2008年12月21日日曜日














アテネから素敵なクリスマスカード!

2008年12月17日水曜日

夜の合戦

ギリシアの学生は日中、街路に出て警察と闘った後、大学に戻り、英気をやしない、夜の闘いに向けて作戦を練る。それはネオリベラリズムの息の根を止めるための闘いだ。フランスの学生たちは夜、裏道を行く。なぜならデモのための許可なんか取ってらんないから、なぜなら、遠くからパトサイレンが聞こえたら、バリケードを作って道を封鎖するため、警察から逃げるため。バリケードを作るなんてとっても簡単、路肩にあるもの、片っ端から道路に投げ込めばいい。都市は親密な迷路だ、警察なんか屁でもない、都市は大学は夜はおれたちのものだ。

2008年10月29日水曜日

YOU OWE US

Cough it up! Cough it up! Cough it up! Cough it up! Cough it up! Cough it up! Cough it up!
You owe us!
I’ve been kicking your servants all these days ’cause my boo had conducted away. I really wanna kick your booths or cars!
Craps!
Pee-★kun, I'm sending you straight to hell ’cause he’s our live star.


返しやがれ!
てめえはあたいにクソ借りがある!
ここんとこ、てめえらのクソ奴隷どもを蹴りたおすだけでいちんちが暮れてくぜ、あたいの彼をしょっぴきやがって! ほんとはてめえのクソ小屋●●ボックスとかクソ●トカーを蹴りくさってやりてえんだ! 命びろいしやがったな!
クソゴミ野郎ども!
ピー●のヌイグルミ、在庫ぜんぶよこせおら! 世界中の木に五寸釘でくくりつけて呪ってやるよ! だってあのひとは、あたいたちの生ける星。

2008年10月16日木曜日

うちのおばさん

ベルマークあつめてる
「生茶」の変なパンダ欲しがる
机の正面に「●●」って書いて貼ってある
ゴミを分別しないと怒る
冷蔵庫に 出前とか弁当についてきたちっちゃい袋入りの醤油等を貯め込んでいる
冷蔵庫に梅干しが入っている
胡椒・七味唐辛子・チューブ生姜等が常備してある
机の上にあめちゃんがいっぱい置いてある
飯島直子を「なおちゃん」と呼ぶ
トイレ紙が三角に折ってある
こわいよ いやだよ 妖怪だよ

おれもエスプレッソマシン等を常備して対抗しようかなあ

2008年9月29日月曜日

楽園から吹いてくる風

僕は、「大学が世界にぜったいに必要だ」という考えに得心がいくまで、
約15年かかりました。
70年代以降、がっちり構築されたサミット体制の30年間の長いながい呪縛は、
僕の人生も もれなくきちんと覆い尽くしていたわけです。
そしていま 「変節」(倒錯)を経て事新しく考えることは、
大学の問題を考えるときに「理念」(制度や組織や建物としての「大学」ではなく、いまだ到来しない「明日の/条件なき大学」)が求められるのと同じように、
僕が人生の問題を考えるときには「大学」が必要なんだ、ということです。

僕が大好きなバーが新宿にあって、
このまえそこに行って やっぱり僕が大好きな店主にひさびさに会って、
すると彼は 三浦展という腐れマーケッターのひどい新書(『下流大学が日本を滅ぼす!』)を読んでものすごく傷ついていました。
ケツ吹く紙にもなりゃしねえや!
大学の崇高と 運動の愛とをともに生きている天使(クレーの天使)だから、
マーケッターのうす汚い言葉が心底こたえるんだろう。
マーケッターの垂れ流す言葉はだれのことも幸せにしない。

字義通りの「福祉」の再生をめざして、
「自立生活サポートセンターもやい」のみなさんはすごく大変な苦労をされているわけですが、
きのうある人から、「でも まだしも生活保護法という法的根拠があるわけだよね。大学の話は法的根拠すら無いって言い張られるからね」と言われました。
それはそうかもしれない。というわけでまずは、にっほん政府には、
① 国連人権規約13条2項c「高等教育の漸次的な無償化」に批准する。
② 大学憲章(マグナカルタ)に署名する。
というところからやってもらいたい。
そのうえで、いっこいっこ「カネ出すか出さないか」を揉めようというのなら、受けてたとうじゃん。
ほんとは「出せ」としか言いたくないけどさ。あたりまえのことだし。
でも俺は寛容だから、手前たちの大好きな「グローバルスタンダード」に達するのを待ってやってもいいよ。かわいそうだから。

30年は長かった、けれど僕たちは、
未来が流入した現在を、再生の時を生きています。
「楽園から吹いてくる強風は天使を、かれが背を向けている未来の方へ、不可抗力的に運んでゆく…
ぼくらが進歩と呼ぶものは(この)強風なのだ」(ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」)

ちょっと昔じゃなく、ものすごい昔のことをもっと知りたい。
中世のボローニャに群れ集ってくる不良学生と不良教員の連帯が
すでにスユ+ノモに体現しているのと同じように、
僕たちの街路にも 潜在的な過去がさまざまの「新しいもの」をつけくわえてゆくだろう、
そして未来からの、素人/愛好者たちの乱入が
「大学」の概念の刷新と拡充をはたしてゆくだろう。

2008年9月11日木曜日

われ天の邪鬼なり

われ天の邪鬼なり
きゃぴたるの四隅をまもるえすぴーにふみつけらるる煩悩の徴にて
過剰なものなり
名の「天」は記紀の由来にもとづくなるといへども
空かける過剰とぞわれらよばむ

ぽりこうけちらせ がらすわれ らくがきかませ
すとぶちあげろじどうしゃもやせ
うたえ はたをかかげろ
よこしまなもののよろこびのために

2008年9月4日木曜日

パリの恋人へ

パリの恋人よ 調子はどう?
部屋は片づいた? くつろげるカフェやおいしいレストランはみつかった?
タバコが買いにくかったらいつでも言ってくれ、
カートンをEMSで送るから。
あれ、タバコって送れないのかな?
僕たちの先輩は、あいかわらず「タスポ」の見本をポケットに入れて歩いて、
「これを出せば買えるはず」と言いはっています。
いったいだれを笑わせようとしているんだろう?)

