2012年7月4日水曜日
2012年7月2日月曜日
四角いオヤジたち
オッサンの夢は装置になること。
推進派、経済ぶりっこ、科学ぶりっこは装置にかぎりなく近づく。
言葉で特定されなくても写真をみただけでわかってしまう。
左の人がいい人かどうかわからないが、
右の人はあきらかに装置ぽい。
左の人のような人が近づいてくると、 オッサンは警戒する。
右の人のような人が近づいてくると、 オッサンは安心する。
祝島のじいさんばあさんは堂々としているが、
推進派は役場からNPOから漁師まで
みんなコソコソしていてシルエットが四角く装置臭い。
飯田哲也は装置っぽい気がするので
上関はひきつづき要注意である。
頭のわるい者Aの回答
勝手に糞まじめに回答します。
東京は低線量被曝動員地帯です。
私が東京を離れない理由はただひとつ、
愛する者がそこにいるから。
愛する者たちが東京を離れたら私も離れると思う。
それはキズナとか社会ではないので、
私は我慢してとどまっているのでなく、すすんで東京にいる。
なにもかもが変わったとはっきり思ういっぽうで、
情動や感情の面ではなにも昔と変わっていないかのように
よろこびとかなしみがかわるがわるおとずれている。
ひとりで田舎に行ったら装置みたいになってしまう気がする。
というか、私はあのあとじょじょに壊れて、
いろいろなタガがはずれてしまったので、
むしろ清々して徳が増えたような気さえしていて、
変な高揚があるのです。
あれ? それこそが動員、それも魂の動員ということか。
そういうわけで、思想家矢部史郎が
ひとりでも多くの人間を関東から退避させたいと書いているのは、
なるほどそういうことかと思います。
ひとり、またひとりと東京を離れれば、
いっさいの愛の錨が作用しなくなる。
そのときはじめて原子力都市東京の崩壊ということになるのでしょう。
発展の綱領、ちんこの夢としての
原子力都市の残滓だけが問題なのではなくて、
ほんとうに魂の戦争ということになってしまったのだろうか。
私にとって問題なのは、
愛する者といっしょに退避できるかどうかだけです。
そして重要なのは、「いっしょに退避する」には、
「ひとり×2」以上のカネがかかるということだと思います。
結局カネか。そうですね、結局、カネです。
正直な気持ちをいうと、いま日本にいない人は、
できるだけ帰ってこない方がいいような気がします。
日本では2年前と比べてとくに食うことについて、
もしゼロベクレルないし限りなくベクレルフリーでいこうと思ったら、
異様に糞カネがかかります。
(私は水や食物を選ぶせいで借金が増えました。)
東京はそういうのが突出しているので論外だが、
では東京以外では楽々防護生活ができるかといえば、
そうでもないでしょう。
東京では陸続と、若者だけでなく老年も具合が悪くなっています。
大飯のボロ機も動きだしてしまったので、西も怪しくなりました。
まきちらしたがれきを夜中にコソコソ燃やしているため、
九州でも静岡でもゲボゲボ具合が悪くなりだしています。
わざわざこのような危険な場所に戻る必要があるとは思えません。
被曝動員にかんして意味がわからないような、
頭のわるい外国滞在者にはずっとそのままでいてほしい、
というのは被曝動員者のわがままでしょうか。わがままですね。
東海アマさんは、安全な畑で自給自足でやっていくしかない、
と書いていたけれども、
私じしんは農業とか別に全然やりたくないんだけど、
でも愛する者たちと共同農園をやるならいいかな、とも思います。
しかしさ、日本に「安全な土」なんてあるのかねえ?
けれども、どうなるかわかりませんよ。
大飯で、官邸前で、新宿で、
いまにもナニしそうな人にいっぱい会うことができます。
おそろしい出来事がおきて、なにもかもひっくりかえるかもしれない。
いまは不可解な静態にみえても、ほんとうの動乱は、
ばたばた人がたおれはじめるこれからでしょう。
東京は低線量被曝動員地帯です。
私が東京を離れない理由はただひとつ、
愛する者がそこにいるから。
愛する者たちが東京を離れたら私も離れると思う。
それはキズナとか社会ではないので、
私は我慢してとどまっているのでなく、すすんで東京にいる。
なにもかもが変わったとはっきり思ういっぽうで、
情動や感情の面ではなにも昔と変わっていないかのように
よろこびとかなしみがかわるがわるおとずれている。
ひとりで田舎に行ったら装置みたいになってしまう気がする。
というか、私はあのあとじょじょに壊れて、
いろいろなタガがはずれてしまったので、
むしろ清々して徳が増えたような気さえしていて、
変な高揚があるのです。
あれ? それこそが動員、それも魂の動員ということか。
そういうわけで、思想家矢部史郎が
ひとりでも多くの人間を関東から退避させたいと書いているのは、
なるほどそういうことかと思います。
ひとり、またひとりと東京を離れれば、
いっさいの愛の錨が作用しなくなる。
そのときはじめて原子力都市東京の崩壊ということになるのでしょう。
発展の綱領、ちんこの夢としての
原子力都市の残滓だけが問題なのではなくて、
ほんとうに魂の戦争ということになってしまったのだろうか。
私にとって問題なのは、
愛する者といっしょに退避できるかどうかだけです。
そして重要なのは、「いっしょに退避する」には、
「ひとり×2」以上のカネがかかるということだと思います。
結局カネか。そうですね、結局、カネです。
正直な気持ちをいうと、いま日本にいない人は、
できるだけ帰ってこない方がいいような気がします。
日本では2年前と比べてとくに食うことについて、
もしゼロベクレルないし限りなくベクレルフリーでいこうと思ったら、
異様に糞カネがかかります。
(私は水や食物を選ぶせいで借金が増えました。)
東京はそういうのが突出しているので論外だが、
では東京以外では楽々防護生活ができるかといえば、
そうでもないでしょう。
東京では陸続と、若者だけでなく老年も具合が悪くなっています。
大飯のボロ機も動きだしてしまったので、西も怪しくなりました。
まきちらしたがれきを夜中にコソコソ燃やしているため、
九州でも静岡でもゲボゲボ具合が悪くなりだしています。
わざわざこのような危険な場所に戻る必要があるとは思えません。
被曝動員にかんして意味がわからないような、
頭のわるい外国滞在者にはずっとそのままでいてほしい、
というのは被曝動員者のわがままでしょうか。わがままですね。
東海アマさんは、安全な畑で自給自足でやっていくしかない、
と書いていたけれども、
私じしんは農業とか別に全然やりたくないんだけど、
でも愛する者たちと共同農園をやるならいいかな、とも思います。
しかしさ、日本に「安全な土」なんてあるのかねえ?
けれども、どうなるかわかりませんよ。
大飯で、官邸前で、新宿で、
いまにもナニしそうな人にいっぱい会うことができます。
おそろしい出来事がおきて、なにもかもひっくりかえるかもしれない。
いまは不可解な静態にみえても、ほんとうの動乱は、
ばたばた人がたおれはじめるこれからでしょう。
2012年6月30日土曜日
東京低線量被曝動員(頭のわるい友人たちへ)
頭のわるいゴミのようなことを頭わるいままに書きます。 現状認識から42.195キロおくれています。まさにアウトです。だから頭のわるい友人以外は読まないでください。
***
留学中である。博士論文なんて書けそうもない。金も尽きてきた。とにかくいったん帰国する。さて、東京に帰るかどうか。どうせ東京に帰ってもフリーターだろう。大学ではたらけるわけがない。そこで連れ合いとアルバイトのダブルインカムでかつかつの生活をするとして、そういう財政ではたして低線量地帯をサバイバルできるものだろうか。カネがないものだからあやしげな食品を買って食ってあとで後悔して、体に不調が出てきているような気がして、じっさい不調も出てきて、不安になって、その不安をごまかしつつクソみたいなバイトをして酒飲んで寝て……死んでもタバコとか酒のせいにされて……東京なんて低線量被曝動員ではないのか? 東京は嘘にまみれているのではないか? 正直なところ、反放射能(ゼロベクレル派)のひとたちの東京にいることの理由は何? 会社? 政治? 思想? 大学? 人間関係? 社会的地位? やっぱ安定した収入? なにげにやりがい? 逃げたくても逃げられない、だとか、内部被曝の被害はむしろ油断が生じる遠くにあらわれるからどこにいても同じ、だとか、田舎の塾講師みたいなことはぜったいやりたくない、だとか、あるいはそういう職すら見つけるのがむずかしい、だとか、そういう理解でOK? なぜこういうことを問うかというと、こういう点にかんしてはっきりと分からないからです。というかそこがいちばん知りたかったりするのですが。じつはそこらへんは教えてくれないですよね。お前には関係ない? おれにはおれ、わたしにはわたしの個人的事情がある? ひとりで決めるしかない? 頭脳のないフリーター確定人間のルサンチマンに聞こえちゃったりするのでしょうか。でもとにかく自分のばあい、生来の健康状態(病弱)と今後の身の振り方を考えるなら、東京低線量被曝動員はありえないというか、つきあいきれないという思いでいっぱいです。東京に、低線量被曝に、動員されたくありません。「それでいいんじゃないの」とか答えて自己完結させないでください。
大飯原発ゲート前行きたい!!
***
留学中である。博士論文なんて書けそうもない。金も尽きてきた。とにかくいったん帰国する。さて、東京に帰るかどうか。どうせ東京に帰ってもフリーターだろう。大学ではたらけるわけがない。そこで連れ合いとアルバイトのダブルインカムでかつかつの生活をするとして、そういう財政ではたして低線量地帯をサバイバルできるものだろうか。カネがないものだからあやしげな食品を買って食ってあとで後悔して、体に不調が出てきているような気がして、じっさい不調も出てきて、不安になって、その不安をごまかしつつクソみたいなバイトをして酒飲んで寝て……死んでもタバコとか酒のせいにされて……東京なんて低線量被曝動員ではないのか? 東京は嘘にまみれているのではないか? 正直なところ、反放射能(ゼロベクレル派)のひとたちの東京にいることの理由は何? 会社? 政治? 思想? 大学? 人間関係? 社会的地位? やっぱ安定した収入? なにげにやりがい? 逃げたくても逃げられない、だとか、内部被曝の被害はむしろ油断が生じる遠くにあらわれるからどこにいても同じ、だとか、田舎の塾講師みたいなことはぜったいやりたくない、だとか、あるいはそういう職すら見つけるのがむずかしい、だとか、そういう理解でOK? なぜこういうことを問うかというと、こういう点にかんしてはっきりと分からないからです。というかそこがいちばん知りたかったりするのですが。じつはそこらへんは教えてくれないですよね。お前には関係ない? おれにはおれ、わたしにはわたしの個人的事情がある? ひとりで決めるしかない? 頭脳のないフリーター確定人間のルサンチマンに聞こえちゃったりするのでしょうか。でもとにかく自分のばあい、生来の健康状態(病弱)と今後の身の振り方を考えるなら、東京低線量被曝動員はありえないというか、つきあいきれないという思いでいっぱいです。東京に、低線量被曝に、動員されたくありません。「それでいいんじゃないの」とか答えて自己完結させないでください。
大飯原発ゲート前行きたい!!
2012年6月4日月曜日
オッサン的エートスを除染する

「純文学とは極私的言語の戦闘的保持、
書くことを前に進ませる意志と複数の基準を許す自由である。」
(笙野頼子)
大好きな「チダイズム」のテクストが、
中学生以下のおつむのオッサンどものせいで停止。
東電国家大企業なみに許せない。
絶対に許さない。
きさまらのやっていることは「科学」とは何も関係ない。
文学への、表現への宣戦布告だ。
われわれは、だれが何を書こうと、言おうと、
寛容と歓待をもってそれを読むだろう(あるいは読まないだろう)。
「放射能について騒ぐことで、
人を傷つけたり、財産を損なっていいのか」
というあなたがたの理屈が
欺瞞にみちたものであることはとりあえず措こう。
「科学」が国家とも経済とも原子力産業とも
ズブズブの一蓮托生であることを
あなたがたが迂闊にも知らなかったとしても、
それもとりあえず措いておこう。
ところで、なぜ「潰す」必要があるのですか?
最初、工作員だろうと思いました。
ところが、どうも、工作員とも思えないフシがある。
では、お金もらえるわけでもないのに、何をムキになっているのか。
はっきり言おう。なぜクズどもは邪魔をするのか。
内部被曝のエビデンスだかエビフライだか知らんが、
そんなことが問題なのではない。
かれらは、すべての一般人の知性、情動、コナトゥスが
爆発する蜂起的状況が許せないのだ。
なぜか? それを許したら、
みずからの優位(何の分野での、ではなく、一般の地平における)
と思っているものが地盤沈下をおこすから。
「蜂起するなら、俺に断ってからにしろ」
「蜂起するなら、俺が『立ってよし』と言ってからにしろ」
「その蜂起、待て! 俺をおいていくな!」
「俺を、とにかく、尊敬しろ!」
「被災地の人たちの心を傷つける」も、
「経済がダメになる」も、
すべて後付のクソ理屈。
きさまらのおつむは、
「主婦=放射性物質」と喩えて恥じない日本原子力研究開発機構なみ。
笑えない話だ。
問題は原発でもエネルギーでもない。
この世界にオッサン的エートスがあるかぎり、
クソみたいなことは終わらない。
フクシマ後の状況すべてが、
お前らみたいなクソオヤジへの三行半であることにまったく気づかない おめでたい下司ども。
邪魔です。ほんとうに邪魔です。お願いですからどっか行ってください。
これでも読んでおつむを解毒しやがれ。
2012年6月1日金曜日
人間の徳について
「内部被曝とはなにか。内部被曝などない」
サンディエゴでとれた10bq/kgの本マグロから、
岩手の1200bq/kgのシイタケまで、
全部だいじょうぶ!!! 放射能は体にいい!!!
カミさん、子、孫にも食わせよう!!!
…となるかといえば、そんなことはまったくなく、
自分たちはセコセコと
ベクれていないものを漁っているにちがいない。
石川迪夫がテレビで、分厚いデカい手をふりまわして
「わたしはばあさんとふたり、
ほうれん草を食べまくっていますぞ!!!」
と吼えていたけれども、最近どうした、見ないぞ。
大橋弘忠といっしょにふくいちに行って汚染水を飲んでこい。
不徳の核カルトども、首を洗って待ちやがれ
サンディエゴでとれた10bq/kgの本マグロから、
岩手の1200bq/kgのシイタケまで、
全部だいじょうぶ!!! 放射能は体にいい!!!
