2005年秋のフランス郊外暴動とともに始まり、2007年秋のヴィリエ=ル=ベル暴動、2008年秋のタルナック事件を経由した「ひとつの歴史的シークエンス」がまるごと国家のシナリオ装置に捕獲されようとしている。だが「そうはいかない」。防衛しなければならないのは、郊外である。
嘘にまみれた世界のシナリオを拒否する者ならば、以下の訳出をぜひとも読んでほしい。
***
そうはいかないだろう
なぜ私たちはヴィリエ=ル=ベルの拘留者を解放せねばならないか
来たる2010年6月21日、それは夏至でもなければ音楽祭(訳注1)でもない。私たちの友にして兄弟の公判が開始される日であり、マカとその他の3名は、2007年11月の暴動のさなか警官に向けて散弾銃を放ったとする告発に応じなければならない。シナリオはすでに用意されていた。2008年1月に展開されたメディア作戦(ジャーナリストを引き連れた武装警官1500人のシテへの侵攻)ののちに、サルコジが要請する「見せしめとしての制裁」の数々ののちに、2009年春の暴徒に対して下された法外な処罰(たんなる投石に対し禁錮3年)ののちに、今度は「郊外の警官殺し」に対する裁判というわけだ。この裁判の責務、それは現政府と、フロンナショナル支持者を筆頭とするいかれた連中との和解である。
事件で死亡したのはラカミーとムシンである。二人の青年は警察車両の不可解な「事故」によって殺されたが、訴訟においてこの事実はなおざりにされるだろう。救急隊が到着するかしないかの時点ですでに、内務省スポークスマンは二人の死が警官によるものではないと報道陣にむけて発表したが、連中はそれについてしらを切るだろうし、機動隊員を満載した車両群がシテに押し寄せたことが暴動のきっかけとなったという点についても口を閉ざすだろう。なぜなら、国家の恨みを存分に晴らすことのできる「犯罪者」が必要だからであり、そのための裁きが必要であり、とりわけ見せしめの裁判が必要だからである。ところで、いかなる証拠も不在である場合、裁判は証言に立脚することになる。つまり報酬に釣られた密告者や警官の言葉と「若者たち」の言葉が、重罪院の一名の陪審員の前で裁かれるのだ。
ラカミーとムシンが死ぬまで、ヴィリエ=ル=ベルはヴァル・ドワーズ県のひかえめな街だった。Gare、Cerisaie、Zac、PLM、Carreaux、Burteaux(訳注2)……。暴動後、ヴィリエは街の名であることをやめ、象徴となり賭け金となり、ファンタスムとなった。現政府はそこにありとあらゆるセキュリティ的不安を投影している。警察による街区の占拠に対して組織化された暴動が応えるという恐怖、10年来フラッシュボール(訳注3)の標的であった者たちが今度は照準器ごしに警官をうかがうという恐怖。年間をつうじて、ヴィリエの大通りで夜ごとに繰り広げられているのは、さまざまな警察組織体が乱舞するバレエである。UTEQ、機動憲兵隊、機動隊、BAC、等々。それに加えて警察官360人が詰める警察署が開署されようとしている。なされているのはひとつの実験である。つまり、ひとつの街が暴発にいたることなく、警察の圧力や挑発にどれだけ耐えうるかを見極めるための実験なのだ。ここにおいてセンセーショナルなのは、社会の周縁に生きているということではなく、社会の未来の実験場のなかで生きているということである。確実に言えることだが、近い未来に蜂起の恐れありとすれば、その蜂起は権力がつとめてマネジメントしようとしているこのヴィリエにおいて到来する。17時以降にここを散歩する者なら誰しも理解するように、国家とそのロボコップたちのガザにおけるがごときパトロールは、いわゆる無秩序の支配を秩序に連れ戻すことを使命としているのではない。秩序をもたらす者と目されるために、選挙が近づく時期をみはからって無秩序を惹起することを使命としているのだ。
じじつこの社会は、自身がどういう存在であり、どういう存在でありたいかを積極的に語ることができなくなった。そのあまりの無力ゆえに、社会は郊外に抗するものとしてしか自身を定義できないのである。またそれゆえに権力は、マカたちに対する訴訟を「警官殺し」に対する訴訟にしようと望むのだ。すなわちこの裁判を利用して、壊滅しつつある社会を取り繕うために。だが私たちの友人たちには、社会の破滅であれ統治者たちの救済であれ、支払う義務などない。結局のところ、彼らに起こされた訴訟が狙いとするのは、明白な行為に対する責任を確定することではなく、ひとつの出来事をまるごと裁くことであり、さらに言えば、ひとつの歴史的シークエンスを裁くことである。2005年のジエとブナの死と暴動とともに開始されたシークエンスであり、権力が重罪裁判という大がかりなスペクタクルによって終わらせようと望んでいるシークエンスである。
