(注:以下、東京の話です。)
今日大学へ行った。
正門のところで、おおぜいの人がわあわあわあわあ言っている。
何人かはプラカードみたいのをかかげている。
すわデモかストかと思い、合流せむと 目が悪いのであわてて眼鏡を出してかけて、
ちかよっていくと、「資格の学校TAC」と「資格の大原」の勧誘合戦であった。
うんざりして図書館に行こうとすると、図書館に面した裏門のところにもTAC&大原がおり、
やっぱりわあわあ言っている。学生がへんなパンフレットをおしつけられている。
とくにTACはネオリベにやられたタイの人のような黄色いTシャツを着ていて、
声と身ぶりがひときわ大きく、不気味である。
門のかなた(大学構内)には、
この不気味な喧噪をものともせず遠ざかってゆく警備員ふたりの後ろ姿。
なんで? ビラとか街宣とか禁止するのに、TACと大原はいいわけ?
帰りがけ、電車のなかで花田清輝『復興期の精神』、不覚にも涙がでそうになる。
「言葉は空からマナのごとく、もったいぶって降ってはこず、
深い淵のなかから、あたりに木魂しつつ、大衆の耳にまで昇っていったのだ。」
これはセルバンテスが『ドン・キホーテ』をなぜ書いたかについて、という「註解」なのだけれども、
こんなふうな言葉のこだまが、おれを生かしていると思った。
Iさん、教えてくれてありがとう!
託宣たれてるやつより、忠告ぶってるやつより、経営しているやつより、ドウブツぶってるやつより、
だれよも気持ちEEEEEEEEEEEE!
というふうに 生きたい。
「変革のまっただなか 計画を練ってたら
からっぽ夏の待合室 ともだちが急にあらわれたんで
あたらしい Oh 奇蹟のまえぶれ感じたのさ
壁に貼った英雄の似顔絵落ちた気がする」
(「うぐいす」word by Reiichi Nakaido; performed by RC SUCCESSION)
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