2011年4月28日木曜日

ささやかれているうわさ・その2

国立がんセンター
(とくに「1回の被曝量が100ミリシーベルト以下なら、
がんなどの発生率上昇の可能性は高くならない」
と言い張る嘉山孝正理事長)を筆頭とするがん業界
(医療、保険、製薬)も青汁もにんにく卵黄も皇潤も
原子力シンジケートの一員である。
かれらの見解によれば、
放射線も「生活習慣」のひとつであり、
「どうせ半分はがんになるのだから、
ちょっと増えたってどうってことない」ということになるのであろう。

1960年代、「東京の『放射能』は1万倍!」(週刊新潮4/14)
だったそうである。 俺ガキだったじゃん、思いっきり被ってるじゃん、
ちょうやばいじゃん!!!と青ざめる。
でもこのての記事について、
「ガイガー振り切れたとか言って、放射線に悩んでストレスで早死にしろ!(爆)」
といった感想をもつ人もいるらしい。
気持ちがどうしてもわからない。
あなたはなんでそんなに低線量被ばくを
「たいしたことない」って思えるのだろうか?
だれのために「たいしたことないだろうが」と息まいているの?
放射能ストレスのどこがいけないの?
それだってりっぱな被ばく被害じゃん。
たとえ じつは子どものときから吸い込みまくってたとしたって、
タバコや酒をあびるようにのんでいたって、
騒いだっていいじゃん。
くりかえすが、「死ぬのはしかたがない。だが、殺されるのはいやだっ」

2011年4月26日火曜日

決死隊って

↑4/25 外国メディア向け合同記者会見、参加者ゼロの図。 (出典:http://fpaj.jp/news/archives/2618

0.
何となく収束しつつある的な雰囲気が充満。
そんなわけがないのであいかわらずオタオタ中。
1.
『生きものの記録』中島喜一の台詞。
「死ぬのはやむをえん。だが、殺されるのはいやだっ」
2.
推進派だったが(いまも「反対」とは言っていないが)
被ばくについて真剣な数少ない専門家のひとり武田邦彦が、
Risk/Benefit について書いていた。
3.
それで思いだして厭だと思ったのは、
ささやかれはじめたらしい「65歳以上の福島決死隊」。
被ばくしていい人間なんているのかよ?
カネ払えば行くだろうって、人間なめるのもいいかげんにしろ。
「最後は人間の手で」って、ほんとうなのかよ?
高橋哲哉が「行くなら推進派が行け」とか言ってるけど(『週刊現代』5/7・14号)、
俺は「だれかが止めなきゃならない」ってこと自体が胡散臭く思える。
4.
子どものころ『黒い雨』にビビリ、
プチ・キュリー号、『鉄腕アトム』等が厭な気がし、
『バイオニック・ジェミー』すらぼんやり怖かった。
長じて『太陽を盗んだ男』で決定的に鼻をやられた。
臭いしないとか言われてるけど絶対臭う気がする。
無理、もってこないで怖いから!!!
と思っていたのに なぜか核がいっぱい…
なにもかも嘘だらけだし、
もはやあらゆるガンも低線量のせいとしか思えない。
5.
さいきんウないしファが元気がない。
4/24芝公園デモのさいも憂国の方々が銀座にあらわれはしたが、
こぢんまりと騒ぐのみ。
「そんなにお国が心配なら福島行ってこいよ」
等と言われるのが怖いのだろうか。

2011年4月21日木曜日

歌に散種する

したがって『古事記』のミトクラシーの賭け金とは、起源へと逐語的にたちかえることで出来事のはじまりをよびこむことであり、黒田(喜夫)において端的だったように、そうした反復によって生じる起源の修辞的な「空白」のなかに民衆の声を聴きとることである。民衆が欠けているのは、それが「自己異空間」の空隙にやどるからである。帰郷を幻想というだけでは不十分である。空想のゲリラがはぐくまれるのは、帰属も連帯もない「辺境性」においてである。
(白石嘉治「『古事記』のミトクラシー」、『現代思想』2011年5月臨時増刊号「総特集:古事記 1300年目の真実」)

