2011年3月15日火曜日

パニックの起源

「パニックが被害を拡大する」という。嘘もいい加減にしてほしい。ほんらいパニックとは、フランス革命や二月革命時に登場した革命的群集をブルジョワジーが形容した言葉だった。それは、革命という群集知性の発現にたいし、無知なる権力が悪意とともにはなった言葉だったのである。パニックというこのニセの概念はギュスターヴ・ル・ボンのような俗流社会学に受けつがれるが、真の社会学者ガブリエル・タルドによりこてんぱんに批判され、さらにそのタルドを受け継いだ歴史学者ジョルジュ・ルフェーヴルによって完全に粉砕されたのである。
すなわち、パニックとはにせの命名なのであり、名指されているのはじつは革命的な知性の爆発である。災害下であろうとそれはかわらない。あふれる情動が行動的知性に転化するのだ。統治者やその追従者たちはパニック恐怖をまきちらしているが、パニックなど統治者の頭のなかだけに描かれた妄想にすぎない。不可視の放射能にたいして、真に恐怖し、群集知性を行使すること。恐怖する者に「落ち着け」と声をかけるのではなく、たがいに恐怖を分かち合うこと。『生きものの記録』のミフネは水爆実験にふるえあがり、ブラジルへの移住をくわだてた。にもかかわらず、周囲(家族)のパニックフォビアたちがミフネを狂人とみなし、彼の知性の萌芽をつぶしてしまうのである。
パニック恐怖の連中の言うことはきかなくていい。撒き散らされる放射能にたいして、背筋の凍るような恐怖の詩を撒こう。「むやみな」不安の詩を撒こう。くりかえすが、パニックとは群集知性のカリカチュア化であり、統治者の妄想である。すすんで職場放棄し、友人や隣人の職場放棄をうながし、首都圏からすぐに避難しよう。そして、すべての原発を止める準備をいますぐ開始しよう。

追伸
「フランスないしフランス海外県の領土は日本からの放射能被害をまぬがれるだろう」。こうしたことがフランスのニュース番組で語られている。かつて日本で、「はるか遠くの」チェルノブイリ事故をめぐって、戦々恐々と語られていたように。
緑の党ダニエル・コーン=バンディットはすぐさま「脱原発国民投票」を呼びかけた。それにたいして与党UMPいわく「日本の事故はチェルノブイリではない」、「われわれは市民原子力を手放すつもりはない」。左翼=脱原発、右翼=原発という線が強力に引かれつつあるのだ。人類はいま、日本の原発事故をつうじてネガティブなかたちで全=世界を経験しつつある。たとえばそのフランスでは、2012年の大統領選挙の最大の争点は「原発」になるだろうとすでに言われている。そして、移民問題というありもしない問題をめぐって、右翼と極右の妄想合戦になるとする見通しはくつがえされようとしている。

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