カミさん、子、孫にも食わせよう!!!
…となるかといえば、そんなことはまったくなく、
自分たちはセコセコと
ベクれていないものを漁っているにちがいない。
石川迪夫がテレビで、分厚いデカい手をふりまわして
「わたしはばあさんとふたり、
ほうれん草を食べまくっていますぞ!!!」
と吼えていたけれども、最近どうした、見ないぞ。
大橋弘忠といっしょにふくいちに行って汚染水を飲んでこい。
不徳の核カルトども、首を洗って待ちやがれ
2012年5月22日火曜日
Striking Quebec Students
ケベック学生のストライキは三カ月つづいている。5月17日には議会によってこの反学費ストライキ鎮圧をはかる「78法案」が可決された。これは集会やデモの権利を制限するものであり、それらが公共施設内部および周辺50メートルでなされることを禁じている。この禁則をやぶった個人には1,000~35,000ドルの罰金、組織には25,000~125,000ドルの罰金が課される。そしてこの法案は、ストライキされてきた大学の8月末からの再開を定めている。ストライキが教育をうける権利を侵害している、というのである。これにたいして5月20日にはモントリオールで27回目の夜のデモがおこなわれた。300名の逮捕者を出したという。
先日早稲田でのシンポジウム(「大学はタダになるのか」)で白石嘉治氏が述べたように、われわれは不可能なる現実の名において大学ストライキを創出しなければならない。学生の債権化を実力で阻止するケベック学生のように、がれき焼却受け入れを実力で阻止する北九州市民のように。
現在、ストライキとは何を意味するのか。たしかなのは、工場=労働者=ストライキという従来のアレンジメントが過去のものとなり、社会工場=社会労働者=ストライキというあたらしいアレンジメントがそれに取って代わったということである。工場のパラダイムが生産だったとすれば、社会工場のパラダイムは流通である。労働者のパラダイムが男だったとすれば、社会労働者のパラダイムは女と学生と子供である。従来のストライキが生産の停止だったとすれば、現代のストライキは流通の切断である。従来のストライキが社会への動員だったとすれば、現代のストライキは社会動員の解除である。
社会工場のさまざまな流れ――生産の流れ、商品の流れ、金融の流れ、ヒトの流れ、情報の流れ、電力の流れ、ガスの流れ、放射能の流れ――を切断すること。これが現代のストライキの射程なのである。たとえば、学生が学生ローンをかえさないことは金融の流れをたちきるストライキである。被曝を拒否することは汚染食品の流れをたちきるストライキであり、放射能がれきを拒否することは被曝や放射能やがれきビジネスの流れをたちきるストライキである。脱動員研究所の『ストライキの概念の諸テーゼ』(2012年)をひこう。
「ストライキは内的である。このテーゼは「デモは外的である」という別のテーゼに照し合せて理解される。外的行動というのは、内にたいする外の動員である。デモ参加者は県庁や省庁のまえで広場いっぱいに集結させられる。たとえデモが申請コースを逸脱し、組合の隊列からあふれだし、警備軍や非常線を突破することがあっても、デモは外的であるために無害である。デモは戸外にとどまる。それにたいして内的行動は、内の動員解除によって開始され、内と外の境界線を消失させるにいたる。 」
先日早稲田でのシンポジウム(「大学はタダになるのか」)で白石嘉治氏が述べたように、われわれは不可能なる現実の名において大学ストライキを創出しなければならない。学生の債権化を実力で阻止するケベック学生のように、がれき焼却受け入れを実力で阻止する北九州市民のように。
現在、ストライキとは何を意味するのか。たしかなのは、工場=労働者=ストライキという従来のアレンジメントが過去のものとなり、社会工場=社会労働者=ストライキというあたらしいアレンジメントがそれに取って代わったということである。工場のパラダイムが生産だったとすれば、社会工場のパラダイムは流通である。労働者のパラダイムが男だったとすれば、社会労働者のパラダイムは女と学生と子供である。従来のストライキが生産の停止だったとすれば、現代のストライキは流通の切断である。従来のストライキが社会への動員だったとすれば、現代のストライキは社会動員の解除である。
社会工場のさまざまな流れ――生産の流れ、商品の流れ、金融の流れ、ヒトの流れ、情報の流れ、電力の流れ、ガスの流れ、放射能の流れ――を切断すること。これが現代のストライキの射程なのである。たとえば、学生が学生ローンをかえさないことは金融の流れをたちきるストライキである。被曝を拒否することは汚染食品の流れをたちきるストライキであり、放射能がれきを拒否することは被曝や放射能やがれきビジネスの流れをたちきるストライキである。脱動員研究所の『ストライキの概念の諸テーゼ』(2012年)をひこう。
