原子力体制を沈めるのは学生だろう。
現在、反原子力を形成しているのはおもに市民である。
だが、市民に反原子力を期待するには限界がある。
なぜなら、市民がすまう社会そのものが原子力権力に捕縛されているからである。
学生とは帰属なき帰属の名である。
そして、そのかぎりにおいて来たるべき生の形である。
学生は市民やWe are 99%とは異なる何かにならなければならない。
その反帰属のコナトゥスにおいてのみ、恋愛が、友情が、共謀が、出来事として到来するだろう。
市民が何を言おうが、学生は市民である義務も必要もない。
学生は反=市民であるべきであり、反=社会であるべきである。
その学生的否定性を原子力都市にたたきつけ、まざまざと君臨させることで、
むしろ、なさけない市民をそのあわれな社会的属性から解放してやらなければならない。
懸命に学生であれ。
2012年、原子力都市に学生が登場する。
反原子力のハリケーンになるのは学生たちである。
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