2010年9月14日火曜日

反学生負債

21世紀の闘争の中心は銀行ラッダイトである。

イヴ・シトンも言うように、人類の未来をうらなうのは人文学的な「解釈」である。それは人類の名において意味を問う行為であり、詩的自覚をもって世界を了解することだ。想起すべきは、2009年1月にグリッサンやシャモワゾーによって執筆された「高度必需品宣言」(『思想』2010年9月号)である。その「宣言」はゆたかな人文学的「解釈」をたたえている。たとえば、資本主義は最低限必要なものにわれわれの生を切り詰めるが、そもそも生とは、最高度に必要なものによって支えられるべきではないか? 最低限の生存など生存の名に値しないのではないか? 果たして、われわれの生を成り立たせる高度必需品にバーコードなど必要だろうか? はたまた完全雇用とは、万人にベーシックインカムを配布することではないか?

いうまでもなく、大学は人類にとっての高度必需品である。そこに必要最低限というものさしは通用しない。それゆえ大学は無償であるべきなのである。それに対し、企業や銀行は大学を必要最低限化しようとしており、その戦略は学費と負債である。ここでedu-factoryの呼びかけに耳をかたむけよう。大学は銀行ラッダイトの急先鋒となり、高度必需としての生をとりもどす場となるだろう。

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反負債行動の呼びかけ


われわれ学生、教員、移民労働者、プレカリアートは、負債廃止ネットワークにたいし、学生負債に反対する世界規模のアクション・デーを組織することを呼びかける。


われわれは大学の私有化、労働のプレカリゼーション、知識のあらたなエンクロージャーに反対し、コモンウェルスを奪還する運動に日々世界で取り組んでいる。


われわれは、これらの闘争すべてを構成する第一のものが借金であると了解するに至った。


負債とは社会的富を囲い込むための主な道具である。社会的富とは教育、知識、健康的食糧へのアクセス、住宅や医療のことだ。われわれが自身の生を生きるためには、そのほぼ全ての側面において、クレジットへのアクセスが必要不可欠である。


負債は根本的に政治的な問いである。というの負債とは、われわれの生と身体を管理する最たる方途だからである。管理は、個人レベルの恫喝として行われており、大規模な社会的搾取として全般化している。


30年以上にわたって、負債は個人、コミュニティ、国家、そして大陸を分断統治するためのマネジメント戦略として打ち出されてきた。


今日の金融資本主義において必然的なように、負債はパラサイトとして作用している。継続的な貸付と、それによる負債の深刻化がなければ、資本はこれ以上機能することができない。目下の経済危機がそうした原理の証左である。


したがって負債は、われわれの教育や生存を犠牲にして金融産業の利益を生み出す不公正なシステムなのである。


学生負債とは、この不公正なシステムが実行に移されるさいの最初の形態のひとつである。われわれは学生として教育にアクセスするために、借金を強いられるのだ。こうした略奪的な貸付戦略によって、未来の労働服役を担保とする契約を銀行や金融機関から押し付けられた何世代もの人々が発生している。

学生負債とは大学の法人化ないし金融化を意味する。それは知と情動のエンクロージャーであり、賃労働や生活のプレカリゼーションである。


それゆえ学生負債にたいする闘争は、クレジットカード、抵当、国際的な負債システムといった今日の奴隷制度にたいする闘争の一部をなすものである。われわれに固有の闘争であると同時に、より公正な世界を目指した共なる闘争なのだ。


われわれは、万人の破産への権利、万人のクレジットへのアクセスの権利を要求する。われわれは負債の即時撤廃を呼びかけ、負債システムにたいする市民的不服従を呼びかける

われわれは借金を返すつもりなどない!


http://www.edu-factory.org/edu15/index.php?option=com_content&view=article&id=356

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