僕は今日、憂鬱な気持ちでこれを書いています。
大学と書物をめぐる世界は 隣組みたいのに包囲されていて
パノプティコン的ブログが恐怖政治を敷いている。
僕たちの愛する友は、己の矮小さに脅えてはキャンキャン吼えたてる小型犬のようなファシスト野郎にいじめられて
僕はすごく頭にきたけど それでも彼はあいかわらず頑固で、「好きに生きる」と言っていた。

東京はまだ暑い!
こちらでは三浦展がひどい。あと、また首相が「辞めたい」と言って辞めた。
漫画オタクの脳足りんか、都知事のバカ息子か、はたまたマッチョ寿司女か?
もう手詰まりとかいう段階じゃなくて、あまりのひどさに笑ってしまう。
きっとファシストは いまこそ「世にも高潔な政党」の出番だとか本気で思ってるんだろう。
それからDの『対話』の新訳が出たので、買っていま読んでいます。
仕事でつきあいのあるとあるオヤジは「なぜ旅に出ないんだ?」「沖縄に行ってみろよ」とか言いつのるんだけど、
ベッドに寝転がって『対話』を読めばいつでも すずやかで熱いノマドでいられる。

君の まるでこの世に居ないかのような瞳をおもいだしながら
あとすこし 秋までの日をぐずぐず過ごそうと思います。

どうかパリの君にすばらしい幸福が訪れていますように!

2008年8月29日金曜日

抑圧廃盤に抗するの歌

今夜、観たい映画がある 大学生とストライキの話
でも廃盤DVD化されてない名作なのに
ダンカイの怠惰とケーサツの抑圧

大学と本屋は恋をする場所だって僕の友が言うから
こんど夜の大学で上映会をしようと思ったのに
それで君を呼んだのに

ケーサツ大暴力映像があるから
(女の子が棍棒で殴られるシーン! ついこないだの某H大 既視感 どっちが先?)
この映画無きものにしたいんだろケーソツだなあ
知らないぜ蜂起 放棄 箒 法規 彗 抛棄 宝器

詩の宝珠どこにある 僕たちの会話のなかに
映画のほうきぼしどこにある 僕たちの記憶のなかに
ストの愉悦どこにある 僕たちの約束の先に

2008年7月25日金曜日

大学とはどういう場所なのか

ひみつ文書?を入手したので さっそく配布します。
『京大新聞』に載った、白石嘉治さんの講演抄録です。
以下に飛ぶとダウンロードできます。キーワードは kyoudaikouen です。
http://www1.axfc.net/uploader/Ne/so/27133.pdf

大学がどういう場所なのか、
大学生ってどんな存在なのか、
なにがわれわれの敵なのか、
じぶんのどんな欲望を どんなふうに肯定すべきなのか、
というようなことが ちょっとずつわかってきたような気がします。
読むとすごい元気がわいてきます!

2008年7月23日水曜日

札幌マニフ

洞爺湖サミットに抗議して札幌でさわいだときの映像です。楽器もっていけばよかった…スピノザいわく「後悔はその二倍のものを奪い去る」、ゆえに後悔はしないが、やっぱもってけばよかったなあ。ちなみになぜこんなに映像が短いかというと、もっと長く撮ったのもあったのだが、邪魔してきたケーサツの暴力場面を撮ろうとしたら容量がいっぱいになってて、焦ってやみくもに消してしまって、帰ってきてみてみたら のこってたのは試し撮りみたいな短いのばっかりだったのだ。ケーサツ、ほんとに迷惑です。おれが機械によわいとかそんなことはこのさいどうでもいい。

「学費ゼロ」zineをつくりました

承前、「学費ゼロ」のつづきです。
前掲『増補 ネオリベ現代生活批判序説』から、
「学費ゼロ」に関する部分を抜き書きして zine をつくりました。
これを読めば 「なぜ学費はタダであるべきか」を納得できると思います。
(もちろん納得しない人もいるでしょうが。)

以下をクリックすると、「H_52682.pdf のダウンロード」という画面が出ます。
http://www1.axfc.net/uploader/H/so/52682.pdf
で、中段よりやや上の「キーワード」というボックスに gakuhizero と入力して、
そのすぐ下の「ダウンロードします」というボタンを押すと、
「ダウンロードできる状態になりました」という画面が出ます。

(以下、読まなくても問題ありません。)
で、その直下にサラ金の広告があって、
さらにその下の「〈ダウンロードする〉」って青字をクリックすれば、zine のファイルが出てきます。
(PDFファイルは A4用紙2枚必要で、A5サイズの8ページ仕立てです。

両面印刷してまんなかで折れば A5サイズの冊子になります。
両面印刷のさいは「とじしろ位置」にご注意ください。
「短辺とじ・上」を指定するとページの方向が合うと思います。)