バイクをとばしても どこへも帰れない
バイクをとばしても 帰りつづけるだけのぼくらは
寄り道をしてるんだ
くるまはカバのように 潰れていたし
街中がくずれた
それで 君を呼んだのに
君の愛で間に合わせようとしたのに
(忌野清志郎『君を呼んだのに』1982)

きりきりづんは まんなごはァすんでえで
ほぺたとゆんめはァ ふぐれでで
だんべとのんぞみはァ おっきくて
べちょことすりょはァ ねれでぇんだちゃ
(井上ひさし『吉里吉里人』1981)

ひさかたの 天の香具山 利鎌に
さ渡る鵠 弱細 手弱腕を
まかむとは 我はすれど さ寝むとは
我は思へど 汝が著せる 襲の裾に 月立ちにけり
(『古事記』)

2011年4月20日水曜日

戦後の日本株式会社はフクシマで終わった(by関曠野)

関曠野さんによる最近の論考。
抜粋で申し訳ないけれど載せさせていただきます。
後段BIへの言及は、先日掲載させてもらった
提言ともはっきりと響き合っています。
こら日本株式会社!おまえとこもうわやなんじゃ!
眠たいこと言うとらんでとっとと金くばらんかい!

(…)しかしながら原発は、核反応という非ニュートン的現象をニュートン物理学の枠内の技術で制御しようという原理的に矛盾し、始めから破綻している試み、テクノロジーの名に値しない極端なアクロバットなのである。(…)一度原発事故が発生すると事態の予測も制御もきわめて困難である。これは原発のデザインの改良で解決できる問題ではない。そして事故の規模は原子炉の気まぐれな反応や地形や風向などさまざまな偶然的要因に左右されるので、完全に安全な避難計画を作っておくことも原理的に不可能である。だからこそ原発は絶対に建設してはならないのだ。(…)
(…)そして現在、震災復興の財源のめどが立たない中で、全国知事会が国債の日銀引き受けによって厖大な復興資金を創出することを提言している。この事実上の政府通貨の発行には日銀と財務省が子供だましの理屈で抵抗するだろう。しかし震災と原発事故という巨大な代償を払ってだが、これで日本が世界に先駆けて政府通貨で目下の世界恐慌を打開する国になる可能性が出てきた。そして復興というからには、県外に避難した人々を含めて無一物同然の被災者の生活を立て直すことがその出発点である筈だ。今東北が必要としているのは被災者に対する月八万円程度の一律無差別なベーシック・インカムの支給である。これは政府通貨が発行されれば直ちに実施できる措置である、ベーシック・インカムは将来の見通しが立たないでいる被災者を支えるだけでなく、地域経済を速やかに再生させるだろう。その先にあるのはたんなる復旧や再建ではない。
(…)戦前の日本帝国はヒロシマで終わり、戦後の日本株式会社はフクシマで終わった
(関曠野「計算不可能な原発事故のリスク:原発はテクノロジーの名に値しない極端なアクロバットだ」『図書新聞』2011年4月23日/太字は原文、赤字は引用者)

*悪口みたいであれなんですけど、同紙の震災直後の号にでてた某氏の寄稿は、「反原発=ブサヨは文句言うなら義捐金出せ」みたいなことを言ってて、ひどかったなー。ドイツには申し訳ないんですけど、永久にあっちに居て欲しいと思います。
*関さんへ。ぶっちゃけ、僕、8万円ぢゃ足りないです。足りないです。「JOIE DE VIVRE」には。もっといんじゃないでしょうか。僕は、「埋蔵金」+ファッキン大企業内部留保+政府通貨で、もうちょっとひり出してもいんじゃないかと思うんです。


ウダウダいってると以下のような強硬措置をとらざるをえません。
PUT WHEELS IN MOTION !
1) OCCUPATION OF THE DIET BUILDING BY UNITED NATIONS.
2) DECLARATION ABOUT EXTINGUISHMENT OF JAPAN’S NATIONAL SOVEREIGNTY.
3) OCCUPATION OF JAPAN.
4) ISSUANCE OF BASIC INCOME AND ENFORCEMENT OF TOLL-FREE UNIVERSITY.
5) JOIE DE VIVRE!
(see reference; “The spirit of Basic Income characterized by absolute freedom and Calls to occupation,” in Kwaidan, vol.3, L’association de l’étude de la philosophie sociale)

Break off the Appointment with Death



インド西部マハラシュトラ州ジャイタプールの
原発建設予定地(6基、出力計990万kw、出来ちゃうと柏崎抜いて世界最大)で
18日に起きた反原発デモで死者がひとり出た。
ポリに撃たれて。
全世界の原子力ムラの欲ボケどもに告ぐ。
原発売りつけるのやめろ!!!
フクシマあんななってるのに基地外沙汰だぞ!!!

2011年4月19日火曜日

節電?ざけんじゃねー

「電力足りない」「原子力は基軸」の大ウソ

で、コンピュータ監視法案てか。上等じゃい!
欲ボケ! うんこだいほんえい! ウソつき!
流言やめないよ。暴動れる(ぼどれる)よ。

2011年4月18日月曜日

災厄が性根を露呈しちゃった

「ハーバード白熱教室 大震災特別講義」(NHK、4/16放映)を観た。
(観ていて具合が悪くなったので途中で止めた。)
東京側の参加者:学生たちのほか、虎舞竜、ジャパネットたかた、高畑淳子(女優)、石田衣良。(どういう人選だよ?)
ハーバード側:学生たち。
「脱原発の方向を模索すべき」「それでも原発は必要」
で意見をつのり、不毛なやりとりをさせたあげくのおっさんの総括:
「さて、ここまで、原子力をめぐる主な論点がでたと思う」。
核に「論点」なんて無えよ!!バカか!!
だいたい、原発産官学トリアードの言うことを無批判に信じて、
「エネルギー問題」が存在するという前提をもうけている時点で、
哲学でもなんでもじゃないじゃん。新聞以下じゃん。
あんな浅い人間がルソーを矮小化するのは許されない。

この災厄でぱっくり露呈しちゃうなあと思う。
BIのときも思ったけれど、核もそうなんだなと。
石田衣良よ、さようなら(最初から何とも思ってなかったけどさ)。
勝間和代やジャパネットたかたはさもありなんとしても、
作家はだめでしょう、作家は。
それともおまえもカネもらってんのか?
「もっとも怖いのは人間が進むのをやめること。
火だって、さいしょは危険なものだった。
技術の進歩によって人間は原子力も制御できるようになるはずだ」云々。
うつけ者め! 制御とかいう奴はみんな恥知らずだ。

『週刊金曜日』4/15号「特集:電力会社に群がる原発文化人の罪」、
荻野が愚かしい言い訳をしていて見物。
でも、「原発文化人」一覧をみても、まったくがっかりはしないね。

2011年4月14日木曜日

デモスのロゴス


デマゴーグの語源 : 14、17世紀にそれぞれ一度だけ用いられ、18世紀に普及。古代ギリシャ語の「デマゴゴス=民衆をみちびく者、分派のリーダー」を語源とする。フランス語ではまず「民衆の利益をまもる者」の意味に用いられ、ついで「民衆におもねる者」の意味で軽蔑的に用いられるようになった。

そう。デマとはデモスのロゴスであり、デマゴーグとはデモスのロゴスを語る者のことだ。そしてデマ弾圧の意味とは「デモスに真実の声などあるはずがない。あってもたんなる風評にすぎない。デモスはおとなしく専門家やジャーナリストの言うことを聞いていろ」である。むろん、真実の流言はとどまるところを知らない。

