2011年4月28日木曜日

ささやかれているうわさ・その2

国立がんセンター
(とくに「1回の被曝量が100ミリシーベルト以下なら、
がんなどの発生率上昇の可能性は高くならない」
と言い張る嘉山孝正理事長)を筆頭とするがん業界
(医療、保険、製薬)も青汁もにんにく卵黄も皇潤も
原子力シンジケートの一員である。
かれらの見解によれば、
放射線も「生活習慣」のひとつであり、
「どうせ半分はがんになるのだから、
ちょっと増えたってどうってことない」ということになるのであろう。

1960年代、「東京の『放射能』は1万倍!」(週刊新潮4/14)
だったそうである。 俺ガキだったじゃん、思いっきり被ってるじゃん、
ちょうやばいじゃん!!!と青ざめる。
でもこのての記事について、
「ガイガー振り切れたとか言って、放射線に悩んでストレスで早死にしろ!(爆)」
といった感想をもつ人もいるらしい。
気持ちがどうしてもわからない。
あなたはなんでそんなに低線量被ばくを
「たいしたことない」って思えるのだろうか?
だれのために「たいしたことないだろうが」と息まいているの?
放射能ストレスのどこがいけないの?
それだってりっぱな被ばく被害じゃん。
たとえ じつは子どものときから吸い込みまくってたとしたって、
タバコや酒をあびるようにのんでいたって、
騒いだっていいじゃん。
くりかえすが、「死ぬのはしかたがない。だが、殺されるのはいやだっ」

2011年4月26日火曜日

決死隊って

↑4/25 外国メディア向け合同記者会見、参加者ゼロの図。 (出典:http://fpaj.jp/news/archives/2618)

0.
何となく収束しつつある的な雰囲気が充満。
そんなわけがないのであいかわらずオタオタ中。
1.
『生きものの記録』中島喜一の台詞。
「死ぬのはやむをえん。だが、殺されるのはいやだっ」
2.
推進派だったが(いまも「反対」とは言っていないが)
被ばくについて真剣な数少ない専門家のひとり武田邦彦が、
Risk/Benefit について書いていた。
3.
それで思いだして厭だと思ったのは、
ささやかれはじめたらしい「65歳以上の福島決死隊」。
被ばくしていい人間なんているのかよ?
カネ払えば行くだろうって、人間なめるのもいいかげんにしろ。
「最後は人間の手で」って、ほんとうなのかよ?
高橋哲哉が「行くなら推進派が行け」とか言ってるけど(『週刊現代』5/7・14号)、
俺は「だれかが止めなきゃならない」ってこと自体が胡散臭く思える。
4.
子どものころ『黒い雨』にビビリ、
プチ・キュリー号、『鉄腕アトム』等が厭な気がし、
『バイオニック・ジェミー』すらぼんやり怖かった。
長じて『太陽を盗んだ男』で決定的に鼻をやられた。
臭いしないとか言われてるけど絶対臭う気がする。
無理、もってこないで怖いから!!!
と思っていたのに なぜか核がいっぱい…
なにもかも嘘だらけだし、
もはやあらゆるガンも低線量のせいとしか思えない。
5.
さいきんウないしファが元気がない。
4/24芝公園デモのさいも憂国の方々が銀座にあらわれはしたが、
こぢんまりと騒ぐのみ。
「そんなにお国が心配なら福島行ってこいよ」
等と言われるのが怖いのだろうか。

2011年4月21日木曜日

歌に散種する

したがって『古事記』のミトクラシーの賭け金とは、起源へと逐語的にたちかえることで出来事のはじまりをよびこむことであり、黒田(喜夫)において端的だったように、そうした反復によって生じる起源の修辞的な「空白」のなかに民衆の声を聴きとることである。民衆が欠けているのは、それが「自己異空間」の空隙にやどるからである。帰郷を幻想というだけでは不十分である。空想のゲリラがはぐくまれるのは、帰属も連帯もない「辺境性」においてである。
(白石嘉治「『古事記』のミトクラシー」、『現代思想』2011年5月臨時増刊号「総特集:古事記 1300年目の真実」)

バイクをとばしても どこへも帰れない
バイクをとばしても 帰りつづけるだけのぼくらは
寄り道をしてるんだ
くるまはカバのように 潰れていたし
街中がくずれた
それで 君を呼んだのに
君の愛で間に合わせようとしたのに
(忌野清志郎『君を呼んだのに』1982)

きりきりづんは まんなごはァすんでえで
ほぺたとゆんめはァ ふぐれでで
だんべとのんぞみはァ おっきくて
べちょことすりょはァ ねれでぇんだちゃ
(井上ひさし『吉里吉里人』1981)

ひさかたの 天の香具山 利鎌に
さ渡る鵠 弱細 手弱腕を
まかむとは 我はすれど さ寝むとは
我は思へど 汝が著せる 襲の裾に 月立ちにけり
(『古事記』)

2011年4月20日水曜日

戦後の日本株式会社はフクシマで終わった(by関曠野)

関曠野さんによる最近の論考。
抜粋で申し訳ないけれど載せさせていただきます。
後段BIへの言及は、先日掲載させてもらった
提言ともはっきりと響き合っています。
こら日本株式会社!おまえとこもうわやなんじゃ!
眠たいこと言うとらんでとっとと金くばらんかい!

