10月23日付ル・モンド紙の付録雑誌『ル・モンド・マガジーヌ』が地下鉄の座席に落ちていた。手にとってぱらぱらとめくってみる。そこには今週の世界の出来事を写真でふりかえるという記事があった。目を惹いたのは、以下の二つのイメージの並置である。

15日パリ

16日東京
問われているのは、美術史家ディディ=ユベルマンの言う「イメージの態度決定」である。あるイメージの態度=意味が明らかになるのは、そこに付される文字=キャプションによってばかりではない。イメージとイメージが相互にモンタージュの関係に入るとき、イメージそれぞれの態度が鮮明になるというのである。(
Quand les images prennent position, l'OEil de l'histoire 1, 2009)
高校正門前でピケをはり、労働セクターと連帯し、サルコジの進める年金制度改革に対し反対の声をあげ、労働主義をこえてコモンズを思考しはじめているカッコいい女子高校生たちと、東京某所にみっともないスーツ姿で現れて「頑張れ日本」を叫ぶ見苦しい、息苦しい、暑苦しい中年男性たち。このモンタージュにおいて、世界でさまざまな出来事が同時に起こっているという相対主義的な情報提示を読み取るべきではない。これら二つのイメージのあいだには、女子高校生と中年男性、フランスと日本、左翼と右翼という対比をこえた、いわば絶対的な対立がある。つまり、パリのストライキ女子高校生たちが夢見ているはずの幸福な世界と、東京の中年ナショナリストが妄想する荒んだゴミのような男的世界の対立である。そのためにいっそうパリのイメージは力強い輝きを放ち、東京のイメージは目をそむけたくなるような痛々しさを発しているのだ。イメージは正直なのである。