追記 
デマゴゴスは「デモス=民衆+アゴ=みちびく」である。念のため。


well-authenticated rumors;4.10革命の夜にささやかれたその他無数のうわさより

1. 「日本」に生まれて、これまで良かったことはひとつも無い。
2. やっぱり自殺未遂だったらしい。
3. 今夜、メッセンジャー・ヤス、原発地代でボロ儲けしてきた起き上がりこぼし、原発チン太郎、謎のアメリカ人が都内高級料亭で一席をもつらしい。
4. ホウ素ときたら一目散!
5. 『100,000年後の安全』に若者が殺到している(*)。
6. コントレックスでつくったみそ汁は苦くて激マズである。
7. 「ガン増加」は放射能のせいだった。
8. 東芝は現在、100mSv/hの放射線量にも針が微動だにしないパーソナルガイガーカウンター「セイフティ」(希望小売価格29,800円、ヨドバシ特価26,000円の予定)を急ぎ開発中。日立が共同開発を申し入れるも断られた。
9. フクシマ以前に日本列島はすでに放射能漬けだった。
10. 東電本社、みずほ銀行本社(てか隣同士)、東芝三菱日立本社、皇居、議事堂と議員宿舎、都庁、東大、東工大、首大の地下はつながっている。
11. 清瀬市議会議員F氏のもとに差出人不明の小包が届いた。
12. 東電株主2位に躍りでた赤いハゲタカにとりいって都が所有する株(その利鞘はチン太郎のおこづかいにあてられている)の保全をはかるため、チン太郎は近々中国を訪問する予定である。
13. JTは現在、東大病院放射線科と協力して「ドクター中川プロデュース!たばこの歴史を塗り替える・からだに良いたばこ“再臨界”」(ヨウ素・セシウム・ストロンチウム入り)を開発中である。
14. 国連による議事堂占拠→日本の主権抹消宣言→占領→BIの支給と学費無償化、というシナリオが実行に移されつつある(参考:「絶対自由のBI精神と占領待望論」、『怪談』vol.3所収)。
15. 霞が関埋蔵金、大企業の内部留保、政府通貨で500兆円が用意され、これを1億2800万余の人口で等分に分け(1人500万)、「日本国」は解散となるらしい。
16. 原子力ムラは『MIB』の「ピカ」(記憶を消す銃)の実用化に向け、ペンタゴンとNASAに協力を要請した。
17. チン太郎はパチンコも自販機もホウレンソウも嫌いだが、太平洋で獲れる大好物の天然フカヒレのことだけは案じており、やむなく自宅の庭にサメ養殖池を造成中である。
18. お笑い保安院の顔・西山英彦のもとにはかつらメーカーが日参している(「西山さんの年収なら、これくらいは」「いくらなんでも、それでは」「かつら業界の沽券にかかわります」)。
19. 斑目、有富、諸葛、五百旗頭、御厨、玄有、高成田、達増、中鉢、など、NHK同様、原子力資本主義の採用基準は「ちょっと珍しい苗字」である。

★「流言蜂起」も参照のこと。

* 10万年後って…惑星的思考ここにきわまれり。小出裕章氏は「300年」すら想像の域外だといっている(以下引用)。
(…)日本の国は、それ(六ケ所村に埋め捨てにされている、ドラム缶20万本分を超える「低レベル放射性廃棄物」)が安全になるまでに300 年間管理するのだと言っています。日本で原子力発電を行って利益を得ているのは電力会社です。当然、生み出す放射能のごみに責任があるのは、電力会社のはずです。しかし、現在の九電力が生まれたのは戦後で、その歴史は未だに59 年しかありません。その電力会社が放射能のごみを300 年間管理すると保証できる道理がありません。そこで、電力会社は放射能のごみは国の責任で管理してくれるよう求め、日本の国はそれを受け入れました。しかし、300 年と言う時間の長さはどの程度の長さなのでしょうか?
明治維新で現在の日本の国家体制ができてからわずか140 年しかたっていません。米国など未だに230 年の歴史しかありません。現在から300 年昔にさかのぼれば元禄時代、忠臣蔵討ち入りの時代です。その時代の人々が現在の私たちの社会を想像できた道理がないように、私たちが300 年後の社会を想像することなど到底できません。もちろん現在の電力会社など存在しないでしょうし、自民党という政党もないでしょう。日本の国すらないかもしれない彼方です。それにもかかわらず、生み出した放射能のごみを300 年にもわたって一体どうやって誰の責任で管理するのでしょう?
(2010年4月10日札幌での講演会「核(原子力)と人類は共存できるのか?」より)

2011年4月11日月曜日

革命確定!高円寺礼讃!そして脱原子力大学ゼネストを!

