
10月10日、フランスのポワチエで上のようなデモが行なわれた。
内容は絵柄から想像していただきたい。
いずれにせよ、われわれを破壊するものは破壊しろ、ということだ。
蜂起は真実からはじまる。
真実とは何か?
どうでもいいことをどうでもいいことと感じること、
嘘にまみれて生きているなら、
嘘にまみれて生きていると感じることである。
自明の感覚を手に入れること、それはすでに力である。
クソはクソ、労働はクソ。

この世界にはあまり意味がない。
記号=命令と反応しかない。
たったいま、労働の意味が分かった。
クソを薔薇だと思うことである。
この世界には現在しかない。
つまり割り当てられた時間と空間しかない。
現在には名前がある。
資本主義という名前である。
だからストライキを、スクウォットを。
ストライキをして時間を獲得するのではない。
われわれが時間になるのだ。
スクウォットをして空間を占拠するのではない。
われわれが空間になるのだ。
だから、現在を解体しよう。
68年のお姉さんお兄さんたちの言葉を使えば、
引き剥がす「敷石」とは現在のことで、
見い出される「砂浜」とはエネルギーの解放のことだ。
資本主義はわれわれに時間と空間を指定する。
だがムッシューキャピタリスト、勘違いしないでほしい。
われわれが時間であり空間なのだ。
われわれが照応し共振する色彩なのである。
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