「ストライキは内的である。このテーゼは「デモは外的である」という別のテーゼに照し合せて理解される。外的行動というのは、内にたいする外の動員である。デモ参加者は県庁や省庁のまえで広場いっぱいに集結させられる。たとえデモが申請コースを逸脱し、組合の隊列からあふれだし、警備軍や非常線を突破することがあっても、デモは外的であるために無害である。デモは戸外にとどまる。それにたいして内的行動は、内の動員解除によって開始され、内と外の境界線を消失させるにいたる。 」
外のデモ――屋外、労働時間外――の隆盛の裏側で、すでに内のストライキは進行している。被曝を、放射能がれきを実力でストライキするように、学生は学生ローンをストライキする必要がある。われわれは外の時間を止めて、内の時間を生きる必要がある。
2012年5月15日火曜日
告知「大学はタダになるのか」
直近の5月19日に早稲田大学で大学無償化シンポジウムがある。友人や恋人や家族をさそって行くもよし、ひとりでぶらぶら行くもよし。無償の大学は21世紀の基本的地平である。だが、日本の大学の無償化という来たるべき出来事は地理政治学としても思考される。カダフィの沈没がサルコジの沈没を生産したように、日本で大学がタダになるという出来事は世界におけるもうひとつの出来事を生産するはずである。世界は、ウソにまみれた資本主義の因果律――「経済危機だから緊縮政策を」「ハナクソニックが赤字だから東京ホタルイカを」――ではなく、出来事の残酷な共鳴である。資本主義のツケは資本主義者へ、学生に愛とカネと蜂起を。
***
大学はタダになるのか
国連人権規約「大学無償化条項」批准を考える
去る3月17日、朝日新聞夕刊にて、外務大臣が国連人権規約「大学無償化条項」に批准するとの指示を出したことが報道されました。これまで、同規約への批准を留保していたのは、国連人権規約締結国160カ国中、2カ国(日本とマダガスカル)だけでした。国際的にみて、今回の批准指示は当然のことなのかもしれません。しかし、学費が高い日本の現状を考えると、一歩前進といえるでしょう。これをきっかけに、あらためて大学無償化について、そしてそもそも大学とはなにかについて一緒に考えてみましょう。
*
報告者:古屋寛生(ソラグラス代表、同志社大学)
栗原康&五井健太郎(ブラックリストの会in東京)
関翔一(ゆとり全共闘)
白石嘉治(上智大学)
日時:5月19日(土) 15:00~17:00
場所:早稲田大学本部キャンパス1号館101教室
主催:国連人権規約「大学無償化条項」批准を考える会
共催:アレゼール日本、ブラックリストの会in東京
連絡先:早稲田大学政経学部岡山茂研究室
Tel : 03-5286-9723
shigeru(at)waseda.jp
追記
ケベック学生の春(「ケベックのカエデの春」とも呼ばれる)は反学費闘争である。その闘争のさなかに学生たちは、みずからに敵対する帝国の記号体制をみいだす。4月25日の夜のデモで読まれた詩("Speak Rich en Tabarnaque")によれば、その記号体制には名前がある。「スピーク・リッチ」という名前である。どこを向いてもおなじ「スピーク・リッチ」が聞こえてくる。「スピーク・リッチ」が学生を借金奴隷にする。われわれが死んでも、死体のうえで「スピーク・リッチ」は鳴りひびいているだろう。ひとが詩人になるのは、こうした敵対的な記号体制の発見と同時であるにちがいない。
2012年5月13日日曜日
学費払い戻し闘争へ
今年の3月、ケベック州の20万人の学生がストライキを敢行、夜の街を彷徨しはじめた。「ケベック学生の春」と呼ばれるこの出来事は、学費75パーセント値上げにたいする反乱であり、なにより大学無償化の闘争である。イギリス、チリ、ケベック州。大学無償化をめぐる問いは、世界の大学の上空を舞っている。そして日本。3月17日、外務省は、高等教育の段階的無償化を定める国際人権規約の条項について、30年にわたった留保を撤回する方針をかためた。大学は無償になり、闘争はあらたな段階へと突入するだろう。すなわち、ここ30年間に大学に支払われた全学費の払い戻しを要求する闘争である。
この30年間、資本主義下の大学のツケはすべて学生にまわされてきた。借金漬けにされた若い学生がどれだけ悲惨な目に合おうとも、大半の大学教職員は知らない顔をしてきた。学生が年を追うごとにルンプロ化していくありさまを見て、ある教師は学生の教養のなさをわらい、ある教師はそれを学生運動の不在のせいにしてかつての学生運動を勝手になつかしんだ。これらは、資本主義下の大学――大学とはコミュニズムである――のツケを学生というサバルタンに押しつけて、ツケ自体をなかったことにしようとする国家主義的キャンペーンの一環であった。この30年間の大学が教員による現実否認のプロセスの場であったとすれば、この30年間、ルンプロ学生はあくびをしながら教員による現実否認の相手をしなければならなかった。もう十分だ。資本主義は資本主義者へとおくり返し、大学は大学のコミュニズムへとおくり返さなければならない。「学生に賃金を」(矢部史郎)、コラボ教員に借金地獄を。だがさしあたり、われわれはここ30年間に大学に支払われた全学費の払い戻しを要求しよう。なにせ、これからの学生にはカネがいる。東日本を脱出しなければならない。病院に通わなければならない。ブラブラ(病)しなければならない。本を買わなければならないし、安全な食い物を買わなければならない。