昨日の高円寺により、革命が確定した。革命とは、人々が間接民主制から直接民主制に移行することを意味する。それゆえ4月10日の知事選はすべて無効だ。真実の流言を飛ばし、路上でおどる民衆がイニシアティブを掌握したからである。
大学も同様だ。革命下の大学において、イニシアティブは大学当局ではなく、学生、外国人、市民、教員の各人がにぎっているのである。友人二人からビラがとどいた。一語一句、ていねいに読んでいただきたい。ゼネストが呼びかけられている。大学に真の政治がはじまる。準備しよう。


        脱原子力大学ゼネラルストライキ宣言


全学生、全教員に告ぐ。脱原子力大学ゼネラルストライキを決行せよ。

                          *

地震から一ヶ月が経とうとしている。日常は以前の通り回帰したかのようだ。震災地では「復興」が始まっているという。最悪の事態は過ぎ去り、このまま静観すれば事態は回復するかのようだ。桜が咲いている。

しかし、誰もが気づいているはずだ。そんなことはまったくの嘘でしかないということを。一見平静にみえ、また自らもそのように過ごしている日常が、いかなる根拠も欠いているということを。

福島第一原発が爆発した。政府、東電、経産省、原発推進派の白豚どもよ。おまえらのせいで被曝したぞ。放射能の噴出はとどまることをしらない。近隣地区は空気も土も海もすべて侵され、肉も野菜も魚も食べることができない。水さえ安心して飲めない。そんななかで、大学が授業を開始する。学生は平静をよそおい、なにごともなかったかのように授業にでなければならない。これだけ放射能がばらまかれているのに。あからさまに被曝しているのに。

                           *

原子力は非物質的な力をコントロールし、労働へ動員するための究極の技術である。知識と情報、それをもちいる感性と情動。いかようでもありうるはずのその力が産業界のために動員されている。原子力の高度な知識。専門家の知識にしたがって、作業員がうごかされる。どんなに過酷でも逆らえない。逆らえば核爆発をひきおこし、地域住民全員を死におとしいれかねないからだ。地域住民も専門家の知識にしたがうしかない。放射能は空気のように透明で見えず、その恐怖を払拭するには専門家にすがるしかない。

1970年代、大学で原子力化というべき事態がおこった。本来、大学は学生と教員が非物質的な力をいかし、望むべき未来の実験をおこなう場所であった。だが、その力がおもむろに労働に動員されている。産業界のための高度な知識。教員はその専門家として知識をきわめ、学生に知識をさずける。仕事がどんなに忙しくなっても逆らえない。逆らえば学生の迷惑になると思って。学生は卒業して就職するために、食いっぱぐれる恐怖のために、教員にすがるしかない。なにも考えずに専門家の指示を聞くこと。それが生きる唯一の選択肢だとむりやり思いこんで。

しかしいま、われわれの目のまえで原発が爆発している。核の脅威とかそういうレベルではない。実際に人間が殺され、数千万の人びとが被曝している。原子力はもう破綻している。だがそれにもかかわらず、労働への動員だけが肥大化している。被曝労働に従事する作業員、自衛隊、消防隊。かれらは英雄視され、国民の鏡とされる。家族のため、友のため、日本のための特攻隊。かれらのような英雄になろうと、誰もが自問させられる。自分はなんなのか、自分ができることはなんなのか? 恥知らずにも、ある大学教員はこんなことを言っていた。「わたしのような文学研究者には原発はどうすることもできませんが、いまは自分がやれることをやりたいと思います。文学研究をしましょう」。どうかしている。どうかしているが、誰もがおなじ言葉を繰りかえす。お笑い芸人はお笑いを。会社員は会社勤めを。学生は勉強を。誰かのため、みんなのためになにかをしたい。非物質的な力がコントロールされ、労働に動員される。正しい知識をもった専門家。かれらの指示にしたがいましょう。世間では原発批判はタブーである。みんな怖いのに、やれることをやろうとしているのだから、迷惑をかけるな、パニックをおこすな、デマを流すな。原子力の専門家を信じよう。安全です安全です安全です安全です安全です。専門家の知識を疑ってはいけません。あなたもわたしも、自分にできること、自分の専門だけをしっかりやろう。平静になって、ふだんどおり大学に行こう。