「キーワード」なんて設定しないで済むようにしたかったのだけど、
どのアップローダにすればよかったのだろう??
要するに 使用者に広告をスルーさせないためにこういう仕掛けになっているらしいのだが。
だれか初心者のおれに教えてください。

2008年7月21日月曜日

会議を途中で抜け出し詩を撒く

そびゆる宇宙船ビル本郷につづく坂
なぜ話通じぬ なぜ殺した話す前に
大学がないゆえにぞあらむ

やってるうちに企業化しちまう、と自転車少年が言った
企業っ気を洗い落とそう 言うこときくのよそう
脱脱脱反反反否否否
けれどおれの日々を肯う

Hey! 書記長 司会してよ
焼酎さがして彷徨ってないで
アキバわかんないって言っちまおう

かわりの世界じゃない おれの生きてるこの世が
きみがいるだけですごくすてきだ

乗れない話題 乗れないウンドー バスに乗れない 世界に遅刻
遅刻はこわい はみごはいやだ だから乗っちゃえ「乗れない」って泣きながら
それでもいいよ またこんど話そう だれも拒まれない それが新しい世界
だからもう 計画配慮他者排除実現可能性って言わないで!

2008年7月18日金曜日

学費はなぜタダであるべきか

さいきんサミットとか朝日にむかついていて忙しく、
学費ゼロ」についてちっとも書けていなかった。
エリートがはりきると きわめて迷惑な事態が生じるということの恰好の例であろう。

以下、白石嘉治・大野英士編『増補 ネオリベ現代生活批判序説』という本から、
「学費ゼロ円へ」の章を抜き書きする。
しばらくはこれを少しずつやろうと思っています。

「痛快! 学費ゼロ学」(古)開講です。

●国連による学費無償化の勧告
 去年(2006年)、日本は国連人権委員会から勧告を受けていました。それは「高等教育の無償化」に関してです。勧告っていうのは一番重い処置です。国際人権規約っていうのは当たり前のこと、子どもを虐待しちゃいけないとか、拷問はだめだとかいうことが書いてある。しかし日本政府は、国際人権規約の13条2項c「高等教育の漸次的な無償化」については保留しているんです。人権規約自体には日本もサインアップしていますが、この2項cに関しては保留し続けている。他に保留している国は、ルワンダとマダガスカルだけです。ルワンダは1990年代にフツ族とツチ族が内戦した国です。マダガスカルは世界最貧国で、政府が正常に機能してない。そしてあとひとつが日本です。国連から日本に対して非常に強いプレッシャーがかかっているわけですが、国連のロジックはこういうことです。つまり、大学を有償化したら、当然のことながら、人々が役に立つ学問しかしなくなるということです。高等教育は学問の問題、人類にとっての問題である、というわけです。どの国にも、一生懸命勉強する人、しない人、両方いますよね。でも相対的に貧しい国だと、どうしても多くの人が実学的な学問に向かってしまう。5年10年で結果を出せるような学問ですね(たとえば理工系)。相対的に豊かな国、G8に入っているような国では、もうちょっと長い視点でみて「結果」が出るようなことをしてほしい。たまたま日本に生まれた学生には、そんなセコい行動取ってほしくない。それが人類史的によいことのはずだ、と。国連はこういう意味で非常に強い勧告を出してきているわけで、このように「高等教育の無償化」というのは、地球規模でみたらあたりまえの話なんですね。

みなさん、知ってましたか? 日本は「ふつう」じゃないんです。アノマリーなんです。

2008年7月17日木曜日

矢部史郎第二部司会、反爺八総括集会(於 新宿剥出小屋)にて詠める八首

生まれてきてよかったとあなたは言った 監獄を出ての第一声 ダシになれて幸せ、と

獄中にて 松本哉『貧乏人の逆襲!』を読むといへり
高円寺から拡声きこゆ


その本は 獄舎に置いてきたとぞいへ
無産と愛の伝播、伝播、伝播

あまりにうるさいので ほろりとするいとまもなし
中央署を囲む「かえせ」の声に

「立ち入り禁止」黒いパンツの尻に燦然と
高円寺猫の差し入れとかや

ひげがすこしのびて ますますキヨシロ似(私見)!すてき
「こりてませんから」のせりふも

あれ?高円寺マニフの映像にわが友うつれり
ゆるゆるさわぐ 胡乱な大学生的人間

総じて、ぜんぜんぶれないイルコモンズ
国家権力はこの芸術家の前に無力なり

2008年7月16日水曜日

外道新聞、アサヒコム

朝日新聞のウェブ版「アサヒコム」が腹立たしい。
朝日は、このまえY. F. R. さんが投稿してくれた「学長力」記事でも明らかなように、
外道まっしぐらの超反動マスコミなのだが、
そしてもうそれはじゅうぶんわかっていたことなのだが、
今回、「嘘は報道していないからOK」という、
報道機関としてもっとも卑劣な態度を露呈した。
世界を知らず、世界を知らせず。もう新聞なんてやめちまえばいいのに。

洞爺湖サミットで、札幌市が
「宿泊予約なしにやって来る海外活動家のために」
西岡青少年キャンプ場というのを用意した。
しかし活動家たちは 自治体=警察のタッグに監視されることをいやがって(当然だ)、
べつのキャンプ場を自分たちで設置した。
あたりまえだ。見張られたキャンプなんて、反G8の精神からもっとも遠いものだ。
そこまでの経緯では、ほんとうにいろいろ大変な、うっとうしいことがあったそうだ。
(詳細はhttp://2008camp.blog43.fc2.com/blog-entry-14.htmlなど参照)

問題のアサヒコム記事は次の通り。
「サミットNGO向けキャンプ場、利用は3人」http://www.asahi.com/national/update/0709/TKY200807090381.html
(ちなみにこの記事は紙媒体の新聞のほうには掲載されていないそうです。)

怒ったキャンプ関係者が朝日に電話で抗議したところ、
電話口の男は「だって札幌市=自治体が用意したキャンプに3人しか来なかったのは事実でしょ」とのたもうた由。
たしかにそうだ。記事には「自治体が用意したキャンプ」とある。
おい、朝日。嘘を言っていないからいいってのか。
それとべつの空間で起きていたもっと大切ですばらしい事柄、
数々の食事、サッカー、音楽、ダンス、会話、
群れの出来事、世界のひらかれを報じないことは、
嘘をついているに等しい。罪悪だ。誤報だよ誤報。
この記事にみなぎる「反G8、イケてない・ふるわない」感、
これをプロパガンダといわずして何と言おう。

くりかえす、朝日 やめちまえ!

2008年7月11日金曜日

夏の夜ものもらい有して詠めり 八首

すすきのの 薄暮に消ゆるクラウンの君
おれはきみなり きみはおれなり

クラウンよ きみはわれらのメジュウムならむ
政治が芸術を欲するとぞいへ

できません という言い訳に
舞文曲筆30分!
オヤジらよつけるならぜひ「想像力」をしも

大学をかえせもどせと春の詩人

わが青春は black なりき

雨上がり 美竹公園の会議の夜
「たすけてうなぎ」が居てよしとぞ告ぐ

友をかえせ
シュプレヒコールが豊浦の朝霧をさく
虹色ウィッグのセクシーなアナキスト

友よわれはきみの言葉がこの世界をひらく日を一度たりとて疑わじ

わがきみよ つぎのなつにはマッダレーナ島へ
ゆかむわれはパリのきみをおとなわむ
Next is Italy!

2008年7月7日月曜日

学長たちの妄想

今朝の朝日新聞(7日)の11面がかなり寒い。

ふだんは新聞なんて一切読まないのですが、北海道のこともあるのでつい購入してしまいました。

さてその11面では、シドニー大学シンガポール国立大学ロシア極東国立総合大学慶応義塾大学の学長が対談しています(「国際化時代の指導力は?国内外4大学のトップに聞く」)。環太平洋大学協会の学長会議だって…。何それ?たとえば以下のやりとりですが、むかつく、とか、もうそういうレベルじゃないよね。まさにスキャンダル=醜態。ほんとうに、学生は暴れてもいいし、何やってもいいんだとはっきり納得させられます。



―― 大学の意思決定が重要になる中で、学長のリーダーシップはどうあるべきでしょうか?

ブラウン(シドニー大学長) どの学長もボトムアップの意思決定が大事、と言うでしょうが、おそらくウソをついていますよ(笑い)。[……]いまや大学は巨大なビジネス組織になりつつある。例えば、私の大学なら14豪ドル(約1500億円)の予算規模をもち、6千人近いスタッフを抱える。学長は最高経営責任者(CEO)のように、強力にリードする必要も出てきている。

シー(シンガポール大学長) 賛成だ。今の大学は企業的な色合いが濃くなっている。私たちの大学も予算規模は12億シンガポールドル(約1000億円)で、何十億シンガポールドル規模の建設計画もある。研究でも商業化できるものはしていくという動きが強まっている。以前は学長といえば学者だったが、いまや学長は「学者プラスCEO」になっている。もう少し進むと「CEOプラス学者」になり、もっと進むと「社長」になるかもしれない。



ファシズムとオヤジ妄想が混ざってる感じ。恐いというか、しょぼいというか。とにかく、いま、大学当局の言うことは一切聞かなくていいし、学生は何やってもいい。ドゥルーズは言った。「ひとは他人の夢に捕えられたとき、愚か者になる」。つまり愚か者になるということは、他人の妄想に捕獲されてしまうことだ、と。現在、大学はまさしくオヤジの妄想に捕獲され、ベトベトになっている。暴れよう、言うこと聞くのもうやめよう、そして大学を自分たちの手に取り戻そう。

2008年7月3日木曜日

札幌に行ってきます

最近あんまり書いていません。サミットがむかついて。
UN(E)さんは 6月末におこなわれた世紀の愚行「大学サミット」を邪魔しに、
すでに札幌へ行かれたらしいですね。
おれは 7/5(土)の大デモへ行ってきます。
帰ってきたら報告書きます!

2008年6月25日水曜日

「g8大学サミット」は今回1回で終わります。

「G8大学サミット」という会議が6月29日から3日間ある。
http://g8u-summit.jp/

サステイナビリティとか言ってるけど、何が話し合われるのか全然わからない…
電話して聞いてみよう!

