たとえば2005年のフランス暴動は力の高まりの表現だったが、それをメディアは極度の剥奪状態から生じた「突発的」行動だと喧伝した。非常事態宣言のもとで、ひとは一ヵ月にわたって「突発的」に車を一万台も燃やすことはできない。車はバルセロナでもベルリンでも燃えた。それほどの言葉と身ぶりと共謀が、イニシアティヴと知性が、果たしてスペクタクル市民にあるだろうか。ない。剥奪されているのは市民のほうだ。勘違いしてはいけない。
だからマフィア・カン・フリMafia K'1 Fryを聴こう。
2007年の「戦争guerre」。ここには言葉と身ぶりと共謀がある。フランスでは国家の祝祭日のさいにかならず騒乱が生じるが、暴動翌年の2006年革命記念日、パリ近郊セーヌ=サン=ドゥニ県の上空をドローンが飛んだ。つまり軍用飛行機である。自分の頭上に軍機が飛来すればどうだろうか。マフィア・カン・フリの回答はこれである。テレビ放映不可の検閲ヴァージョン。
Refrain:
On l'a pas souhaité, mais c'est la guerre
望んだわけではないがこれは戦争だ
Grandir en cité, tu l'sais, c'est la guerre
シテで育つこと、分かるだろうこれは戦争だ
Inégalité sociale mon frère, c'est la guerre
社会的不平等って戦争なんだぜ
La France veut nous faire du mal, normal, c'est la guerre
フランスはおれたちに危害を加えようとする、いつものこと、これは戦争だ
On cherche à s'en sortir ma soeur, c'est la guerre
なんとか切り抜けようとしている、だって戦争なんだ
Faut construire un avenir meilleur, c'est la guerre
マシな未来を築かなきゃならない、これは戦争だ
On s'bat pour nos parents, comprends, c'est la guerre
両親のために闘うんだ、分かってほしい、これは戦争だ
On veut pas qu'nos enfants galèrent donc c'est la guerre
子供たちに辛い生活を送って欲しくない、だからこれは戦争なんだ
同じくマフィア・カン・フリの「Pour Ceux」(2004)。圧倒的な情動と疾走。