われわれは「負債学生」としてローマのデモに参加した。その負債は日本の大学、国家、企業、銀行がグルになってわれわれに背負わせたものである。学費が高ければ借りるほかない。そこで抵当に入れられるのはわれわれの(未来の)生存そのものである。そんなものは返さない。
われわれが要求するのは、本物の負債である。たとえば恋愛関係とは、互いが互いに無限の負債をかかえこむことだ。ひとは恋人に身も心もあずけてしまうが、何も恐れたりしないし、「その代わりに」何かを要求したりもしない。恋人にたいして、友人にたいして、無限の負債をかかえこむ。無限に要求し、要求される。ここに何の問題があるだろう。
こうした無限の負債関係こそ共産主義である。資本主義はその共産主義に寄生しつつ、ローンだの交換だのギブアンドテイクだのビジネスライクだのマーケティングだのマネージメントだのと言いつのって生産を掠め取ろうとする。だが、資本主義下の負債など知ったことではない。共産主義的負債の爆発、これがわれわれの愛である。われわれはそれをすでに知っている。(参考文献:デヴィッド・グレーバー『資本主義後の世界のために 新しいアナーキズムの視座』、以文社、2009)
以下の写真は時間順(7月7日)。ビール瓶の写真の時点で一旦デモ終了、その後二百名ほどのブラックブロックがテルミニ駅を占拠した。




以下おまけ。



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