---「なぜ、そのようなことをお知りになりたいのですか?」
と言われた。
なぜ、「そのようなことをお知りになりたい」と聞く必要があるのか知りたいのですが、と言ったら
すっごい早口で意味がわからないことを言われました。

今回で終わるね、大学サミット。

2008年6月19日木曜日

法大弾圧映像ありました

ごめんなさい。先日書いた「法大弾圧映像が消された」、
ちゃんとYou Tubeにありました(法大文化連盟のブログにも転載)。
http://jp.youtube.com/watch?v=urcLdjEmNos&eurl=http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-17.html
TBSの動画サイトから消えたのは事実ですが、
この世から消え去ったわけではなかったです。深謝。


釜ヶ崎暴動 その2

承前。けさテレ朝のワイドショー「スーパーモーニング」で少し報道していた。
「コメンテイター」のうち、鳥越俊太郎は多少は知ってるらしく、
「仲介者のピンハネ、ケーサツの暴力がひどくて、
みんなそれにたいして怒ってるんだろう」といちおうちゃんと言っていた。
が、作家の江上剛(元銀行員、一勧)は、
「いまの非正規雇用のひとたち(いわゆる「ワーキングプア」ですね、と司会者が付け足した)
のほうが大変なんだから!」
と、あたかも「釜ヶ崎はマシ」みたいな発言。犠牲の累進性。
しかも「いまの非正規雇用」って、釜ヶ崎も非正規だっつうの。
「釜ヶ崎」を、地名ともども過去の、古い労働の話、みたいに扱う姿勢。
これはダメでしょう!
じゃあ いっしょに暴れている女子高生とかのことをどうやって説明するの?
くりかえす、『G8サミット体制とはなにか』を読みましょう。

2008年6月18日水曜日

釜ヶ崎暴動

釜ヶ崎で大変なことが起きている。
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays13.htm
なんでこれがちゃんと報道されないのか?
ニホンのマスコミの想像力は、「暴動」にたいしてきわめてやわである。

当惑なのだろうか、無視なのだろうか。

おれもリヤカーで突っ込みてえ! 機動隊のヘンな盾、ぶんどってぐちゃぐちゃにしてえ!

うるわしき野営者にして政治学者 栗原康の処女作『G8サミット体制とはなにか』
(以文社 2008.6 刊 
http://www.ibunsha.co.jp/index.html)には、
「暴動」には理由があること、人的暴力を先にふるうのはつねに当局であること、
が明快に述べられている。

マスコミのみなさん、どうかこれを読んで 釜ヶ崎を直視してください!

中村君、よかったね

イランで誘拐されて、ようやく解放されて帰国した横国の中村聡志君。
8か月もほんとうにたいへんでしたね。辛かったでしょう。
ぶじでよかった! おつかれさま! あやまることなんかぜんっぜんないぞ!
またぞろ「バカ大学生が」「救出その他に要したカネは当然こいつの自己負担だ」といった
愚劣な記事が散見されるが、気にするな!
こいつら、『相棒 劇場版』観てないのかな??
つうか いつどこに移動しようが人間は自由なんだぜ。
目的が何であれ、無条件にだ! わかったか!

2008年6月17日火曜日

「研究」は 資本に絡まれてぐさぐさになっている

「ヨーロッパの大学」という授業に出ている。
教授は「21世紀の大学は、資本に媚びる妾のようにではなく、
資本の首を刈ってその首と結婚するサロメ=マリアのようにあるべき」
と告げる、凶悪なるマラルメ研究者O先生である。

前半は講義で、ヨーロッパにおける「大学」の誕生から、
モダンの大学の発展と自己崩壊、
そしてポストモダン的状況を経て現在にいたる大学の(そして研究と教育の)
変容を精確に知る(それによって「大学」の概念と実体の更新=再興をはかる)
という内容である。
(後半は学生による発表がおこなわれる予定。)

大学史にかんする講義は
Christophe Charle et Jacques Verger, Histoire des universités(邦訳近刊)がベース。
「大学」をめぐる状況を考えるためのテクストは、
リオタール『ポストモダンの条件』、
デリダ『条件なき大学』(考えてみればこの2冊は、タイトルが問答になってるんだなあ)、
レディングス『廃墟の中の大学』、ブルデュー『パスカル的瞑想』。

先日の授業では、リオタールの考察にもとづいた、
「研究と教育のポストモダン的状況」についてのお話であった。
一言でいえば、

ポストモダン的状況のもと、「研究」と「教育」は 資本に絡まれて
調査や検証の「技術」、競争に勝ち残る人材を養成する「技術」
を云々するものになってしまい、
正当・不正、真・偽、美などをめぐる判断基準を失い、ぐさぐさになっている

ということであった。

講義をきいているといつも、O先生が荒野に立っているような気がする(さすがsymboliste!)。
ぱさぱさに枯れた平原で彼が語る「大学の再興」という言葉には、
リオタールの弔鐘よりも デリダの公言の響きがあって、
絶望のなかでしか生まれない希望があるということをわれわれに告げる。
O先生は 2年のサバティカルを経てこの4月にわれわれのもとに帰ってきた。
ある大学人が、「おれ、Oさんがいなくて2年もよくがんばったよなあ!」と言っていたけど、本当にそう思う。
良きものは何度でも回帰し、われわれに希望をあたえる。
ジルもジャックも居なくなってしまったけれど、おれたちにはO先生がいます。

2008年6月4日水曜日

法政大学おかしすぎる

法政大学 おかしい。
おととし以来ずっとおかしいのだが、おかしさが極まってきた。
はっきりいって めちゃくちゃ でたらめである。
(詳細は 法政大学文化連盟のブログを参照してください。
http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-19.html

しかも ケーシチョーは決定的映像を隠滅した。
5/29に33名もの学生らが逮捕されたのだけれど、
そのときの映像をおれは5/31(土)の夜、
TBSの動画ニュースサイト(http://news.tbs.co.jp/)でたしかに観たのだ。
大学の構内にコーアンがずかずか入ってきてやがる、ひでえ光景だ、
あっ殴りやがったひでえ! と、
大学において もっとも大学的でないことがおこなわれていることに ふつふつ怒りながら。
ところが、だ。ブログにあのひでえ動画を載せようとおもい、
6/2の月曜朝、ふたたびTBSのサイトをみてみると、
この動画ニュース自体が消えてなくなっていた。
それでもあきらめきれずに6/4(水)、もういちどみてみたら、
こんどは静止画像を添えた記事が載っている。
http://news.tbs.co.jp/20080529/newseye/tbs_newseye3863841.html

動画には、コーアンが ただ抗議しているだけの女子学生をぶん殴っているのがはっきり写っていた。
にぎりつぶしやがったな!
けど もうみちゃったもんね おれの記憶は消せないもんね!
TBSのサイトには 日付ごとのニュース一覧が載っているのだが、
「5/29のニュース」の一覧のなかで この法大の項だけ、「動画あり」を示すビデオのアイコンが無い。
TBS、屈しやがったな!


6/21アレゼールのシンポジウムで、この話題をぜひとりあげてください! ひどすぎます!

2008年6月3日火曜日

「『G8大学サミット』で語られないこと」

このシンポジウム、学生がいっぱい集まるよね。
太鼓持っていこうっと。

*******************************************
アレゼール日本シンポジウム : 「『G8大学サミット』で語られないこと」

北海道洞爺湖サミットに先立ち、「G8大学サミット」なるものが6月29日から札幌で開催されます。どうして「G8大学」なのでしょうか。どうして「大学サミット」なのでしょうか。どうして日本のイニシアティブなのでしょうか。この9月にはイタリアのボローニャで「世界大学憲章」20周年記念のシンポジウムが開催されますが、600を超える世界の大学の学長が署名しているこの大学マグナカルタに、日本からは9つの大学しか署名していません。また日本は、国連の国際人権規約を批准していますが、そのなかの高等教育の漸進的無償化条項の受け入れを最後まで留保している3つの国の1つです。高等教育の無償化、大学の民主化、留学生招致などの問題が「G8大学サミット」で議論されないことの意味について考えます。

日時:2008年6月21日(土)15:00 – 18:00

場所:早稲田大学 早稲田キャンパス 1号館303教室

発表者:岡山茂(早稲田大学)、白石嘉治(上智大学)


主催:アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)http://areserjp.org/

2008年5月26日月曜日

大学の夜 デリダみたいに

5月22日(木)、早稲田大学の生協でやっている夜の講座?に行ってきました。
ジャック・デリダの『条件なき大学』がテーマで、翻訳者の西山雄二さん、
マラルメ研究者でアレゼール(高等教育と研究の現在を考える会)日本事務局長の岡山茂さん、
日本の代表的なデリダ紹介者のひとりである藤本一勇さん、 の3人がお話されました。
西山さんの、ていねいかつ簡にして要を得たお話で、
この本が現代日本でどのような意味をもつのかがよくわかりましたし、
「大学の普遍性」がどこにあるのか、を考えさせられました。
岡山茂さんが、「デリダみたいに」原稿を読んで、「かのように」を連発されていたのが、すげーしあわせ感いっぱいでした。
藤本さんの、フランス留学中にじかにデリダの論文指導を受けたお話も非常に刺激的でした。
まさに「条件なき大学」の現前というかんじです。
西山雄二さんがブログで詳細な報告を書かれています。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/from/blog/2008/05/report-the-night-of-university/

大学、だいすきだ!一生大学生でいたい!

2008年5月21日水曜日

右翼がうようよ

映画『靖国』をみた。
http://www.yasukuni-movie.com/
右翼がうようよ で気持ちがわるくなったが さいごまで観た。
声がでかい。ひとの話をきかない。すぐ恫喝する。「いまの若いもんは芯が無い」と怒鳴る。軍服を着ている。

「終戦60年」の2005年8月15日、神社の境内で、
中国人の青年と 日本人の学生らしき青年がそれぞれ単独で
「小泉の靖国参拝反対」にきていたのを、
右翼がつぎつぎに寄ってきていじめるところが記録されている。
そのとき ひとりのオヤジ右翼(60代くらい)が、野太い声で
「おまえ中国人だろ! とんでもないやつだ!」というフレーズを何万回もくりかえすのが、
いやなことをおもいださせて鬱々とした。

敵の研究に余念無し!

