2010年10月26日火曜日

料金所を解放する

全国の石油精製所のピケットラインで警官隊とのはげしい攻防が繰り広げられるなか、先週末から秋季ヴァカンス(vacances de Toussaint)が始まった。フランス経済は止めるが、ヴァカンスは止めない。なぜなら、ヴァカンスとはそもそもストライキだからである。それゆえフランス南東部アン県の高速料金所では短時間ながら以下のような試みが見られた。「自由料金所」作戦であり、人民による高速道路の自主管理である。いわば人民高速道路だ。人民バス、人民電車、人民飛行機が登場する日も近い。

2010年10月23日土曜日

イメージの態度決定

10月23日付ル・モンド紙の付録雑誌『ル・モンド・マガジーヌ』が地下鉄の座席に落ちていた。手にとってぱらぱらとめくってみる。そこには今週の世界の出来事を写真でふりかえるという記事があった。目を惹いたのは、以下の二つのイメージの並置である。


15日パリ

16日東京

問われているのは、美術史家ディディ=ユベルマンの言う「イメージの態度決定」である。あるイメージの態度=意味が明らかになるのは、そこに付される文字=キャプションによってばかりではない。イメージとイメージが相互にモンタージュの関係に入るとき、イメージそれぞれの態度が鮮明になるというのである。(Quand les images prennent position, l'OEil de l'histoire 1, 2009)
高校正門前でピケをはり、労働セクターと連帯し、サルコジの進める年金制度改革に対し反対の声をあげ、労働主義をこえてコモンズを思考しはじめているカッコいい女子高校生たちと、東京某所にみっともないスーツ姿で現れて「頑張れ日本」を叫ぶ見苦しい、息苦しい、暑苦しい中年男性たち。このモンタージュにおいて、世界でさまざまな出来事が同時に起こっているという相対主義的な情報提示を読み取るべきではない。これら二つのイメージのあいだには、女子高校生と中年男性、フランスと日本、左翼と右翼という対比をこえた、いわば絶対的な対立がある。つまり、パリのストライキ女子高校生たちが夢見ているはずの幸福な世界と、東京の中年ナショナリストが妄想する荒んだゴミのような男的世界の対立である。そのためにいっそうパリのイメージは力強い輝きを放ち、東京のイメージは目をそむけたくなるような痛々しさを発しているのだ。イメージは正直なのである。

2010年10月22日金曜日

貧者のエチカ

現在、フランス各地で反年金改革闘争が展開されているが、なかでも南東部の都市リヨンがあつい。あの『ふらんす物語』のリヨンである。ところで、フランス語には「破壊行為者」を意味する「カスールcasseur」という言葉がある。当局発表によれば、そのリヨンには「カスール」が1000人ほど潜んでいるそうだ。当地に駆けつけた内務大臣のオルトフーいわく「フランスはカスールのものではない」、サルコジいわく「カスールが勝利することはないだろう」。付け加えておけば、そのカスールたちはリヨンのみならず、マルセイユにもディジョンにもトゥールーズにもパリ近郊ナンテールにも大挙して出現してきている。
サボタージュにせよラッダイトにせよブロカージュにせよ、貧者が力を発揮するときにはいつもモノやモノの流れの破壊がある。また、貧者にとってそうした行為には大いなる悦びがともなう。つまり、力と悦びの増大であるという点において、「破壊するcasser」は貧者のエチカであり、その根底にあるものなのである。万人のエチカではなく、貧者のエチカ。現在のリヨンの光景は、その発現なのだ。