この30年間、資本主義下の大学のツケはすべて学生にまわされてきた。借金漬けにされた若い学生がどれだけ悲惨な目に合おうとも、大半の大学教職員は知らない顔をしてきた。学生が年を追うごとにルンプロ化していくありさまを見て、ある教師は学生の教養のなさをわらい、ある教師はそれを学生運動の不在のせいにしてかつての学生運動を勝手になつかしんだ。これらは、資本主義下の大学――大学とはコミュニズムである――のツケを学生というサバルタンに押しつけて、ツケ自体をなかったことにしようとする国家主義的キャンペーンの一環であった。この30年間の大学が教員による現実否認のプロセスの場であったとすれば、この30年間、ルンプロ学生はあくびをしながら教員による現実否認の相手をしなければならなかった。もう十分だ。資本主義は資本主義者へとおくり返し、大学は大学のコミュニズムへとおくり返さなければならない。「学生に賃金を」(矢部史郎)、コラボ教員に借金地獄を。だがさしあたり、われわれはここ30年間に大学に支払われた全学費の払い戻しを要求しよう。なにせ、これからの学生にはカネがいる。東日本を脱出しなければならない。病院に通わなければならない。ブラブラ(病)しなければならない。本を買わなければならないし、安全な食い物を買わなければならない。
2012年5月11日金曜日
「いのり星」をかみくだく
「日本の子ども人口時計」によれば、「いまから1000年後には子どもがゼロになる」そうだ。
えっ、1000年ももつとおもってるの?
これから5年、10年たつと、じょじょに、子どもにかぎらず
人間がばたばた秋の蠅みたいに死んでいくし、
自殺の政治学も刷新されるはずだし、
放射能うんこがちょっとはきれいになる200年後に、
そもそも「日本人」は生き残っているのか、というのが現実だろう。
短命をせおうものたちにとって、
「加齢経済学」は激怒の対象でしかない。
「黄金週間」に、隅田川で、
「いのり星」という愚劣なイベントがもよおされた。
東京都チンタロウが、またまた税金を勝手におこづかいにつかって、
ぜいぜい喘いでいるパナソニックを救済。
糞パナソニックと、どうせ電通だろうが広告代理店と、
「収益の一部は環境保全団体に」とあるので天下りのじじいたち、
など不徳の強欲者たちのみが潤うおいしいイベントである。
税金が投じられているばかりか、
腐れ電球を1個1000円で買わされる。アンビリバブル。
「ついでに、電球で精霊流し」というわけか。
川下でまちうけていたゾンビが、流れてきた10万個の「いのり星」を
バリバリと音をたててかみくだいた。
資本主義教の機関紙日経新聞によれば、
「大手銀行が10年ぶりに法人税を収めはじめる」という。地獄に堕ちろ。
この状況全体にたいして、民衆は、
「東日本ゼネスト(原発内含む)+銀行強盗」
「都庁襲撃+スカイツリー倒壊」
などの叛乱パッケージを実施することになるだろう。
2012年5月7日月曜日
ゼロ代表、左翼ののろし
5月7日午前0時30分。オランドの到着とともに夜のバスチーユ広場が赤く煙った。勝利したのはオランド候補者でも社会主義党でもない、左翼という概念である、だれもがそう感じたはずだ。極右の得票率が18パーセントに達した、何かおかしくないか? 経済危機という運命を受け入れろという、でもそれって恫喝ではないか? いつ爆発するかもしれない原発をかかえたままでいるなんて、狂気の沙汰ではないか? サルコジやルペンは移民排斥をとなえる、でも外国人のいないフランスなんて息苦しくないか? そもそも、どこまでが外国人でどこからがフランス人なのか? 恐怖をばらまいているのはむしろサルコジやルペンではないか? 失業率は資本主義の産物でなければ何なのか? オランドの勝利はこうした「批判と臨床」(ドゥルーズ)の前景化であり、各人が「自分自身と世界にとっての医者」になった結果である。くりかえすが、これは左翼という概念それ自体の勝利である。
オランドに投票した有権者のうち、かれを本気で信じている者、社会主義党の政策に本気で希望をいだいている者などいない。オランドはサルコジやルペンといったポピュリストの正反対である。かつてのミッテランのごときカリスマ度もゼロのゼロ代表である。信任ゼロの統治のもとで、左翼という錯乱、おおいなる健康のくわだてが開始される。かくして左翼ののろしは上がった。
オランドに投票した有権者のうち、かれを本気で信じている者、社会主義党の政策に本気で希望をいだいている者などいない。オランドはサルコジやルペンといったポピュリストの正反対である。かつてのミッテランのごときカリスマ度もゼロのゼロ代表である。信任ゼロの統治のもとで、左翼という錯乱、おおいなる健康のくわだてが開始される。かくして左翼ののろしは上がった。
2012年5月6日日曜日
2012年5月2日水曜日
すべての負債をオキュパイせよ!
