むざんなむくろとなった無為な建屋を、
いくら棺で覆っても毒の塵は消えず、
なにかのはずみで(あるいはなにもなくとも)まきちらされる。
この最新の公害があらゆるものの一蓮托生の網からうみだされたことからみて、
よりよい建屋、よりよい圧力・格納容器、よりよい原子力、よりよいエネシフはもとより、
よりよいイシハラ、よりよいハシモト、
よりよい正力松太郎、よりよい読売巨人軍、
よりよいAERA、よりよい報道ステーション、よりよいNHK、よりよい電通、 よりよいTSUTAYA、
よりよい東大、よりよい日能研、よりよい四谷大塚、よりよいTOEIC、
よりよいみずほ、よりよい三菱東京UFJ、よりよい三井住友、よりよいゴールドマンサックス、
よりよい東電、よりよい日立、よりよい三菱、よりよい東芝、
よりよいDeNA、よりよいMS、よりよいアップル、
よりよいユニクロ、よりよいイオン、よりよいスタバ、 よりよいトヨタ、
よりよい日本、
よりよい資本主義……
がありえないことはもはやだれの目にも明らかである。
同様によりよい社会もありえないことを悟るのにためらう理由はなにもない。
社会とは叛乱を封じこめるための建屋であり、
材質や施工の強度をどれほど上げようとも、
ほころびるたびにいかなる修正をほどこそうとも、
目に見えない塵は巻きあがり、拡散するのだから。
滅亡のオーメンを放射しつづけるふくいちを筆頭に、
家賃、賃労働、監視カメラ、家電、マイカー、マイホーム、ランキング、議会、選挙……
われわれは社会という虚構の書き割りを任じる各種の装置にとりかこまれている。
あなたが社会を構成するひとりであり、
あなたの思いやおこないが社会に反映すると語りかけるものがあるなら、
それもみな装置である。
だが、装置は建屋の部品にすぎない。
みおろしたりおおいかぶさってくるものにたいする反撥と、
騒乱の歓喜への欲望は、
社会よりもはるかに前からわれわれのもっともしたしい感情であったし(泣き叫ぶこども!)、
社会という覆いをもって隠すことはできても消すことはできない(泣き叫ぶおとな!)。
歌い、踊り、落書き、わめき、吐き、暴れ、群れても、
そのたびに解釈の手綱をにぎられ、
おどされ、蹴られ、なだめすかされ、
社会という名の建屋にとじこめられてきた。
(いまやただ街路に立ちつくしているだけで反社会の嫌疑をかけられる!)
おなじことのくりかえしに倦み、
毒に噎せ、借財の恐怖においたてられ、生存の苦いスープをすすってきた。
しかしそれでも、騒乱の記憶はいちども消えなかったし、
恋人の頬は上気し、友のてのひらには汗がにじみ、
ギターの弦ははじけ、靴はすりきれ、
解釈は凶悪に世界を読みとり、
フクシマの以前も以後も不穏な塵はいたるところに舞っている。
今夜も爆発の毒を抱いて眠ろう、
われわれにおおいかぶさろうとするもの、
目に見えない紐と網でわれわれをくくろうとするものにあらがい、
騒乱の朝の光に身を射られて、
歓喜の歌をくちずさむまでの短い時間を。