2008年5月20日火曜日

大学の高いビル

大学の高いビル
大学のエスカレーター
すっごい明るい
ビルなのに寄棟の屋根

2008年5月17日土曜日

大学生

大学生 CTYДEHT
АНТОН ПАВЛОВИЧ ЧЕХОВ/池田健太郎訳



 天気ははじめのうち上々で、穏やかだった。つぐみが鳴いていて、近くの沼では何の生物か、空びんを吹くような哀れっぽい音を立てていた。山しぎが一羽、さっと飛んだと思うと、それを目がけて発射の音が、春の空気をつんざいて、長く晴れやかにとどろいた。しかし、森のなかが暗くなってくると、折あしく冷たい刺すような風が東のほうから吹いて来て、あたりがしんと静まり返った。水溜りにはみるみる氷の針がはって、森のなかには居心地の悪い、淋しい、荒涼たる気配がただよいはじめた。冬の匂いがしてきた。
 寺男の息子で、宗教大学の学生であるイワン・ヴェリコポーリスキイは、山しぎ撃ちからの帰りみち、ずっと小道づたいに川ふちの草場を歩いていた。指がかじかみ、顔が風を受けて火照っていた。彼にはこの突然の寒さが万物の秩序と和合をぶち壊し、自然までが不気味になって、そのためにいつもより早く夕闇が濃くなったように思われた。あたりは荒涼として、何かいやに陰気くさかった。川のほとりにある後家の野菜畑に火が燃えているだけで、見渡すかぎり、四キロほど離れた村のあるあたりも、すべてが寒い夕闇のなかにすっぽりと沈んでいた。ふと学生は、さっき家を出る時、母が入口の間の床にはだしで坐ってサモワールの掃除をし、父が暖炉のうえに寝そべってしきりに咳込んでいたのを思い出した。折から受難金曜日で、家では何ひとつ煮焚きをしなかったので、ひどく空腹だった。そして今、寒さに身をちぢめながら学生は、同じような風がリューリクの時代にも、イワン雷帝の時代にも、ピョートル大帝の時代にも吹いて、そうした昔にも、今と同じ残忍な貧乏や飢えがあったに違いないと考えていた。同じような穴だらけの藁屋根や、無知や、憂鬱や、同じような荒涼たる周囲や、闇黒や、圧迫感や、――そうした一切の恐怖は過去にもあったし現在にもあり、未来にもあるだろう。そうしてもう千年たったところで、人生はよりよくはなるまい。こう思うと彼は家へ帰る気がしなくなった。
 後家の野菜畑と呼ばれるのは、母と娘のふたりの寡婦がそれを持っていたからである。焚火がぱちぱちとはぜながら、あたりの耕された地面を遠くまで照らしだして、あかあかと燃えていた。後家のワシリーサは、百姓の半外套を着た、背の高いぼってり太った老婆で、焚火のそばに立って、物思いに沈みながらじっと火を見つめていた。彼女の娘の、小柄でそばかすだらけの、まぬけな顔をしたルケーリヤは、地べたに坐って鍋と匙を洗っていた。たった今、夕食の終ったところらしかった。百姓たちの声が聞えていた。野菜畑の人夫たちが、川で馬に水を飲ませていたのである。
「冬に逆もどりしましたね。」焚火に近づいて、学生が言った。「今晩は!」
 ワシリーサはぎくっとしたが、すぐに神学生だと気づくと、愛想よくほほえんだ。
「まあすっかり見違えて」と彼女が言った。「お金持ちにおなりなさいよ。」
 しばらく話がはずんだ。むかしほうぼうの地主屋敷に、最初は保母として、のちには乳母として勤めたことのある苦労人のワシリーサは、上品な言葉づかいをし、その顔からはいつも物やわらかい、穏やかな微笑が消えなかった。一方、亭主に虐待された、見るからに田舎女らしい娘のルケーリヤは、学生を見ても眼をぱちぱちするだけで、黙りこくって、つんぼで唖のような、奇妙な顔をしていた。
「ちょうどこんなふうに、使徒ペテロも寒い夜に焚火にあたったのさ」と学生は、火のほうへ両手を伸ばしながら言った。「ということは、あの頃も寒かったわけです。ああ、それは何という恐ろしい夜だっただろう、おばさん! ひどく物悲しい、長い長い夜だった!」
 学生はあたりの暗闇を見まわして、ふとけいれんでも起したように頭をひと振りふると、こうたずねた。― ―
「たぶんおばさんは、福音書の十二使徒伝を聞いたことがあるでしょう?」
「ええ、聞きましたよ」とワシリーサが答えた。
「じゃ覚えているでしょう、最後の晩餐の時にペテロがイエスに向って、『われ、御身とともに、獄舎にまでも、死にまでも行かん』と言った。すると主が彼に答えて、『われ汝に告ぐ、ペテロよ、きょう、汝三たびわれを知らずと拒むまで、鶏、鳴くことなからん』と言う。晩餐がすんでから、イエスは庭で死ぬほど思い悩んで祈りをあげておられたが、可哀想なペテロは、心労のあまり疲れ切って、瞼が重くなって、何としても睡魔に打ち勝つことができない。とうとう彼は眠ってしまった。それから、おばさんも聞いた通り、ユダがその夜イエスに接吻して、主を迫害者に売り渡した。主は縛められて、祭司長のもとへ引かれて行って、鞭打たれた。疲労こんぱいして、憂いと不安に悩みほおけ、ぐっすり眠ることもできなかったペテロは、今にもこの地上に何か恐ろしいことが起りそうな予感におそわれながら、そのあとについて行った。……彼は心底から、我を忘れるほどイエスを愛していたが、その彼が今、主の鞭打たれるのを遠くから見たのだ。……」
 ルケーリヤは匙をおいて、じっと学生に視線を注いだ。
「人びとは祭司長のところへ来て」と彼は言葉をつづけた。「イエスを訊問しはじめた。そのうちに下男たちが、中庭の真中で焚火をしはじめた。寒かったので、暖まろうと思ったのだ。その連中と一緒にペテロも焚火のそばに立って、今の僕と同じように暖まっていた。すると、ひとりの女が彼に気づいてこう言った。――『この人もイエスと一緒にいたよ。』というのは、彼も訊問に連れて行くべきだというわけです。すると、焚火のまわりにいた下男たちが、うさん臭そうにペテロをじろじろ見たに違いない。なぜかと言うと、彼がどぎまぎして、『私はあの人を知らない』と言ったのだ。しばらくすると、また誰か、彼がイエスの弟子のひとりだと気づいて、こう言った。――『お前もあの一味だ。』しかしペテロはふたたび否定した。三度目に誰かがペテロに向って、『今日わたしが庭であの男と一緒にいたのを見かけたのはお前じゃなかったか?』と言った。ペテロは三たび否定した。と、とたんに鶏が鳴き出したので、ペテロは遠くからイエスを眺めて、晩餐の席で彼の言った言葉を思い出した。……思い出すと、はっと我に返って、彼は中庭から出て、身も世もあらず泣きだした。福音書にはこう書いてある。――『そこで外に出て、激しく泣けり』と。僕は今こう想像するのさ。――静かな静かな、暗い暗い庭があって、その静けさの中で低いすすり泣きの声がやっと聞える様子を……」
 学生はほっとため息をついて、考え込んだ。ワシリーサはあい変らず微笑を浮かべていたが、急にしゃくりあげたと思うと、大粒の涙がはらはらとその両頬を伝って流れ落ちた。彼女はその涙を恥かしがるように、焚火から袖で顔を隠した。一方、ルケーリヤは、じっと学生の顔を見つめながら、顔を赤らめた。その表情は、激しい痛みをこらえている人のように、重苦しく引きつっていた。
 百姓たちが川から引きあげて来た。馬に乗ったそのひとりがもう間近まで来ていて、焚火の明りが彼のうえでふるえていた。学生は寡婦たちにお休みを言って、先へ歩きだした。すると、ふたたび闇が彼を取り巻いて、手が凍えて来た。無情な風が吹いていた。ほんとうに冬が戻って来たようだった。明日が復活祭だとは思えないぐらいだった。
 学生はワシリーサのことを考えていた。ああして泣いたところを見ると、あの恐ろしい夜ペテロに起ったことに、何か思いあたることでもあるのか。……
 彼は振り返って見た。闇のなかに淋しげな火が静かにまたたいているだけで、そのそばにはもう人影ひとつ見えなかった。学生はふたたびこう思った。――ワシリーサがああして泣き、その娘がああしてどぎまぎしたとすると、彼がたったいま話した千九百年まえの出来事が、こんにちに――このふたりの女に、いや恐らくはこの荒れはてた村に、彼じしんに、すべての人びとに、何らかの関係があるのではないか。老婆がああして泣いたのは、彼が人を感動させる話術を心得ているからではなく、ペテロが彼女に身近なため、彼女がペテロの心に起ったことに、身も心も打たれたために違いない。
 ふいに喜びが学生の心に波うってきた。彼は息をつくために、わざわざ一分ほど足を止めた。過去は、――と彼は考えた――一つまた一つと流れ出すぶっつづきの事件の鎖によって、現在と結びついているのだ。そして彼は、たった今じぶんがこの鎖の両端を見たような気がした。――一方の端に触れたら、もう一方の端がびくりとふるえたような気がした。
 やがて渡舟で川を渡り、それから山へのぼって、自分の生まれた村や、寒ざむとした真紅の夕映えが細いひと条の帯となって輝いている西の空を眺めた時、彼はむかしあの庭や祭司長の中庭で人間の生活をみちびいた真実と美が、そのままとぎれずに今日までつづき、いつの世にも、人間の生活の、いや、この地上すべての最も重要なものを構成しているにちがいないと考えた。すると、若さや健康や力の感じと、――彼はようやく二十二歳になったばかりだった――幸福の、眼に見えぬ神秘的な幸福の、言い知れぬ甘い期待とが、だんだんと彼の心を捕え、この人生が魅惑的な、奇蹟的な、――崇高な意義に満ちあふれたものに思われてきた。