2012年4月25日をもってアメリカ合衆国における学生の借金の総額は1000000000000ドル(1トリリオン)を突破した。Occupy Student Debtは記念すべきこの日を「1t day」と命名し、ニューヨークシティのユニオン・スクエアで「借金祭debt jubilee」をくりひろげた。トータリティ・ストライキをかかげた昨日のメーデーでは「学生負債をオキュパイしよう!」の声が止むことはなかったという。動画は学生借金をめぐりdissentとJacobinによって他日開催された討議である。学生借金オキュパイは大学の無償化のみを唱えているのではない。それは借金のシステムそれ自体の占拠をめざす全=世界の希求である。
追記
われわれは汚染地帯の除染ではなく、永遠のオキュパイ=石棺をのぞむ。われわれは、われわれ自身の生存のプレカリティとともに、放射性物質の永遠を考えなければならない。「見つかった/なにが/永遠が/列島に拡散した/放射能汚染のことさ」。だから『フェルメールとスピノザ <永遠>の公式』の著者ジャン=クレ・マルタンによる「ドゥルーズ」をfrance cultureできこう。
追記
われわれは汚染地帯の除染ではなく、永遠のオキュパイ=石棺をのぞむ。われわれは、われわれ自身の生存のプレカリティとともに、放射性物質の永遠を考えなければならない。「見つかった/なにが/永遠が/列島に拡散した/放射能汚染のことさ」。だから『フェルメールとスピノザ <永遠>の公式』の著者ジャン=クレ・マルタンによる「ドゥルーズ」をfrance cultureできこう。
2012年4月21日土曜日
反原子力のドラマ
フィリップ・ソレルスとエマニュエル・デコンブによる『ギィ・ドゥボール、奇妙な戦争』。マオイスト・ソレルスのことは知らない。でも映画は面白そうだ。ソレルス自身のサイトで見ることができる。
ランシエールの『解放された観客』(2008年)以降、「スペクタクル批判」批判という主張がしばしばなされたが、われわれはさらにそれを批判することが可能である。じっさい、ランシエールの「解放された観客」というヴィジョンでは、原子力帝国の統合されたスペクタクルにも、そこに内在する新自由主義にも対峙することができない。原子力帝国の因果律は陰謀論的であり、そのネオリベラルな諸装置は形而上学的である。原子力都市においては万人が観客であるが、それは解放などではない。われわれに新鮮な息吹を与えてくれるのは、ランシエールの「スペクタクル批判」批判ではなく、スペクタクル的内在平面を徹底するドゥボールでありブレヒトである。
両者に共通するのはリアリズム演劇である。それはランシエールの批判にもかかわらず、演劇(知のポリス的主体)と観客(ポリスから疎外された無知なる客体)という二元論からできているのではない。演劇が観客を組織化するというのではなく、真実が高次の次元をへずに自己ドラマ化されるというリアリズムである。ドゥボールがスペクタクル社会の興亡をえがくように、ブレヒトは資本主義社会のはじまりと終わりを上演する。ブレヒト演劇のモンタージュのひとつひとつが剽窃可能であるように、ドゥボールの前衛劇は都市住人のみぶりのあいだに感染していく。両者のリアリズムにおいては、デモやストライキといった「行動」にたいして劇作の「夢」があるのではなく、デモやストライキと同じ平面に演劇行為が置かれているのである。その演劇は「夢と行動が姉妹である世界」(ボードレール)なのだ。ブレヒトの言葉を銘記しよう。
すべてをみぶりに帰納する目は、モラルである。
原子力資本主義のスペクタクルが中断され、すべてがみぶりに帰納されるときに「真実」のドラマ化が開始される。ブレヒトがいうように、このドラマ化は、以下のようなエチカのプログラムを経由するだろう。すなわち、真実を語る勇気をもつこと。真実を認識する賢明さをもつこと。真実を武器として使いこなす技術をもつこと。真実を手渡すべきひとびとを見出す判断力をもつこと。真実を拡散する策略をもつこと。真実は正義であるが、それは拘束するのではなく、自由なる創発として発現する。古臭い真実はドグマであるが、新しい真実は自由にふるまうことができるのだ。こうしたリアリズム平面において、日常的ないかなるみぶりもデモやストライキやドラマへと自己組織化されうる。ひそかな叙事演劇はすでにメトロポリスで進行中である。悲劇のパトスを寸断する真実のみぶりが拡散し、来たるべきリベンジが到来するだろう。ブレヒトを、ドゥボールを読みなおそう。東電、野田、枝野、細野、藤村、仙石、社畜ども、真実をなめんなよ。
両者に共通するのはリアリズム演劇である。それはランシエールの批判にもかかわらず、演劇(知のポリス的主体)と観客(ポリスから疎外された無知なる客体)という二元論からできているのではない。演劇が観客を組織化するというのではなく、真実が高次の次元をへずに自己ドラマ化されるというリアリズムである。ドゥボールがスペクタクル社会の興亡をえがくように、ブレヒトは資本主義社会のはじまりと終わりを上演する。ブレヒト演劇のモンタージュのひとつひとつが剽窃可能であるように、ドゥボールの前衛劇は都市住人のみぶりのあいだに感染していく。両者のリアリズムにおいては、デモやストライキといった「行動」にたいして劇作の「夢」があるのではなく、デモやストライキと同じ平面に演劇行為が置かれているのである。その演劇は「夢と行動が姉妹である世界」(ボードレール)なのだ。ブレヒトの言葉を銘記しよう。