しかし、学生、教員のみなさん。真実から目をそむけないでほしい。原発は爆発したぞ。専門家は平気でウソをつくぞ。東大の原子力研究者たち、かれらは年間数千億のカネをもらう世界でも最高峰の専門家集団と目されてきた。だが、かれらの知識は破綻をきたし、いまでは「放射能は安全です」とでも言わんばかりだ。正直、われわれのほうがまともなことを言える。いまトップクラスの専門家の化けの皮がはげた。いわんや他分野をやだ。学生、教員のみなさん、あなたがたはそれでも平静をよそおい、ふつうに授業に行くというのか。専門家の知識を学びにいこうというのか。疑え。専門家にしか担えない知識なんて存在しない。専門家なんてくそくらえだ。疑え。

この国は原発という装置によって、放射能という途方もなく大きな力を絶えず監視し、管理しながら独占し続けてきた。原発が爆発した今、放射能はだだ漏れに漏れ、止める手立てに慌てふためく専門家は、大真面目に入浴剤や新聞紙まで持ち出す始末だ。笑えばいいのだろうか?よくわからないが、はっきりしているのはもう「おわっている」ということだろう。これこそが専門家の成れの果てだということだ。放射能に汚染された水を止められるのもつかの間、いずれまた別の裂け目から水は漏れ、流れ出すだろう。流れとはそういうものだ。放射能と同様にわれわれの力能も目に見えるものではない。力能の管理・独占の象徴であった原発が破綻した今こそ、専門性の名の下におこなわれる動員に背を向けて、われわれ自身のものである力能を組織しなおし、原発もろとも資本主義そのものを廃炉にするために、あらゆることを思考し、行動するべきときである。「正確な情報をもとに平静な行動を」?「 やれることをやろう」?そんなことを言うやつがいたら、おもいきりツバをはきかけてやれ。そいつは敵だ。白豚だ。パニックになってなにが悪いのか。われわれの情動を表現できない「正確さ」に何の意味があるというのか。途方もない被害を出しつづける人災を前にして、なぜ言葉を失ってはいけないのか。恐れ、怯え、怒り、取り乱して泣き叫んではなぜいけないのか。東大の原子力研究者をみつけたら、言葉にならなくても言い、なんでもいい、とにかくおもいきり罵声をあびせかけてやれ。なんどでも、なんどでも自分自身の真実の言葉を、辞職するまで繰りかえせ。

いま呼びかける。脱原子力大学ゼネラルストライキ。ただ教えることを、ただ教えられることを拒否しよう。いったいなんのために。就職のため? 研究のため? 自分の専門にとじこもり、専門家に支配されるのはもうやめだ。専門性の行き着く先は、日々われわれがめにすることとなったあの愚鈍さであり、あのポンコツ加減なのだ。はじめから考えてはいけないことなんてなに一つない。はじめから言ってはいけないことなんてなに一つない。目のまえで原発が爆発している。恐ろしい。これが真実だ。真実は誰にでも考えられる。誰でもいやおうなく考えてしまう。慌てふためきパニックに陥るわれわれを嘲笑い、したり顔で落ち着くように説き伏せるものたち。薄汚いモラルで専門性に戻るように、消費者に、労働者に、学生に戻るように、持ち場に帰れと言い募るものたち。「がんばろう、日本」などど、情けなさもきわまるスローガンをもって、「復興」を騙るものたち。どうか邪魔をしないでほしい。真実を前にして、われわれは別のモラルとともにある。われわれは外国人である。すべての原子力発電所を即刻廃止へ。桜の花びらだけでなく放射能が飛びかうなかで「冷静に」授業なんてやっているひまはない。専門性へと引きこもろうとする大学を止め、偉大なるおしゃべりをはじめよう。全世界の原発の廃炉のために、資本主義の廃炉のために、知恵をひねりだそう。好き勝手でいい。大学で、街頭で表現しよう。原子力の動員なんてくそくらえ。逆らえ。慌てろ。真実から目をそらすな。