2008年5月10日土曜日

アオガミ キタ

アオガミ キタ。
同封されていた払込用紙には4,000,000という リアリティの無い、滑稽な金額が。
これコンビニで使えんのかよ!?

詳しくは今後、ここでがしがし書いていくつもりだが、
俺は奨学金を返すつもりは無い。借金背負わされてだいめいわくしている。
しかし さすがにそれが多数派意見だとは思っていない。
これを読んで、「ふざけんな」「居直りやがって」「借りたもん返すのあたりまえだろ」と腹を立てる人のほうが多いであろう。
あるブログには次のような「説教」が載っている。

> 滞納者諸君、貧乏しながらでも食を削ってもこつこつと返せよと思う。

> それが自分の誇りになるのだ。と、説教だ。

> 私は焼きが回っているのである。(「極東ブログ」)

御説でただしいのは「焼きが回って」るという自覚の箇所だけです。
「食を削っ」たら勉強も仕事もできません。
つうか 400万の借金背負って、「誇り」もへちまもないです。
「貧乏」どころじゃないです。下手したら死にます。

俺たちは大学で、 生きて愛して本を読んでやさしくなってむやみに勉強して豚を飼って世界に触れて、
街路に出て絵を描いたり歌をうたったり映画を観たりわあわあ喚いたり泣いたり詩を撒いたりスタバのガラスを割ったり落書きしたり「ヒルズ」で鍋やったり、
つまり 表現する。
そのためにカネを払わなきゃいけないなんて、ほんとうにただしいことなのか?
(もちろん、「払う」ことぜんぶ否定してるんじゃありません。オールタダでうまうま生きていこうとおもってるわけでもありません。

ちなみに(独)日本学生支援機構のサイトの「返還について」の項には
次のような脅し文句がでっかい字で書いてある。

先輩の返還したお金が、後輩の奨学金になります。
奨学金を借り終えた後は、必ず返還しなければなりません。

http://www.jasso.go.jp/henkan/index.html

学生支援機構が 大学に行きたいすべての人間の学費を全額払え!
でなきゃ市谷に放火するぞ!
(嘘。だって学生支援機構が燃えちゃったら困っちゃうから。
その詳細については後日稿を改める。)

だいたい 多くの人があたりまえのように感じてしまっているかもしれないが、
奨学金が「貸与」であることは ちっとも 全然 まったく自明のことではない。
土地や労働力が売買=交換の対象になっていることが自明でないのと同様に。