(…)しかしながら原発は、核反応という非ニュートン的現象をニュートン物理学の枠内の技術で制御しようという原理的に矛盾し、始めから破綻している試み、テクノロジーの名に値しない極端なアクロバットなのである。(…)一度原発事故が発生すると事態の予測も制御もきわめて困難である。これは原発のデザインの改良で解決できる問題ではない。そして事故の規模は原子炉の気まぐれな反応や地形や風向などさまざまな偶然的要因に左右されるので、完全に安全な避難計画を作っておくことも原理的に不可能である。だからこそ原発は絶対に建設してはならないのだ。(…)
(…)そして現在、震災復興の財源のめどが立たない中で、全国知事会が国債の日銀引き受けによって厖大な復興資金を創出することを提言している。この事実上の政府通貨の発行には日銀と財務省が子供だましの理屈で抵抗するだろう。しかし震災と原発事故という巨大な代償を払ってだが、これで日本が世界に先駆けて政府通貨で目下の世界恐慌を打開する国になる可能性が出てきた。そして復興というからには、県外に避難した人々を含めて無一物同然の被災者の生活を立て直すことがその出発点である筈だ。今東北が必要としているのは被災者に対する月八万円程度の一律無差別なベーシック・インカムの支給である。これは政府通貨が発行されれば直ちに実施できる措置である、ベーシック・インカムは将来の見通しが立たないでいる被災者を支えるだけでなく、地域経済を速やかに再生させるだろう。その先にあるのはたんなる復旧や再建ではない。
(…)戦前の日本帝国はヒロシマで終わり、戦後の日本株式会社はフクシマで終わった。
(関曠野「計算不可能な原発事故のリスク:原発はテクノロジーの名に値しない極端なアクロバットだ」『図書新聞』2011年4月23日/太字は原文、赤字は引用者)

*悪口みたいであれなんですけど、同紙の震災直後の号にでてた某氏の寄稿は、「反原発=ブサヨは文句言うなら義捐金出せ」みたいなことを言ってて、ひどかったなー。ドイツには申し訳ないんですけど、永久にあっちに居て欲しいと思います。
*関さんへ。ぶっちゃけ、僕、8万円ぢゃ足りないです。足りないです。「JOIE DE VIVRE」には。もっといんじゃないでしょうか。僕は、「埋蔵金」+ファッキン大企業内部留保+政府通貨で、もうちょっとひり出してもいんじゃないかと思うんです。


ウダウダいってると以下のような強硬措置をとらざるをえません。
PUT WHEELS IN MOTION !
1) OCCUPATION OF THE DIET BUILDING BY UNITED NATIONS.
2) DECLARATION ABOUT EXTINGUISHMENT OF JAPAN’S NATIONAL SOVEREIGNTY.
3) OCCUPATION OF JAPAN.
4) ISSUANCE OF BASIC INCOME AND ENFORCEMENT OF TOLL-FREE UNIVERSITY.
5) JOIE DE VIVRE!
(see reference; “The spirit of Basic Income characterized by absolute freedom and Calls to occupation,” in Kwaidan, vol.3, L’association de l’étude de la philosophie sociale)

Break off the Appointment with Death



インド西部マハラシュトラ州ジャイタプールの
原発建設予定地(6基、出力計990万kw、出来ちゃうと柏崎抜いて世界最大)で
18日に起きた反原発デモで死者がひとり出た。
ポリに撃たれて。
全世界の原子力ムラの欲ボケどもに告ぐ。
原発売りつけるのやめろ!!!
フクシマあんななってるのに基地外沙汰だぞ!!!

2011年4月19日火曜日

節電?ざけんじゃねー

「電力足りない」「原子力は基軸」の大ウソ。

で、コンピュータ監視法案てか。上等じゃい!
欲ボケ! うんこだいほんえい! ウソつき!
流言やめないよ。暴動れる(ぼどれる)よ。

2011年4月18日月曜日

災厄が性根を露呈しちゃった

「ハーバード白熱教室 大震災特別講義」(NHK、4/16放映)を観た。
(観ていて具合が悪くなったので途中で止めた。)
東京側の参加者:学生たちのほか、虎舞竜、ジャパネットたかた、高畑淳子(女優)、石田衣良。(どういう人選だよ?)
ハーバード側:学生たち。
「脱原発の方向を模索すべき」「それでも原発は必要」
で意見をつのり、不毛なやりとりをさせたあげくのおっさんの総括:
「さて、ここまで、原子力をめぐる主な論点がでたと思う」。
核に「論点」なんて無えよ!!バカか!!
だいたい、原発産官学トリアードの言うことを無批判に信じて、
「エネルギー問題」が存在するという前提をもうけている時点で、
哲学でもなんでもじゃないじゃん。新聞以下じゃん。
あんな浅い人間がルソーを矮小化するのは許されない。

この災厄でぱっくり露呈しちゃうなあと思う。
BIのときも思ったけれど、核もそうなんだなと。
石田衣良よ、さようなら(最初から何とも思ってなかったけどさ)。
勝間和代やジャパネットたかたはさもありなんとしても、
作家はだめでしょう、作家は。
それともおまえもカネもらってんのか?
「もっとも怖いのは人間が進むのをやめること。
火だって、さいしょは危険なものだった。
技術の進歩によって人間は原子力も制御できるようになるはずだ」云々。
うつけ者め! 制御とかいう奴はみんな恥知らずだ。

『週刊金曜日』4/15号「特集:電力会社に群がる原発文化人の罪」、
荻野が愚かしい言い訳をしていて見物。
でも、「原発文化人」一覧をみても、まったくがっかりはしないね。