2010年10月15日金曜日

年金改革と高校蜂起

フランスの高校生が詩を撒いている。反年金制度改革をかかげた先日12日の統一行動では350万人が路上にくだり、石油精製所をはじめとする公共セクターが無期限ストを継続しているが、この運動のハードコアを担っているのは高校生たちである。フランス全国の約350の高校が生徒みずからの手で封鎖されており、その数は今後も増えつづけるだろう。
年金改革をめぐって高校生がうごく。これは、若い世代が古い世代に媚びを売っているということでもなければ、若い世代が年金改革反対のマスコットとして利用されているということでもない。高校生たちはコモンズへの感覚的な確信からうごいているのであり、その確信は、年金をただしく運用すればよいといった古い世代にはびこる改良主義をはるかに凌駕している。じっさい、警官隊と衝突し、高校正門にピケをはり、オペラ座に向けてデモをする高校生たちはわれわれにこう告げるかのようだ、「年金制度など、コモンズのアレンジメントとして最悪ではないか」、「別のアレンジメントがいくらでも可能ではないか」と。高校蜂起にはコモンズをめぐるこうしたラディカルな問いが潜在しているのであり、それゆえ、今回の反年金改革運動において、労働セクター的な動員がどれほどの規模に達しようとも、運動のイニシアティヴは高校生たちがにぎっているのである。すごいぜリセアン、すごいぜリセエンヌ!

Nanterre(18/10/2010)

Dijon(15/10/2010)

Belfort(14/10/2010)

Montpellier(14/10/2010)

Arles(14/10/2010)

Marseille(14/10/2010)

Tarbes(14/10/2010)

Avranches(12/10/2010)

Paris(14/10/2010)


Paris(12/10/2010)

2010年10月14日木曜日

2010年10月13日水曜日

2010年10月7日木曜日

アムステルダム・デモクラシー

10月1日アムステルダム。17時より、800人のスクウォッターが中心街に集結してデモをおこなった。同日より施行のスクウォット禁止措置に反対するためである。この措置により、都市の200のスクウォットハウスが立ち退きをせまられるという。
ところで左の人物。名をオレゲール・プレサスと言う。カタルーニャ州サバデル出身、過去半年間バルサでプレーし、現在はオランダのアヤックス・アムステルダムに所属するサッカー選手である。サッカー界のインテリとして知られ、哲学書も出版している。断固たるカタルーニャ独立派であり、極左である。なぜここでそのオレゲール選手に言及するかというと、彼が上のデモに参加したというのである。ひたすら黒い、直接行動系のデモだ。
よく考えてみれば、サッカーセレブがアナキストであっても何の不思議もない。哲学書をしたためたことのあるプロサッカー選手が、スクウォット弾圧にいきどおり、ブラックブロックにくわわる。ごくありきたりな、民主主義的光景ではないだろうか。でもいいエピソードだ。















2010年10月6日水曜日

メトロポリスにピケを張る


9月29日バルセロナ、ゼネスト当日。夜中12時から都市のあらゆる街路にピケ集団が出現し、正午にはカタルーニャ広場で巨大な統一ピケが張られたという。どういうことだろうか。レイバーネットを引こう。

ス トライキ死守隊は、真夜中から活動を始めた。デモ隊はバルセロナで午前3時、商品運送を阻止するために、ある市場の建物前でタイヤに火をつけた。同じようなデモがマドリード、バレンシアそしてセビリアで起きた。マドリードのストライキ死守隊は、バス運転手の作業を停止させようと試みた。昼食の頃に3千人ほどのストライキデモ労働者たちが、デパートで経営者に営業を中断しろと叫んだ。マドリードとバルセロナの市場で配達をしていたトラックはデモ隊に阻止され、デモ隊は彼らにデモ妨害者だという理由で卵を投げた。

ピケ集団は商品運送を「阻止」し、バスを「停止」させ、デパート経営を「中断」 させた。そしてストライキを「死守」したというのである。ピケは工場の前だけで張られるのではない。メトロポリス全域に出現し、あらゆる界隈でスト破りが摘発されるのだ。こうしたピケ集団は今後、ゼネストの有無すら関係なく、突如としてわたしたちの目の前に出現するだろう。彼ら彼女らに出くわしたら、くだらない労働などさっさと切り上げて、ピケに参加しよう。