今日、家庭教師先でちょっとした出来事があった。
下のフロアの人が手紙をもって訪ねてきた。
「日本の被災者に連帯を表明する」と。
復興=復古ナショナリズムの濁流に飲み込まれるまえに、かんがえよう。
こういう場面で「連帯」の語が出てくることの意味を、
「連帯」という語に、いかなる意味が込められているかを。
「連帯」とは、「いっしょにたたかいましょう」という意味である。
お悔やみや哀悼ではない。「おまえたちたたかえ」と言っているのだ。
何とたたかうのか。
原子力それ自体にたいしてである。
フランスの原子力依存度は70パーセントをこえる。
電力の原子力依存の方針を決定したのはド・ゴールである。
その結果、フランスの原子力地図は、無数の地雷のごとく原発にうめつくされてしまった。
カタストロフが起こってからでは遅い。にもかかわらず、
原子力イデオローグは壊れた機械のように「安全」「安心」をくりかえす。
この図はどこでも同じだ。「おまえたちは洞窟で暮らしたいのか」と。
そうこうするうち、なしくずし的に原子力の脅威の記憶が忘却させられる。
原子力にあいまいに統治されてしまう。
海外にいてよせられる「連帯」の意味、それは、
「連帯」にあたいする行動をいますぐ起こせ、という意味だ。
さっさと行動しろ、なにをグズグズしているのか、ばかじゃないか、
フクシマから反原子力ムーブメントをいますぐ発信しろ、と。
この世界的カタストロフをまえに、
連帯すらさせてもらえない人類について、
すこしは思いをはせてほしい。
カタストロフのただなかで、批判しかできない人間、
パニックすらできない人間を、グズという。
日々のくだらない労働と、
復興支援をとりちがえるような愚か者(「普通の生活こそ被災者のためになる」)
を世界は軽蔑する。
なぜなら、いまここで原子力体制と訣別できるかいなかで、
人類の未来が左右されるというのだ。
復興など窓から棄ててしまえ。復興なき復興、脱復興をかんがえよう。
それは、原子力のない世界にいますぐ踏み出すということだ。
人類に、連帯すらさせてあげられないってどういうことだ。
追伸
『生きものの記録』について。
ミフネは、ブラジル移住をばかにする家族の説得をあきらめ、
家族が経営する工場に火を放つ。
なんだ、この工場というやつは、家族というやつは、日々の労働というやつは。
狂っているのはいったいどっちだ。
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