ただし問題は、そこで表現された激情と叛乱がこのまま鎮圧されたままにはならないということだ。もうひとつの問題は、あれらの爆発がいわゆる「シテの若者たち」以外の心にも共鳴を引き起こしたことであり、いまも共鳴しつづけていることである。さらなる問題は、今回の分断作戦が決定的に座礁しつつあるということだ。仕切り壁は打ち破られ、互いの手さぐりはふたたび相手を見出した。私たちは、警察による生の支配にこれ以上我慢できない者たちに呼びかけている。私たちは何でもするだろう、この訴訟を、警察自身の無秩序によってその支配を正当化するあらたな機会としないために。
私たちは、私たちの兄弟が統治者たちの不安に支払うことを拒否する。私たちの兄弟はもうすでに2年間も監禁されているのだ。
私たちは、警察からの報酬を受けた匿名者の証言にもとづいて十数年の禁錮刑が下されることを拒否する。
私たちは、政府のシナリオを拒否する。そのシナリオを滅茶苦茶にしてやるための時間は私たちに3カ月ある。
5月20日から6月15日まで展開される救援会ツアーにおいて、すでにいくつかの日取りは決まっており、このツアーは公判が始まる数日前にはデモへの呼びかけに至るだろう。部分的なプログラムは来たる数週間のうちに公表するつもりである。私たちにコンタクトしてほしい。救援会、討論会、上映会等の集会を組織してほしい。出会おう。
私たちを金銭面(弁護士、救援キャンペーン)で支援していただく場合は、ヴィリエ=ル=ベル救援コレクティヴのメールアドレスまで連絡いただければ、口座番号をお知らせします。
ツアーにかんする情報ならびにその他のイニシアティヴについては以下まで。
www.soutien-villierslebel.com
訳注1:フランスで毎年6月21日に催される。さまざまなジャンルのミュージシャンが街のあらゆる路上に出て演奏する。
訳注1:ヴィリエ=ル=ベルのさまざまな街区(ネイバーフッド、カルチエ)の名。
訳注3:フランス警察が使用する「非致死性」の銃。ただしそのゴム弾丸は38口径弾と同等のインパクトを持ち、2009年にはパリ近郊のモントルイユにおいて一名のスクウォッターがフラッシュボールにより片目を失明している。
***
言われている公判は6月21日から 7月3日まで、当初3週間の予定が2週間に短縮されるかたちでほぼ一方的に展開された。一般傍聴席には私服警官が陣取り、救援団体や被告の家族の入場は物理的にブロックされた。密告のみにもとづいて日曜の夜ひそかに4名に言い渡された判決とは、3~15年の禁錮刑である。想起すべきは、2007年の暴動直後、警官2000人にむけたサルコジの演説の言葉だろう。「あなた方が望むどんな手段にでも訴えてほしい」。最後に、被告のマカはタルナック事件で投獄されたバンジャマン・ロズーと獄中で「出会い」、2009年に共同で文章を発表していることを言い添えておきたい。
嘘にまみれた世界のシナリオを拒否する者ならば、以下の訳出をぜひとも読んでほしい。
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そうはいかないだろう
なぜ私たちはヴィリエ=ル=ベルの拘留者を解放せねばならないか
来たる2010年6月21日、それは夏至でもなければ音楽祭(訳注1)でもない。私たちの友にして兄弟の公判が開始される日であり、マカとその他の3名は、2007年11月の暴動のさなか警官に向けて散弾銃を放ったとする告発に応じなければならない。シナリオはすでに用意されていた。2008年1月に展開されたメディア作戦(ジャーナリストを引き連れた武装警官1500人のシテへの侵攻)ののちに、サルコジが要請する「見せしめとしての制裁」の数々ののちに、2009年春の暴徒に対して下された法外な処罰(たんなる投石に対し禁錮3年)ののちに、今度は「郊外の警官殺し」に対する裁判というわけだ。この裁判の責務、それは現政府と、フロンナショナル支持者を筆頭とするいかれた連中との和解である。
事件で死亡したのはラカミーとムシンである。二人の青年は警察車両の不可解な「事故」によって殺されたが、訴訟においてこの事実はなおざりにされるだろう。救急隊が到着するかしないかの時点ですでに、内務省スポークスマンは二人の死が警官によるものではないと報道陣にむけて発表したが、連中はそれについてしらを切るだろうし、機動隊員を満載した車両群がシテに押し寄せたことが暴動のきっかけとなったという点についても口を閉ざすだろう。なぜなら、国家の恨みを存分に晴らすことのできる「犯罪者」が必要だからであり、そのための裁きが必要であり、とりわけ見せしめの裁判が必要だからである。ところで、いかなる証拠も不在である場合、裁判は証言に立脚することになる。つまり報酬に釣られた密告者や警官の言葉と「若者たち」の言葉が、重罪院の一名の陪審員の前で裁かれるのだ。
