2010年2月10日水曜日

神話政治がはじまる

 イヴ・シトン『ミトクラシー 左翼のストーリーテリングとイマジネール』(2010年、アムステルダム出版)とともに左翼の神話政治がはじまる。神話こそ主戦場であり、本書はフーコー「蜂起は無駄なのか」やランシエール『解放された観客』とも響き合っているだろう。以下に、本書裏表紙の紹介文をざっと訳出しておきたい。
 イヴ・シトンは1962年生まれ、スイスの文学理論家であり、すでに『自由の裏面 フランス啓蒙主義におけるスピノザ的イマジネールの発明』(2006 年)や『読む、解釈する、現働化する なぜ文学研究か』(2007年、サルコジの『クレーヴの奥方』発言に対する介入)などが出ている。

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 一般に語られているところによれば、デモクラシーはある狡猾な悪によって腐敗したらしい。ひとを無気力にさせるメディアによって得々と伝えられる物語や神話の偏在のため、デモクラシーは夢遊病体制へと作り変えられてしまったという。デモクラシーは「人民の権力」から寓話の治世に変わったのだ。ミトクラシーmythocratieである。
 こうした無力な告発から抜け出すためには、問いを転倒しなければならない。マスメディア社会においてわれわれのふるまいを導く「ソフト権力doux pouvoir」の分析が必要であるとしても、重要なのは、その権力作用を断罪することではなく、そこから解放の道具を引き出すことである。そうした道具のうちでもっとも重要なのは神話それ自体だろう。じっさいわれわれが理解すべきは物語の力能――ミトクラシー――であり、それを用いることなのだ。そのためにはまず、(ソフト)権力について理論化しておく必要がある――本書は二つの章で、スピノザ、タルド、フーコーを着想源としながらそうした理論化の基礎部分を素描している。さらにはまた、人間の営みのなかでもとりわけ特異な次元であるこの「シナリオ化の権力pouvoir de scénarisation」を定義する必要がある。われわれの話や身ぶりは、この「シナリオ化の権力」をとおして、他者の自由なふるまいを語りの網の目のなかに書き込み、それを条件づけるのだ。最後に本書は政治的イマジネールの再定式化へといたる。この再定式化とともに、あらたな務め、あらたな介入の様式、パロールのあらたなスタイルが明確化されていくだろう。
 政治哲学、人類学、文学理論が交差する場所に、本書は無数のミトクラットたちを結集させる。アイスキュロスからディドロやサン・ラーをへてWu Mingにいたるまで。本書は、こんにち大いなる左旋回の必要を感じているすべてのひとびと、「左翼」がこれまで以上に再発明せねばならないものであることを知るすべてのひとびとに向けて書かれている。

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