2011年5月21日土曜日

裏切りのコナトゥス

いま必要なのは連帯の求心力ではなく、サヨナラの遠心力である。

風評被害を口にする農民を、そのような農民の味方どもを、裏切れ。
パニックを弾圧するマッチョを、マッチョのとりまきのマッチョどもを、裏切れ。
したり顔の批判しかしない批評家を、批評家にむらがるしたり顔どもを、裏切れ。
資本主義の終わりと終末論を混同するバカと、そのバカを賛同するバカどもを、裏切れ。

家族を落胆させること。
友人をすこしだけ裏切ること。
組織から目立たぬように離脱すること。
くだらない教師の授業の履修をやめること。
くだらない学生のプレゼンにそっと席を立つこと。
大声の批判ではなく、笑いながら思ったことを小さく口にすること。
メジャー(ノーマル)とマイナー(アブノーマル)のカップルに知覚されぬ者となること。
連帯のオアシスではなく、砂漠での出会いに賭けること。

軽蔑を隠さないこと。

あるいは、
福島を去ること…
連帯を破壊すること…
関東平野の外に出ること…

各大学は文科省を裏切ること、
福島大学生の編入を無条件で受け入れること、
かれらの住宅を無償で提供すること、
福島大学の教員とスタッフを無条件で雇用すること。
各高校は、各中学は、各小学校は、文科省を裏切ること…

立ち去る者だけが、足跡を残すことができるのだから。

0 件のコメント: