威主義や人種差別の問題を乗り越えようとしているのです(むろん、BPPですでに強調されてきた反帝国主義、反資本主義、反ファシスト、反セクシストを継続しながら)。彼の言説や実践は明快です。

たとえ私たちがそこまで進んでいなくとも、街区の抵抗運動は発展することをやめなかったし、久しい以前から連合の形成を模索してきました。闘争の自己組織化と自律化を基盤としつつそれを達成することができたならば、街区の抵抗運動はうたがいもなく決定的な戦線を構成することになるでしょう。とはいえ、果てしなくも本質的な作業を継続しなければなりません。すなわち、民衆の解放するための教育を築くという作業です。街区間でたがいに承認し合う経験として数々の叛乱を生きた、ポスト2005年世代がまるまる存在しているのです。「われわれにはそれが出来る」という経験として。しかしそこにはがっかりさせる何かもある、なぜならそれが何も実を結ばなかったからです。ところでいま、ある力強い考えが広まっている。火をつけることは何かの出発点になることはあっても、それが終着点になることは絶対にない、という考えです。

2010年7月11日日曜日

郊外は防衛しなければならない

2005年秋のフランス郊外暴動とともに始まり、2007年秋のヴィリエ=ル=ベル暴動、2008年秋のタルナック事件を経由した「ひとつの歴史的シークエンス」がまるごと国家のシナリオ装置に捕獲されようとしている。だが「そうはいかない」。防衛しなければならないのは、郊外である。
嘘にまみれた世界のシナリオを拒否する者ならば、以下の訳出をぜひとも読んでほしい。

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そうはいかないだろう
なぜ私たちはヴィリエ=ル=ベルの拘留者を解放せねばならないか

来たる2010年6月21日、それは夏至でもなければ音楽祭(訳注1)でもない。私たちの友にして兄弟の公判が開始される日であり、マカとその他の3名は、2007年11月の暴動のさなか警官に向けて散弾銃を放ったとする告発に応じなければならない。シナリオはすでに用意されていた。2008年1月に展開されたメディア作戦(ジャーナリストを引き連れた武装警官1500人のシテへの侵攻)ののちに、サルコジが要請する「見せしめとしての制裁」の数々ののちに、2009年春の暴徒に対して下された法外な処罰(たんなる投石に対し禁錮3年)ののちに、今度は「郊外の警官殺し」に対する裁判というわけだ。この裁判の責務、それは現政府と、フロンナショナル支持者を筆頭とするいかれた連中との和解である。

事件で死亡したのはラカミーとムシンである。二人の青年は警察車両の不可解な「事故」によって殺されたが、訴訟においてこの事実はなおざりにされるだろう。救急隊が到着するかしないかの時点ですでに、内務省スポークスマンは二人の死が警官によるものではないと報道陣にむけて発表したが、連中はそれについてしらを切るだろうし、機動隊員を満載した車両群がシテに押し寄せたことが暴動のきっかけとなったという点についても口を閉ざすだろう。なぜなら、国家の恨みを存分に晴らすことのできる「犯罪者」が必要だからであり、そのための裁きが必要であり、とりわけ見せしめの裁判が必要だからである。ところで、いかなる証拠も不在である場合、裁判は証言に立脚することになる。つまり報酬に釣られた密告者や警官の言葉と「若者たち」の言葉が、重罪院の一名の陪審員の前で裁かれるのだ。

ラカミーとムシンが死ぬまで、ヴィリエ=ル=ベルはヴァル・ドワーズ県のひかえめな街だった。Gare、Cerisaie、Zac、PLM、Carreaux、Burteaux(訳注2)……。暴動後、ヴィリエは街の名であることをやめ、象徴となり賭け金となり、ファンタスムとなった。現政府はそこにありとあらゆるセキュリティ的不安を投影している。警察による街区の占拠に対して組織化された暴動が応えるという恐怖、10年来フラッシュボール(訳注3)の標的であった者たちが今度は照準器ごしに警官をうかがうという恐怖。年間をつうじて、ヴィリエの大通りで夜ごとに繰り広げられているのは、さまざまな警察組織体が乱舞するバレエである。UTEQ、機動憲兵隊、機動隊、BAC、等々。それに加えて警察官360人が詰める警察署が開署されようとしている。なされているのはひとつの実験である。つまり、ひとつの街が暴発にいたることなく、警察の圧力や挑発にどれだけ耐えうるかを見極めるための実験なのだ。ここにおいてセンセーショナルなのは、社会の周縁に生きているということではなく、社会の未来の実験場のなかで生きているということである。確実に言えることだが、近い未来に蜂起の恐れありとすれば、その蜂起は権力がつとめてマネジメントしようとしているこのヴィリエにおいて到来する。17時以降にここを散歩する者なら誰しも理解するように、国家とそのロボコップたちのガザにおけるがごときパトロールは、いわゆる無秩序の支配を秩序に連れ戻すことを使命としているのではない。秩序をもたらす者と目されるために、選挙が近づく時期をみはからって無秩序を惹起することを使命としているのだ。

