2011年1月28日金曜日

17と18の世紀から 無数のMohamedへ

アルベルト:
「(…)少なくとも君がここで、私たちが話題としている自殺と
偉大な行為とを同列に置くのは間違ってますよ。
自殺っていうのは弱さだとしか考えようがありませんもの。
だって、苦しみだらけの人生に屈せず耐え抜くよりは、
死んでしまうほうがもちろん簡単なわけですからね。」

ヴェルター:
「あんたはそれが弱さだっていうのか?
頼むよ、見かけに惑わされないでくれよ。
圧政者の耐えきれない軛に呻く民衆がさ、
ついに怒りを爆発させて鎖をブチ切ったとしたら、
それをあんたは弱いって呼べるかい。(…)
侮辱されたことに腹を立てて、6人を相手に立ち回って
叩きのめしちまうようなやつとかを、弱いって呼べるかい。
ねえ、張りつめた力を発揮するのが強さなんだとしたら、
並外れた緊張が何でその逆でなけりゃいけないんだい。」
――大宮勘一郎訳、『若きヴェルターの悩み(抄)』


人生に意味はあるのでしょうか。
と、突然聞かれたらもちろん困ります。
(…)そんなことを考えたことがないから、
あるいは考えても答えがないから、というわけではありません。
むしろ考えたくもないのに、人生に意味はあるのかという声が、
折にふれてどこからともなく聞こえてくる。
それが辛くて懸命に耳をふさごうとしているからでしょう。(…)
パスカルに言わせれば、人間に自死を選ばせるのは考え、
それも人生の意味にまつわる考えなのです。
「人間はだれでも幸福を追求している。
追求に用いる手段がどれほどまちまちでも、そこに例外はない。
人間はみなこの目標を目指す。
ある人が戦争に赴き、他の人がそうしないのは、
両者が共有しているこの同じ欲望による。
違いは幸福についての見方だけ。
意志はこの対象に向かってでなければ一歩も動かない。
これこそすべての人間のあらゆる行動の動機だ。
首をくくりにいく者にいたるまで」
人生の意味を問わず、幸福を追求しなければ、
自分の部屋で死ぬまでおめおめと生きていけるかもしれない。
だから人生の意味を考えたくないのです。
――塩川徹也、「人生に意味はあるでしょうか」への回答
(以上『monkey business』2011 Winter)

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