2009年5月18日月曜日

山猫デモはルーヴルへと向かう


デモが終了すると山猫デモmanif sauvageがはじまる(写真は5月14日、大学改革反対デモ)。交通はどうなる、一般人にたいして迷惑じゃないのか、と疑問におもうかもしれない。パリのひとびとは無届けの山猫デモにたいしておおむね好意的だ。車は速度をおとし、デモ隊が通り過ぎるのを待つ。窓をあけ「おれも大学改革反対だよ」「サルコジ嫌いだよ」と賛意をあらわす。デモ隊のコールにあわせてクラクションを鳴らす。つまり、交通を遮断してすみません、ではなく、交通のほうが、デモに参加できなくてすみません、応援してます、という力関係なのである。

この学生たちのデモ隊がサンジェルマン大通りからセーヌ川をわたって向かったのはルーヴル美術館だった。学生たちは口々に叫ぶ、「学生はタダだ!」と。実際は26歳以下が割引き、18歳以下が無料となっているだけで、学生はタダで入ることはできない。むろん、学生が美術館にタダで入れない世界のほうがおかしい。そして、学生たちの叫びが意味しているのは「おれたち学生なんだから美術館ぐらいタダで入らせろよ」ということである。正しい。
学生の傲慢だろうか。潤沢な奨学金(ローンじゃない!)にめぐまれ、学費が原則無償のヨーロッパの学生たちの世間を知らないおごりだろうか。ひとつだけいえるのは、学生が傲慢になれない社会というのは、とてつもなく不幸な社会だということである。むろん社会は不幸だ。それはネオリベラルなマネージメント原理主義に貫徹されているのだから。だが、その社会の不幸が学生たちの倨傲を押しつぶすとき、社会は未来までも暗黒に染めてしまう、不幸にしてしまう。学生とはおごれる存在である。なぜなら彼女彼らは現行の社会を再生産するのではなく、あらたな社会を生産しようというのだから。ネオリベラルな自由とは一切関係のない本物の自由を学生たちは創出しようとしているのだ。

法政大学当局は恥を知れ!

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