じじつこの社会は、自身がどういう存在であり、どういう存在でありたいかを積極的に語ることができなくなった。そのあまりの無力ゆえに、社会は郊外に抗するものとしてしか自身を定義できないのである。またそれゆえに権力は、マカたちに対する訴訟を「警官殺し」に対する訴訟にしようと望むのだ。すなわちこの裁判を利用して、壊滅しつつある社会を取り繕うために。だが私たちの友人たちには、社会の破滅であれ統治者たちの救済であれ、支払う義務などない。結局のところ、彼らに起こされた訴訟が狙いとするのは、明白な行為に対する責任を確定することではなく、ひとつの出来事をまるごと裁くことであり、さらに言えば、ひとつの歴史的シークエンスを裁くことである。2005年のジエとブナの死と暴動とともに開始されたシークエンスであり、権力が重罪裁判という大がかりなスペクタクルによって終わらせようと望んでいるシークエンスである。

ただし問題は、そこで表現された激情と叛乱がこのまま鎮圧されたままにはならないということだ。もうひとつの問題は、あれらの爆発がいわゆる「シテの若者たち」以外の心にも共鳴を引き起こしたことであり、いまも共鳴しつづけていることである。さらなる問題は、今回の分断作戦が決定的に座礁しつつあるということだ。仕切り壁は打ち破られ、互いの手さぐりはふたたび相手を見出した。私たちは、警察による生の支配にこれ以上我慢できない者たちに呼びかけている。私たちは何でもするだろう、この訴訟を、警察自身の無秩序によってその支配を正当化するあらたな機会としないために。

私たちは、私たちの兄弟が統治者たちの不安に支払うことを拒否する。私たちの兄弟はもうすでに2年間も監禁されているのだ。

私たちは、警察からの報酬を受けた匿名者の証言にもとづいて十数年の禁錮刑が下されることを拒否する。

私たちは、政府のシナリオを拒否する。そのシナリオを滅茶苦茶にしてやるための時間は私たちに3カ月ある。

5月20日から6月15日まで展開される救援会ツアーにおいて、すでにいくつかの日取りは決まっており、このツアーは公判が始まる数日前にはデモへの呼びかけに至るだろう。部分的なプログラムは来たる数週間のうちに公表するつもりである。私たちにコンタクトしてほしい。救援会、討論会、上映会等の集会を組織してほしい。出会おう。

私たちを金銭面(弁護士、救援キャンペーン)で支援していただく場合は、ヴィリエ=ル=ベル救援コレクティヴのメールアドレスまで連絡いただければ、口座番号をお知らせします。

ツアーにかんする情報ならびにその他のイニシアティヴについては以下まで。
www.soutien-villierslebel.com

訳注1:フランスで毎年6月21日に催される。さまざまなジャンルのミュージシャンが街のあらゆる路上に出て演奏する。
訳注1:ヴィリエ=ル=ベルのさまざまな街区(ネイバーフッド、カルチエ)の名。
訳注3:フランス警察が使用する「非致死性」の銃。ただしそのゴム弾丸は38口径弾と同等のインパクトを持ち、2009年にはパリ近郊のモントルイユにおいて一名のスクウォッターがフラッシュボールにより片目を失明している。

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言われている公判は6月21日から 7月3日まで、当初3週間の予定が2週間に短縮されるかたちでほぼ一方的に展開された。一般傍聴席には私服警官が陣取り、救援団体や被告の家族の入場は物理的にブロックされた。密告のみにもとづいて日曜の夜ひそかに4名に言い渡された判決とは、3~15年の禁錮刑である。想起すべきは、2007年の暴動直後、警官2000人にむけたサルコジの演説の言葉だろう。「あなた方が望むどんな手段にでも訴えてほしい」。最後に、被告のマカはタルナック事件で投獄されたバンジャマン・ロズーと獄中で「出会い」、2009年に共同で文章を発表していることを言い添えておきたい。

2010年7月8日木曜日

言葉がサッカーを























終わった…W杯が。私にとっての。
フォルランありがとう。ウルグアイチーム、愛してます。
いや まだ終わってなくて3位決定戦があるのだけれど、
なんというのか われわれもかれらも、もうくたびれちゃったから、
帰りたいなあとか思うし、
気持ちがのぼりつめて、そのあとに「じゃ、3位きめましょうか」
というのは、どうもかったるいし。
ドイツとやるの 疲れそうだし。
(追記。といいつつ 今日になったらもうたのしみになっちゃったのだが、
3決が地上波放送されないということを知り、驚愕。理解不能。)

サッカーはどうしてこんなに悲しく、よろこびに満ちているのだろう。
イビチャ・オシムの白ワイン片手の試合評をききながら、
クストリッツァの『マラドーナ』、
1986年のディエゴと2010年のスアレスの手、
ジズーの頭突きと時間が止まったみたいなターン、
ドノバンの鋭角ゴール、ギャンの涙と顔を覆う長い指、
審判に文句をいうファンボメルの憎たらしい顔、
髪を揺らしながらドリブルするガウーショの脚、
アディショナルタイムに同点弾を決め歓喜で横転するキーン、
松井君の湯気をたてる肩、などをおもいだしながら、
言葉によって変わっていくスポーツだ という友人の言葉をおもいだす。
そういえば、サッカーって茫漠としている。
どのようにもなるだろうし、どのようにもならないだろうし、
みんないいたいことがある。
指図したり、ギャアギャア喚いたり、選手と「コミュニケーションをとろう」としたり、 と
総じてズレちゃってるネロ的コーチがいたり、
マフィアFIFAとか某国サッカー協会が「人事」を牛耳ったり、
エミレーツ航空がミランの本田圭祐「獲得」を後押ししようとしたり、
アトレチコが「財政難」でたいへんだったり、ということを考えると、
サッカーはたちまち あてのない言表から離れ、交換の力域に悲しく沈んでしまう。

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 首長の語りは耳を傾けられる必要がほとんどなく、インディアン達はしばしば、首長に全く注意を払わない。権威者の言葉はネ・エン・ハンタンne eng hantan つまり、返答を期待しない厳しい言葉だ、とウルブ族の人々は言う。しかしこの厳しさは、政治制度の無力を補償するものでは全くない。権力の外在性に、言葉の孤立性が対応する。権力の言葉が、厳しく語られながら全く耳を傾けられないということの中に、権力の優しさが表われているのだ。(…)
 こうした政治領域の構成様式は、インディアン社会を防御するメカニスムとして理解することができる。文化は、文化を基礎づけるもの――すなわち交換――の優位を、正に、この基礎の否定を権力に照準することによって確認する。しかし、これらの文化が権力の力域においては、「記号」から交換価値を除去することによって、女性、財、語から交換すべき記号としての機能を奪うことにも注目しておかなければならない。その時、これらの要素は、交通(コミュニカシオン)の地平にあることをやめ、純粋な価値物として把握されることになる。言語の地位は、この記号という状態から価値の状態への転化を、独特の力強さで暗示している。すなわち、孤立の裡に発せられる首長の語り(パロール)は、記号というよりは価値物として語に接する詩人の言葉(パロール)を思わせるのだ。こうした交換の諸要素の脱‐記号化と価値化という二重の過程は、一体何を意味しうるのだろうか。それはおそらく、文化が、文化の諸価値に対してもつ愛着を示すのに留まらず、何人もが交換によって課される条件によって制限されることなく、享受することの充溢を表現しえた神話的時代への希望あるいは郷愁を表現しているのだ。
(P.クラストル/渡辺公三訳『国家に抗する社会』、第2章「交換と権力 インディアン首長制の哲学」)

2010年7月6日火曜日

文学とは本のことである

「文学というのは、要するに、本のことである。その他に新聞や雑誌に載ったものは文学の切れ端と見て構わなくて、その証拠に、文学の切れ端と呼べる程度にその中で読み甲斐があるものは後に一冊の本に纏められ、この方が一層何か読んだ感じがする。」
(吉田健一『文学の楽しみ』)

これは「編集論」や「書籍論」ではない。
現代では、「切れ端」こそ破壊力があるのではないか。
瞬間的にそのように考えて、吉田健一の時代といったようなことをぼんやり思ったけれども、
ここはそういうことが問題になっているのではなくて、
いわんや「すべからく本とはこういうものであるべき」等でもなくて、
本という物質と言葉という非物質がひとつになっているという
あたりまえといえばあたりまえだが稀な事態との邂逅、
「詩と真実の一致に遭遇することが文学である」ということが語られている、
と思われる。

これを、「すぐれた書き物は本になる」「本になるのがすぐれた書き物である」
と読みかえたり誤った要約をしたりして、
「本一般について」考えることはしたくない。
私がひとりの人間であるという一体性とおなじような意味で、
書いた本人にとてもよく似ている本に、であうことがある。
会ったこともないそのひとに、私はよびかける。
「ミゲル、ありがとう」とか、「田中先生大好きです」とか。
会ったこともないのに「似ている」と思うのはなぜかといえば、
書いてある言葉がそう告げているからとしかいいようがない。
不思議でうるわしい読書世界の開闢。薔薇の時間の流れる。
その1冊ごとのよろこびの有無以外に、本について考えるべきことは、
じつはさほどないのではないか。

た:たのもしいでしょ、社会をデザインしちゃう!
ち:ちんけな左翼は蹴散らすわよん♥♥でも最近、
つ:twitterに夢中であんまりかまってくれないの。
て:手にはいつも●フォン!
と:取的みたいなわたしの彼。

世界中のパソコンと携帯電話をたたきこわして
(多くの場合これらがあるためにクソを薔薇と錯視させられているから)、
●号館●●号室の前に特太うんこをして
(ちょっと与えとけば黙らせることができると思っていて頭にくるから)、
新宿駅の「顔認知広告」モニタを反吐まみれにして
(捕獲があからさまでうんざりするから)、
大好きなきみとふたり、遠くへ旅をしたい。