脱原子力大学ゼネラルストライキ。原子力化した大学を止めろ。脱原子力の知性を爆発させよう。

4月10日 脱原子力大学ゼネラルストライキ委員会


2011年4月6日水曜日

最悪のシナリオ

最悪のシナリオ。
それは、最悪の事態におびえながら、
最悪の事態がすでに到来したことに気づかないシナリオである。

だから自己組織化を!
自己組織化は大げさなことではない。
「準備をする」「(旅行などの)段取りをつける」という意味だ。
たとえばヴァカンスシーズンが近づくと、
「今年の夏の自己組織化を!」という広告が出現する。
自己組織化、それは来たるべき事態にそなえて準備することである。

最悪はすでに到来した。
そして、超最悪が待ちかまえている。
だから来たるべき××にそなえて準備を、自己組織化を。

金くばれ!!!

なんで「だいじょうぶ」とかいってんだろ??
あーあーあー わかった。あほだからだいぶかかったよ。
100兆円の復興コスト=利権とゆう付加価値(ゼネコン・大企業・政治向け)。
あほ案「テント」も 大手ゼネコン800億円だってね?
放射能で日本列島に住めない=復興できない=お金が発生しない=日本列島使えない。
とゆうことになっては困るので。
東電にしても 破産させてはならないのに、電気料金あてにしたいのに、
すでに投機市場のオモチャになっていて乱高下。コントロールしきれないので、
なんにしても ふたたび
日本列島の労働をがんがん駆動させてお金を発生させないといけないのだ。
まさにメトロポリス!
気づかせないために「日本の力を信じてる」「がんばれ日本」ってか?
金もらってる学者も医者もいけしゃあしゃあと「冷静に」ってか?
ふざけんな糞袋!日本とか知るかボケ!たいがいにしとけこの毒虫!

魚なんて食うわけないじゃん。野菜なんてつくれるわけないじゃん。
ばかじゃねーの。世界中でバレバレじゃん。
とっとと金くばれ。逃げさせろ。
金あるんじゃん。100兆円の復興費、払う気だったんだろ?
ごたごたやってねーでよこせ!
めいめい勝手にあたらしい日々をはじめるから。

怖いわ!!!!!!

東京被曝日記

地獄の様相になってきました。
放射能も刻々と浴びていますが
(現在の東京の放射線量は、
同じ状態が1年続くと仮定したらもう限界を超えている、
今後増えるならもはやいられない)、
精神的被曝が日に日にはげしくなってきました。
わたしはこの災厄にたいして、
初動で鈍かった自分を非常に悔いています。
最初に逃げたほうがまだ被曝がましだったし、
精神的にも落ちつけたかなと思うからです。

現在では、同僚たちに失笑されながら、
1時間ごとに近辺の放射線量
(個人のひとが自分で測って公開してくれているもの)をみて、
ちょっとでも外へ出るならマスク(N95)、サングラス、帽子。
帰宅したらすぐ玄関先で、
花粉ブラシ(ピカソで798円で購入)で気が狂ったように全身を掻いて、
そのブラシをただちにざぶざぶ洗ってまた翌日の要に備える。
(ちり紙で拭いてもいいそうですが、
その拭いたちり紙を触るのが怖いのでブラシに変えました)
爆発したら即自転車で逃げるために、
いじましく買いだめしたペットの水と
地図をリュックに入れて枕元におき、
ラジオつけっぱなしで寝ています。
猶予は数時間。

会社では、換気をするなとか水道水を飲むなといっても
まったく相手にされません。
全員殴り倒して気絶させ一人で仕事したいです。
みんな何の根拠もなく、
「危機は収束しつつある」と感じているようなのです。
テレビとかも「あっ、あと原発ですけど」みたいな感じで、
「もうだいじょうぶ」的なやり方を始めました。
また、とりわけオヤジ(影響が少ないといわれている40代以降男)が、
「どうせ、影響でるとしても何十年後とかだろ。それまで生きてないし」等、
半減期を勘違いしたらしき戯れ言をほざくのも我慢できません。
思うに、東京は「はっきりしない」ので、よけいに、
ほんとうはみんな怖くてしかたなく、
怖すぎるので「だいじょうぶ」と
(暗黙のうちに)目線でかわしあったりしているのではないでしょうか。
でも、「だいじょうぶかどうか」は、わたしには関係ありません。
偉そうなおっさんたちが漏らしたうんこのにおいを、
いっさい、0.00000000000000000001も、吸いこみたくありません。

お上の挙動不審もきわまりました。
今日、「長びきそうだから 基準値を上げるよ~」
と むちゃくちゃなことをいいだしたからです。
「これからがんがん漏らすよ~」といっているに等しいのです。
ほんとうにぶち殺したいです。いまはそれしか頭にうかびません。

例;2011年3月26日ドイツ

2011年4月5日火曜日

4/10 高円寺に集合!

高円寺・原発やめろデモ!!!!!!

illuminations Ⅲ



こりることを知らねばならぬ。坂口安吾

2011年4月4日月曜日

フクシマ・モナムール


3月27日フォルカルキエ、反原発集会チラシ

2011年4月2日土曜日

ベーシックインカムを提議する

友人から提議がとどいたので掲載します。いますぐ、被災地・準被災地の人々に、ベーシックインカムの給付を。彼・彼女たちは、あたらしい土地に移住し、あたらしい生活をはじめなくてはならないのだ。

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せめて被災者たちにベーシックインカムを!

地震と津波ですべてを失ってしまった人たちがいる。福島第一原発からの放射能はやむことを知らない。畑や海が汚染されて仕事ができなくなってしまう人たちがいる。政府はそういった人たちにベーシックインカムを給付することを真剣に考えるべきである。

「一時金」を支給したり、いつになるかわからない「保障」を約束することより、希望するすべての人にすぐにでもベーシックインカムの給付を始める方がよい。そうすることで彼らには生活を立て直すための余裕が生まれるし、どこかに避難せざるをえない場合でも、彼らがベーシックインカムから支出するお金はその地の経済の活性化に貢献する。「仮設住宅」や「心のケア」よりベーシックインカムによる礎からの救済が大切である。

もとよりベーシックインカムとは、最小限の生活費を無条件に給付することによって、誰もが労働への隷属から解放されるような社会を創ろうという提案である。そこでは地上に生きるすべての人の生存を保証し、働くことの無償性を回復することが問題となる。それは「労働は人間を自由にする」という、ナチスによって絶滅収容所の入り口に掲げられた言葉をひっくり返すだろう。その言葉の非人間性は歴史によってすでに証明されているがゆえに。 

他方、現代のデモクラシーは、奴隷に労働をさせていた古代ギリシャのデモクラシーとほとんど変わらない。いまでもひとは過重な労働に苦しみ、あるいは働きたくとも雇用がないという状況をどうすることもできない。われわれがこの未曾有の災厄を世界に先駆けてベーシックインカムを導入することによって乗り越えるべきなのは、そのような世界を破滅から救うことにつながるからである。

2011年4月1日金曜日

illuminations Ⅱ

どのような権力であれ、権力の秘密は、
民衆に責任があると民衆に納得させる、権力の不屈の厳格さに由来している。
ラウル・ヴァネイゲム

一刻を争ってニュースを知ろうとしたのは、
場合によっては行動に立ち上がるぞという意志が背後にあったからである。
ジョルジュ・ルフェ―ヴル