すべてをみぶりに帰納する目は、モラルである。
原子力資本主義のスペクタクルが中断され、すべてがみぶりに帰納されるときに「真実」のドラマ化が開始される。ブレヒトがいうように、このドラマ化は、以下のようなエチカのプログラムを経由するだろう。すなわち、真実を語る勇気をもつこと。真実を認識する賢明さをもつこと。真実を武器として使いこなす技術をもつこと。真実を手渡すべきひとびとを見出す判断力をもつこと。真実を拡散する策略をもつこと。真実は正義であるが、それは拘束するのではなく、自由なる創発として発現する。古臭い真実はドグマであるが、新しい真実は自由にふるまうことができるのだ。こうしたリアリズム平面において、日常的ないかなるみぶりもデモやストライキやドラマへと自己組織化されうる。ひそかな叙事演劇はすでにメトロポリスで進行中である。悲劇のパトスを寸断する真実のみぶりが拡散し、来たるべきリベンジが到来するだろう。ブレヒトを、ドゥボールを読みなおそう。東電、野田、枝野、細野、藤村、仙石、社畜ども、真実をなめんなよ。
2012年4月18日水曜日
Oh, show us the way to the next whisky-bar
ALABAMA SONG (Bertolt Brecht)
1
Oh, show us the way to the next whisky-bar
Oh, don't ask why, oh, don't ask why
For we must find the next whisky-bar
For if we don't find the next whisky-bar
I tell you we must die ! I tell you we must die !
Oh ! Moon of Alabama
We now must say good-bye
We've lost our good old mamma
And must have whisky
Oh ! You know why.
2
Oh, show us the way to the next pretty girl
Oh, don't ask why, oh, don't ask why
For we must find the next pretty girl
For il we don't find the next pretty girl
I tell you we must die ! I tell you we must die !
Oh ! Moon of Alabama
We now must say good-bye
We've lost our good old mamma
And must have a girl
Oh ! You know why.
3
Oh, show us the way to the next little dollar
Oh, don't ask why, oh, don't ask why
For we must find the next little dollar
For il we don't find the next little dollar
I tell you we must die ! I tell you we must die !
Oh ! Moon of Alabama
We now must say good-bye
We've lost our good old mamma
And must have dollars
Oh ! You know why.
2012年4月12日木曜日
2012年4月5日木曜日
77歳のおじいさんが
ギリシャ年金受給者が議会前で自殺、「ごみ箱あさりたくない」
[アテネ 4日 ロイター]
77歳のおじいさんが負債に堪忍袋の緒が切れ拳銃自殺したのだった私はそのようなどしょっぽねがなくじわじわ死んでいくけどじじいの死をきっかけに私はやりたいことをやらない態度はもうやめようと思った昨晩ある友人は、放射能のせいで「正しさ」が再領土化していると言ったじつに生命とひきかえに「道徳」と「正義」と「社会」が息を吹き返しているのだったそのようなことどもは、「金があれば逃げたい」と思ったり「逃げる? うるせーな、んなのめんどくせーんだよ!」(いましろたかし『原発幻魔大戦』)と思ったりと日によってごたごたする私の気持ちとは何のかかわりもない私はただ酒を飲みかわいい彼女を愛撫し落書き××撒き銀行強盗教会侵犯をやりたい。
[アテネ 4日 ロイター]
77歳のおじいさんが負債に堪忍袋の緒が切れ拳銃自殺したのだった私はそのようなどしょっぽねがなくじわじわ死んでいくけどじじいの死をきっかけに私はやりたいことをやらない態度はもうやめようと思った昨晩ある友人は、放射能のせいで「正しさ」が再領土化していると言ったじつに生命とひきかえに「道徳」と「正義」と「社会」が息を吹き返しているのだったそのようなことどもは、「金があれば逃げたい」と思ったり「逃げる? うるせーな、んなのめんどくせーんだよ!」(いましろたかし『原発幻魔大戦』)と思ったりと日によってごたごたする私の気持ちとは何のかかわりもない私はただ酒を飲みかわいい彼女を愛撫し落書き××撒き銀行強盗教会侵犯をやりたい。
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