直近の5月19日に早稲田大学で大学無償化シンポジウムがある。友人や恋人や家族をさそって行くもよし、ひとりでぶらぶら行くもよし。無償の大学は21世紀の基本的地平である。だが、日本の大学の無償化という来たるべき出来事は地理政治学としても思考される。カダフィの沈没がサルコジの沈没を生産したように、日本で大学がタダになるという出来事は世界におけるもうひとつの出来事を生産するはずである。世界は、ウソにまみれた資本主義の因果律――「経済危機だから緊縮政策を」「ハナクソニックが赤字だから東京ホタルイカを」――ではなく、出来事の残酷な共鳴である。資本主義のツケは資本主義者へ、学生に愛とカネと蜂起を。
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大学はタダになるのか
国連人権規約「大学無償化条項」批准を考える
去る3月17日、朝日新聞夕刊にて、外務大臣が国連人権規約「大学無償化条項」に批准するとの指示を出したことが報道されました。これまで、同規約への批准を留保していたのは、国連人権規約締結国160カ国中、2カ国(日本とマダガスカル)だけでした。国際的にみて、今回の批准指示は当然のことなのかもしれません。しかし、学費が高い日本の現状を考えると、一歩前進といえるでしょう。これをきっかけに、あらためて大学無償化について、そしてそもそも大学とはなにかについて一緒に考えてみましょう。
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報告者:古屋寛生(ソラグラス代表、同志社大学)
栗原康&五井健太郎(ブラックリストの会in東京)
関翔一(ゆとり全共闘)
白石嘉治(上智大学)
日時:5月19日(土) 15:00~17:00
場所:早稲田大学本部キャンパス1号館101教室
主催:国連人権規約「大学無償化条項」批准を考える会
共催:アレゼール日本、ブラックリストの会in東京
連絡先:早稲田大学政経学部岡山茂研究室
Tel : 03-5286-9723
shigeru(at)waseda.jp
追記
ケベック学生の春(「ケベックのカエデの春」とも呼ばれる)は反学費闘争である。その闘争のさなかに学生たちは、みずからに敵対する帝国の記号体制をみいだす。4月25日の夜のデモで読まれた詩("Speak Rich en Tabarnaque")によれば、その記号体制には名前がある。「スピーク・リッチ」という名前である。どこを向いてもおなじ「スピーク・リッチ」が聞こえてくる。「スピーク・リッチ」が学生を借金奴隷にする。われわれが死んでも、死体のうえで「スピーク・リッチ」は鳴りひびいているだろう。ひとが詩人になるのは、こうした敵対的な記号体制の発見と同時であるにちがいない。
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