ラカミーとムシンが死ぬまで、ヴィリエ=ル=ベルはヴァル・ドワーズ県のひかえめな街だった。Gare、Cerisaie、Zac、PLM、Carreaux、Burteaux(訳注2)……。暴動後、ヴィリエは街の名であることをやめ、象徴となり賭け金となり、ファンタスムとなった。現政府はそこにありとあらゆるセキュリティ的不安を投影している。警察による街区の占拠に対して組織化された暴動が応えるという恐怖、10年来フラッシュボール(訳注3)の標的であった者たちが今度は照準器ごしに警官をうかがうという恐怖。年間をつうじて、ヴィリエの大通りで夜ごとに繰り広げられているのは、さまざまな警察組織体が乱舞するバレエである。UTEQ、機動憲兵隊、機動隊、BAC、等々。それに加えて警察官360人が詰める警察署が開署されようとしている。なされているのはひとつの実験である。つまり、ひとつの街が暴発にいたることなく、警察の圧力や挑発にどれだけ耐えうるかを見極めるための実験なのだ。ここにおいてセンセーショナルなのは、社会の周縁に生きているということではなく、社会の未来の実験場のなかで生きているということである。確実に言えることだが、近い未来に蜂起の恐れありとすれば、その蜂起は権力がつとめてマネジメントしようとしているこのヴィリエにおいて到来する。17時以降にここを散歩する者なら誰しも理解するように、国家とそのロボコップたちのガザにおけるがごときパトロールは、いわゆる無秩序の支配を秩序に連れ戻すことを使命としているのではない。秩序をもたらす者と目されるために、選挙が近づく時期をみはからって無秩序を惹起することを使命としているのだ。
じじつこの社会は、自身がどういう存在であり、どういう存在でありたいかを積極的に語ることができなくなった。そのあまりの無力ゆえに、社会は郊外に抗するものとしてしか自身を定義できないのである。またそれゆえに権力は、マカたちに対する訴訟を「警官殺し」に対する訴訟にしようと望むのだ。すなわちこの裁判を利用して、壊滅しつつある社会を取り繕うために。だが私たちの友人たちには、社会の破滅であれ統治者たちの救済であれ、支払う義務などない。結局のところ、彼らに起こされた訴訟が狙いとするのは、明白な行為に対する責任を確定することではなく、ひとつの出来事をまるごと裁くことであり、さらに言えば、ひとつの歴史的シークエンスを裁くことである。2005年のジエとブナの死と暴動とともに開始されたシークエンスであり、権力が重罪裁判という大がかりなスペクタクルによって終わらせようと望んでいるシークエンスである。
ただし問題は、そこで表現された激情と叛乱がこのまま鎮圧されたままにはならないということだ。もうひとつの問題は、あれらの爆発がいわゆる「シテの若者たち」以外の心にも共鳴を引き起こしたことであり、いまも共鳴しつづけていることである。さらなる問題は、今回の分断作戦が決定的に座礁しつつあるということだ。仕切り壁は打ち破られ、互いの手さぐりはふたたび相手を見出した。私たちは、警察による生の支配にこれ以上我慢できない者たちに呼びかけている。私たちは何でもするだろう、この訴訟を、警察自身の無秩序によってその支配を正当化するあらたな機会としないために。
私たちは、私たちの兄弟が統治者たちの不安に支払うことを拒否する。私たちの兄弟はもうすでに2年間も監禁されているのだ。
私たちは、警察からの報酬を受けた匿名者の証言にもとづいて十数年の禁錮刑が下されることを拒否する。
私たちは、政府のシナリオを拒否する。そのシナリオを滅茶苦茶にしてやるための時間は私たちに3カ月ある。
5月20日から6月15日まで展開される救援会ツアーにおいて、すでにいくつかの日取りは決まっており、このツアーは公判が始まる数日前にはデモへの呼びかけに至るだろう。部分的なプログラムは来たる数週間のうちに公表するつもりである。私たちにコンタクトしてほしい。救援会、討論会、上映会等の集会を組織してほしい。出会おう。
私たちを金銭面(弁護士、救援キャンペーン)で支援していただく場合は、ヴィリエ=ル=ベル救援コレクティヴのメールアドレスまで連絡いただければ、口座番号をお知らせします。
ツアーにかんする情報ならびにその他のイニシアティヴについては以下まで。
www.soutien-villierslebel.com
訳注1:フランスで毎年6月21日に催される。さまざまなジャンルのミュージシャンが街のあらゆる路上に出て演奏する。
訳注1:ヴィリエ=ル=ベルのさまざまな街区(ネイバーフッド、カルチエ)の名。
訳注3:フランス警察が使用する「非致死性」の銃。ただしそのゴム弾丸は38口径弾と同等のインパクトを持ち、2009年にはパリ近郊のモントルイユにおいて一名のスクウォッターがフラッシュボールにより片目を失明している。
***
言われている公判は6月21日から 7月3日まで、当初3週間の予定が2週間に短縮されるかたちでほぼ一方的に展開された。一般傍聴席には私服警官が陣取り、救援団体や被告の家族の入場は物理的にブロックされた。密告のみにもとづいて日曜の夜ひそかに4名に言い渡された判決とは、3~15年の禁錮刑である。想起すべきは、2007年の暴動直後、警官2000人にむけたサルコジの演説の言葉だろう。「あなた方が望むどんな手段にでも訴えてほしい」。最後に、被告のマカはタルナック事件で投獄されたバンジャマン・ロズーと獄中で「出会い」、2009年に共同で文章を発表していることを言い添えておきたい。
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