5月7日午前0時30分。オランドの到着とともに夜のバスチーユ広場が赤く煙った。勝利したのはオランド候補者でも社会主義党でもない、左翼という概念である、だれもがそう感じたはずだ。極右の得票率が18パーセントに達した、何かおかしくないか? 経済危機という運命を受け入れろという、でもそれって恫喝ではないか? いつ爆発するかもしれない原発をかかえたままでいるなんて、狂気の沙汰ではないか? サルコジやルペンは移民排斥をとなえる、でも外国人のいないフランスなんて息苦しくないか? そもそも、どこまでが外国人でどこからがフランス人なのか? 恐怖をばらまいているのはむしろサルコジやルペンではないか? 失業率は資本主義の産物でなければ何なのか? オランドの勝利はこうした「批判と臨床」(ドゥルーズ)の前景化であり、各人が「自分自身と世界にとっての医者」になった結果である。くりかえすが、これは左翼という概念それ自体の勝利である。
オランドに投票した有権者のうち、かれを本気で信じている者、社会主義党の政策に本気で希望をいだいている者などいない。オランドはサルコジやルペンといったポピュリストの正反対である。かつてのミッテランのごときカリスマ度もゼロのゼロ代表である。信任ゼロの統治のもとで、左翼という錯乱、おおいなる健康のくわだてが開始される。かくして左翼ののろしは上がった。
オランドに投票した有権者のうち、かれを本気で信じている者、社会主義党の政策に本気で希望をいだいている者などいない。オランドはサルコジやルペンといったポピュリストの正反対である。かつてのミッテランのごときカリスマ度もゼロのゼロ代表である。信任ゼロの統治のもとで、左翼という錯乱、おおいなる健康のくわだてが開始される。かくして左翼ののろしは上がった。
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